夢見るゴミスキル(下)
「夕城! そっち、左……って、違う! あああ、もう遅いっ!」
強く肩を押され、俺はよろめいて後ろに下がる。
そして、もういちど踏み出す間もなく、前線から弾き出された。
指示は聞こえてた。けど、身体が一拍、遅れた。
「どけっ!!」
言い返す暇もなかった。
次の瞬間には、剣と攻撃魔法の音が、俺の横をすり抜けていく。
俺は、通路の端で立ち尽くしたまま、仲間たちの背中を見ることしかできなかった。
数分後。
「――終わったぞ」
短く、告げられた言葉。
戦闘は、俺抜きで終わっていた。
ゴブリンの死体が床に転がり、そこに湿った石の匂いと、鉄のような血の臭いが混じる。
学校指定の、安全管理済み低層ダンジョン。
東京第二探索者高等専門学校の、いつもの実習風景。ただ、そこに、勝利と健闘をたたえ合う声はなかった。
戦闘は問題なく終わっていた。
誰も怪我をしていない。
だけど、連携が成立していなかった。
たとえ、実習であっても油断なんて許されない。
ゴブリン程度の相手だから、では済まされない。
空気が悪くなるのも、当然だった。
「……で?」
実習パーティのリーダーを務める篠原が、剣を鞘に収めながら言った。
その視線は、まっすぐに俺に向いている。
「まだ、レベルは上がらないのか?」
返事ができなかった。
鑑定板を見なくったって、わかっている。
「ごめん。まだ、みたいだ……」
そう言うので精一杯だった。
誰かの、舌打ちが聞こえた。
「またかよ」
「三年だぞ? もう」
「いい加減さ、限界じゃね?」
責めるような声色ではない。
疲れと呆れを含んだ言葉が、そこはかとなくこぼれた。
探索者高等専門学校の三年なら、本来は第三階層に挑んでいる。
それが、この実習では第一階層を回っている。
理由は単純だった。
いまだ“レベル1”の俺に合わせてもらってる。
実習パーティは固定ではない。
学校側が、生徒の状況や適性を見て、その都度組み替えている。
事故を防ぐためであり、育成のためでもある。
俺と組まされたパーティメンバーから不満が出るのは、いつものことだった。
「なあ、夕城」
皆を代表するように、篠原が、少し言いづらそうに口を開いた。
「俺たち、もう高三だぞ。お前、正直……探索者やるの、厳しいんじゃないか?」
嫌味なんかじゃない。
それは、わかってる。
「お前の、そのスキルとステータス……それからレベルじゃあ」
探索者は、別にスキルだけで戦うわけじゃない。
だけど、スキルは確実に“差”になる。
どんなスキルであっても、ステータスに補正がかかるからだ。
筋力、敏捷力、耐久力、魔力、精神力、etc.
アクティブな能力以上に、そのパッシブな補正こそが、スキルフォルダーである証明だった。
戦闘スキルや、魔法スキルは言うまでもない。
高い筋力や魔力、敏捷力の補正が、そのまま戦力に直結する。
そして、その恩恵を受けるのは、前線に立つ者だけじゃない。
生産や、研究スキルであっても、所持スキルの適正にあった数値が、盛られたかたちとなる。
さらに、特殊スキル。
ユニークスキルを持つ者に多いその系統では、他職よりも幅広く、かつ高いステータス補正が確認されている例もある。
だけど、入学した当初、おおいに期待された、俺の特殊スキル:《夢見》には、それらが一切なかった。
どの数値にも、まったく変化がなかった。
そして、入学してから今まで、レベルも、1レベルも上がってない。
鑑定板は、二年半の間、入学当時と同じ数字をずっと表示していた。
「夕城の『夢見』ってさ……」
別の誰かが、言葉を濁したように問いかける。
「結局、何ができるんだ?」
その答えは、わかってる。
俺自身が、一番よく知っている。
意味のない夢物語を、見るだけのスキル。
現実にも、ダンジョン探索にも、何ひとつ役に立たない『夢』の様なスキル。
少なくとも、今の俺には。
「今日の実習は、ここまで。さあ隊列を組みなおせ。戻るぞ」
引率の教師が、場を切った。
それ以上、何かを言う必要はなかった。
帰り道、誰も俺に話しかけはしなかった。
責められもしないし。慰められもしない。
人よりも努力はしている、つもりだ。
周りより剣も振っている。
それでも、レベルは上がらない。
スキルは、何も与えてくれない。
とどのつまりは、どん詰まりだ。
この先に、何があるのか? 何かあるのか?
