第四部 「赤銅の航海者」 36
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《宮崎県日南市南郷町》
1月29日
此度の反転海域に対する見解と榮倉大和の処遇が決定した。
反転海域の出現は戦艦『ビスマルク』を倒すことなく《戦人》を殺害したことが何かしらのきっかけに発生したもので後に撃沈された巡洋艦『フィウメ』の反転海域は出現することはなかった。
そのことから国際連合海軍は艦艇の破壊をすることなく《戦人》を殺害した場合にのみ反転海域は出現することになると結論付け、今回のように偶然、他の《戦人》が協力を惜しまなかったために欧州圏は守られた。
この事実を持って榮倉大和を英雄として迎え入れることを決定した。
発表直後は賛否が飛び交っていた。それでも榮倉大和と二隻の戦艦は無事に日本へ帰ることができた。
しばらくは事後処理に手いっぱいだったがようやく時間のできた榮倉は市内の病院を訪れていた。無機質な廊下の先にある個室には関係者以外面会謝絶の札が掛けてあり、ドアの前には警備員が立っていた。
「あなたですか。どうぞ」
警備員に海軍の証明書を見せてから扉を開けると真っ白な個室の中にぽつんと真っ白な少女がベッドで待っていた。
「久しぶりね」
「身体の調子はどうだ?」
小さく微笑んだ少女は起き上がるとベッドを動かす。
「良くもないし悪くもないわね……」
「そうか」
すっかり色が消えてしまった髪をかき分けながらビスマルクは、そうよ、とだけ言った。
「これ、シャルンが持って行けって言っていたけど」
榮倉は手荷物の紙袋から真空タッパをビスマルクに渡す。
中身はドイツのドルトムントから取り寄せたソーセージだ。
「あら、ソーセージね。あの子も随分と気が利くようになったわね」
「あいつなりに気を遣っているんだろ」
「かもね」
そういって笑い合うと会話は途切れて沈黙が流れる。
ビスマルクと会うのはケルト海での事件以来だ。すぐ後で日本の病院に搬送され、治療を受けた。協力してケガを負っていたフッドも同じように日本に搬送されて、この病院の別の病室に入院している。
フィウメの件に関しては悔しい思いを隠しきれない。
友人を失い、孤立した『トレント』は宮崎の栄松島に入港し、トレントは自衛隊時代からの知り合いに預かってもらっている。近いうちに自分自身で決断を下すだろう。ここに残るか別の目的を探すかは彼女次第だ。
日本艦のすべては反転海域消失の直後にケルト海を早急に去って行った。
残された巡洋艦『サセックス』は榮倉と共に日本へと来た。
彼女は最初から榮倉の艦隊に加わるつもりだったようですでに国際連合海軍へと所属を移している。
まだ行き先に迷っている者もいるがそれぞれ、一つの目的を果たして別々の決断を下していく。そして、ビスマルクも自分の行き先に迷っていた。
サセックスのように船があるのなら榮倉の艦隊に加わると決断をしたが今はもうただの船のない《戦人》に過ぎない。残っているのはこの色褪せた身体だけだ。
何より、彼女の時間はもう期限が近づいていた。
「あなた、私の身体のことは聞いているのでしょう?」
「ああ……。聞いている。持っても次の年末だそうだな」
ビスマルクは無言で頷く。
彼女を診察した医者は詳しい理由までは分からないがビスマルクの全身を覆っている筋肉が時間と共に減衰し、次第に運動能力の低下を招く筋ジストロフィーを発症しているとのことだ。彼女の遺伝子を調べたが筋ジストロフィーになりうるような遺伝子はなく、完全な後天的な理由での発症だった。
後天的な筋力低下の病気としてはALSという病気もあるがビスマルクは間違いなく筋ジストロフィーの症状と合致するという。
本来であれば幼少期に発症、彼女の年齢くらいになれば歩くことは不可能になるはずだが、彼女は多少のムラはあるが今でも歩くことができる。
医者の見解としては脳への負担から遺伝子に何らかの影響を及ぼしたのではないか、とのことで本当なら精密検査をしてほしいところだが、ビスマルクがそれを拒否した。彼女の髪色のことも医学的にあり得ないとされている。
本来は一度生えた髪は髪染めなどの行為を行わない限り色が変化することはあり得ない。抜け落ちる日までビスマルクは金髪のはずだ。
だが、現実に彼女の髪色は真っ白に染まっていた。知らない間に染められたのであれば自然と伸びてくる髪が金髪のはずだが新たな髪全てが白色で色素を失っていた。
ビスマルクは自らの髪をいじりながら呟いた。
「もう長くないって、そんな予感はしていたわ……」
「それで良いのか?」
彼女の場合は調べれば寿命を延ばす方法が残されているかもしれない。生きることを選ぶのなら一年未満の命をもっと遅延できるかもしれない。その選択をなぜ捨てるのか。
「私は、もう戦えないから……。私がほしいのはもう悲しみを超える思い出だけでいいのよ。長い命より私がほしいのは思い出。それさえあれば満足よ」
「……。変わっているな」
「そうね。私も変わったわね。船が無くなってやることも無くなって、残ったのは真っ白な私だけ……。最初はもう何もいらないって思ったわ……。でも、シャルンやあなたともう一度であって新しい思い出が作りたいと思ったのよ。戦人としてではなく、一人の人としての思い出がね」
言葉に迷った。
そんな大層な思い出を作ってあげられる自信はない。そう言うとビスマルクは小さく微笑んだ。
「バカね。あなたにそんな大義名分を与えるつもりはないわよ。構えないで、普通に接してくれればいいのよ。それに私こそあなたに重荷を背負わせてしまったのだから……」
「……。フィウメのことか?」
首を縦に振る。
ビスマルクの悔いはそこに尽きる。
たとえ自らの意志がなかったとしても自分の手で死なせてしまったことは間違いない。彼女が悪いわけではないのは明白だが、彼女自身がそう思わなければ納得できないのだろう。
そして、榮倉もフィウメの件に関しては思うところがある。
「ビスマルクもバカだな。俺はフィウメのことを重荷だなんて思わない。彼女がどういう思いで先に逝ったかは分からないが、俺はフィウメのためにも前に進むよ。背中を見守ってもらえるように」
「そう……。あなたはそうでないといけないわね」




