第四部 「赤銅の航海者」 14
「司令の思いは結構なことだが、残念なことに司令は作戦には参加させない」
真っ先に紀伊が立ち上がった。
用意されたフォークが床に転がる。
「なんで……!」
「理由なんて一つだけしかないけど……。あえて聞こうか。英国淑女、あんたは司令を連れて行くべきだと思う?」
「そりゃあ――」
即答しようとするサセックスを遮るようにフィウメは続ける。
「手負いの! 手負いの司令を連れて行くべきだと思うか?」
「……。」
言葉に詰まった。
榮倉の負傷はただでさえ時間のかかるものだったが今回の件で余計に療養期間が伸びてしまった。
「迷うのは当然だ。英国淑女、あんたは司令の身を同胞のフッドと同じくらいに案じているのだからね」
「あ、ああ……」
サセックスは少し顔を赤くして頷く。
「アドミラールを案じるのは船であり、人であるなら当然だ」
「地味……じゃなかった。大和撫子。君はどう思う」
「や、大和撫子って私のことですか?」
「そうそう。大和撫子」
「私も手負いの司令官を連れて行くのはあまり気が乗りませんね」
フィウメは納得したように頷く。
「そうだろうね。彼の身を本当に案じているのなら連れて行かないのは正解に近い。対して紀伊。君はどうして彼を、指令を連れて行きたいのかな?」
紀伊は攻められていることを強く感じた。
フィウメの言うことは的を射ている。榮倉は負傷していて戦場に連れて行くにはあまりに不安な要素ばかりだ。しかし、それでも紀伊も榮倉も納得していなかった。
「それは……」
「いいかい。君の司令をどうしても連れて行きたいという思いはただの傲慢で独占欲に過ぎないんじゃないかな? 榮倉大和と言う最高の司令官を私たちに使われたくない、一度でもそう考えなかったかな? はっきり言わせてもらうけど、司令は君の艦長ではなくて『桜』の艦長だということを忘れないでくれないかい。そして何より君が彼を本当に案じているのならなぜ連れて行くなんて―――」
フィウメが最期まで言う直前だった。
紀伊は机に残ったナイフを皿の上からテーブルに突き立てた。皿の割れる乾いた音が響き、割れた皿で切れた紀伊の指から赤い血が飛ぶ。
「……。」
突然の出来事にこの場の誰もが言葉を失った。
ナイフを突き立てた手からは血が滴る。
血で濡れた手を握り締め、紀伊は精一杯の声を上げて叫んだ。
「信じているからだよ!!」
紀伊は握ったナイフを離して胸の前で手を揃え叫ぶ。
「あたしは艦長を信じているの!! この場の誰よりも!! 艦長は誰にも負けない!! 何があっても勝手にどこかに行かない!! 信じているから一緒にいるの!」
「信じてる……って」
フィウメは納得できていないようだ。
「そんな勝手な自己評価で司令を危険な場所に連れて行くつもりなの!」
「勝手じゃない!」
「勝手じゃない。司令のことなんて後回し」
「それでいいからそうしてるの!」
「何それ……」
フィウメは呆れたように肩を透かす。
そして溜め込んだ何かを口に出そうとしたところで榮倉が割り込んだ。
これ以上は仲間内で亀裂が入りかねない。
「そこまでだ。フィウメも、紀伊も言いたいことはあるだろうけどこれ以上は必要ない。結局は俺が決めることだからな」
「ま、まあ、そうだね……」
「あたしは……。艦長の意見を尊重するから」
二人とも落ち着いたようだ。
内心でほっと胸をなでおろす。
「んでアドミラール。どうするんだ? このわがままな二人のためにあんたはどっちを選ぶ? 危険を承知で戦線に出るか、それとも……」
サセックスは残ってほしいようだ。
「俺は参加しない」
「どうして?」
「紀伊。別に紀伊を信じていないわけじゃない。たださっきの二人のやりとりの間で俺が割り込めばもっと短くまとめられていた場面はいくつもあった。でも入ろうとしたときには遅かったんだ。これが紀伊とフィウメのケンカ程度だったから良かったけどこれが戦線だったら俺たちは今頃海を漂っていただろう」
戦場では一瞬の判断が生死を分ける。
それが遅れるということは生の確立が下がり死の確率が上がるということだ。
たかが少女のケンカを制することができないのならば戦場に出ることはできない。それが榮倉の出した結論だ。
「納得できないか?」
「……。」
紀伊は無言で首を横に振った。
「アドミラールがそう決めたのなら簡単だな。私たちのやることはアドミラールが戻るまで戦線を明け渡さないことだ。イタリア人、あんたもそれでいいな」
「司令が決めたことにこのフィウメが反対したことなんてあった?」
サセックスはカッコいい女の笑みを浮かべる。
「今日反対したな」
「っ! そ、それはノーカンにしろ!」
「まあこの私は英国淑女だからな。見逃してやるよ」
「この英国淑女……」
場が和やかになったころスタッフが個室には言ってきたが割れた皿や床に散らばったナイフとフォークの惨状をみて頭を抱えた。
しかも来たのはただのスタッフではなく有名なオーナー本人だった。
「あ、やべ……」
そう言ってフィウメは惨状になった経緯を問題ない程度にイタリア語で説明しだした。さすがにその場にいた全員に責任はあるので割れた食器を片づける。
「あ、その前に紀伊。ちょっと来て」
榮倉は指から血を流している紀伊を呼ぶと救急箱から消毒液などを出した。
「艦長、消毒液は嫌い……」
「何も考えずに皿なんて割るからだ。少しくらい我慢してくれ」
「いや……。痛いもん」
駄々を捏ねる小学生のような紀伊を治療し終えるころにはフィウメも状況を伝え終えたようで新しい皿とナイフとフォークを用意してもらい絶品のステーキが振る舞われた。