もう、何も無いのかもしれない。
そんな現実が、低層ダンジョンの薄暗い天井よりも、重くのしかかっていた。
瞼を開くと、空があった。
木々の隙間から切り取られた、春のはじめの空だ。雲はまだ高くはなく、やわらかい日差しが、思ったよりも長くベンチに残っている。少し暖かくなった陽気に気を抜いて、いつの間にか、ここでうたたねしてしまっていたらしい。
「……ひさしぶりに見たな」
小さく、独り言がこぼれた。さっきまで見ていた夢――いや、正確には“あのころの現実と記憶”の夢。
東京第二探索者高等専門学校。
学生のころ、レベルが上がらず、行き止まりだった日々。
期待に応えられないまま、少しずつ立ち位置が曖昧になっていった教室と、ダンジョン。
時間が経ってもその記憶は色あせない。輪郭が削れず、当時の空気ごと、そのまま残り続けている。
忘れさせてくれない。都合よく薄れてもくれない。
それが、《夢見》というスキルで、はっきり分かっている、数少ない特徴のひとつだった。
夢の中で見たものは、いつも鮮明で、現実よりも現実らしい。だから過去もまた、逃げ場のない形で、そのまま胸の奥に残り続ける。
探専を卒業してから、数年――
俺は、結局のところ、諦めきれずにダンジョンへ潜り続けた。
学校を離れ、誰かと組むこともなくなって、単独で。
レベルが上がらないなら、せめて実力で補えないか。
そう考えて、装備を整え、動きを磨き、無駄のない立ち回りを磨いた。
できることは、確かに増えた。
だけど、結局は高校時代と何も変わらなかった。
鑑定板に表示される数字は、いつも同じだった。
レベルは上がらず、スキルも、何かを変えることはなかった。
そして、いつからかダンジョンに向かうたび、自分の中で同じ考えが繰り返されるようになっていた。
――今日も、何も変わらない。
それを、受け入れたわけじゃない。
ただ、否定する力も、もう残ってはいなかった。
それで、ダンジョンから離れた。
後悔も、納得も、全部まとめて、もう済んだことになっている。無理に言葉にする程のものじゃない。
ぼんやりと顔を上げると、公園の向こうにガラス張りの高層ビルが見えた。その壁面いっぱいに設置された大型ビジョンが、賑やかな音楽とともに切り替わる。
水色の髪を揺らし、軽やかにダンジョンを駆ける“アイドル探索者”。
見覚えのある映像だ。
画面の下に、あの言葉が浮かんでいた。
《すべての挑戦者へ――貴方の夢は、まだ終わらない。》
さっき、居眠りをする前にも見た広告だった。
俺は、足元に置いていた空き缶を手に取る。軽い音がして、中身はもう空だと分かる。
立ち上がり、ゴミ箱にそれを放り込む。缶は一度転がり、乾いた音を立てて止まった。
「……やっちまったな」
ベンチの背にもたれたまま、俺は小さく呟いた。
スマホの画面には、不在着信が二件。ついでに、時間もだいぶ進んでいる。
立ち上がり、軽く腰を伸ばす。さっきまでの空気は、もうどこにも残っていなかった。
外回りは、あと二件。
午前中に一件、トラブル対応で時間を食った。
正確には、仕事とは関係のないところで、やたらと疲れた。
今日は、この調子で一日が終わりそうだ。
さっさと片づけないと、戻りが遅くなる。
「……よし」
小さく息を吐いて、鞄を肩にかける。
現実に特別な理由なんて、いらない。
ただ、今日の午後を、こなすだけだ。
公園を出て、また歩き出す。
夕方の人波に紛れながら、俺は一度だけ空を見上げ、それから前を向いた。




