夢は終わらない
朝から土下座モードだ。
いや、さすがに本当に土下座なんてしてない。けど、それくらいの勢いで、ひたすら頭を下げ続ける。
ヘマをやらかしたときの取引先の会議室は、ほんと、胃が痛くなる空間だ。
すすめられた椅子には座らず、立ったまま、腰を九十度に折って、謝罪の言葉を繰り返す。まるで水飲み鳥だ。
すでに何往復したかわからない。……腰が、地味にきつい。
「このたびは、弊社の確認不足により多大なご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「まあまあ、頭あげてよ夕城さん。こっちとしても、すぐに納品が必要ってわけじゃなかったんでね。早めに気づいてくれたのは、まあ、ありがたかったよ」
相手は取引先の営業、坂口さん。年はたぶん、俺よりも少し上、三十代半ばくらいか?
スーツは妙に派手めで、香水をつけてるのか苦手な臭いだ。口調こそ穏やかだけど、そのぶん、じわじわと下からくる圧があるタイプだ。
怒鳴られないだけマシ……という考えもあるけど、黙って笑ってるほうがよっぽど効く。
お情けのような言葉に、こめかみがじんわり汗ばむ。あくまで“すぐ必要ではなかった”のであって、“迷惑ではなかった”わけではない。顔を上げるタイミングをうかがいながら、机の木目を見つめる。
「ただまあ……次からは頼むよ。で? 今日は瀬戸ちゃんは? 来てないの?」
わざとらしく探すような仕草。この場にいないのだから来てるわけないだろうに。
「申し訳ございません。瀬戸は本日、有給を取ってまして。変わりに上司のわ「あ、そうなの、ふうん」」
おもくそ途中でかぶせて切られた。
あからさまだな、おい。
瀬戸が来てないってわかった瞬間、もう俺の話なんてどうでもいい、って顔だよ。
瀬戸は、大卒二年目の二十四歳。
小柄で、動きにも声にもどこかあどけなさが残ってて、第一印象から“警戒心ゼロ”みたいな空気をまとっている。
肩にかかるくらいの髪をふわっと揺らして、歩くだけで目を引くような雰囲気がある。笑顔も素直に可愛い部類。
人懐っこくて、気がつけば、どこの誰とでも自然に打ち解けてる。
そんなだから当然、営業成績も俺より断然いい。
キャリアを考えたら、このまま数年で立場が逆転してもまったく不思議じゃない……まじで。
「まあ、あの子はほんと感じがいいよね。まあ、癒やされるっていうかさ。若いのに、まあ、気が利くしさあ……ああいう子がいると、まあまあ、職場も華やぐよねえ? 今度飲みに誘ちゃおうかな? ねえ彼氏いるのかな? 夕城くん、知らない?」
まあまあまあ、うるせえよ。テレテレすんなきめえ。
ほんと瀬戸に何を期待してたんだよ。セクハラ野郎。
愛想か? 笑顔か? それとも、もっと別の何かか?
いい年したおっさんがって……ブーメランだな、これ。
「ありがとうございます。瀬戸もそのあたり、本当によく頑張ってくれています。ですが、今後の対応については、私が責任をもって進めさせていただきますので、何卒」
自然なトーンでそう告げて、話題を切り替えようと試みた。
こちらの立場をいいことに、気安く瀬戸の名前を出してくる感じに、少しだけ引っかかる。
悪気がないのはわかってるが、どうにも軽く扱われてる気がして、胸の奥がざらつくんだ。
とはいえ、そこで腹を立てる程、こちらも子どもでもない。
ぶっちゃけ、取引先との異性絡みのトラブルなんて、ごめんこうむりたいだけだ。
下手に“気に入られてる”なんて瀬戸に知られて、変な空気を生むのも避けたいし、逆に相手の気まぐれや、勘違いで火の粉が飛んでくるのも面倒だ。……だからこそ、今の一言は、ささやかな防火壁のつもりだった。
そんな言動とこちらの思惑に何かしら気づいたのか、イラついた声で、今度はこっちに火の粉飛ばしてきやがった。
「ふん。そういえば夕城さん。あんたってさ、まあ探索者やってたんだろ? 瀬戸ちゃんから前に、まあちょっと聞いたんだよ。ならさ、今回の分も、ほらまあ、自分で取りにいけんじゃない?」
それ、いちばん触れてほしくない過去だというのに……瀬戸の奴、おもくそ個人情報漏洩じゃねえか!
「あ、はい、昔すこ……」
「あーでもさー、あれって確か、十五階層の原料だったよな? さすがに今さら、リタイア組にはキツいかー。あはははっ、ごめん、ごめん」
完全にかぶせ気味に言われ、口が止まる。
笑い混じりの口調の裏側に、ちくちくとした悪意が隠しきれずににじんでる。
ああ、そうだよ。とっくの昔にやめてるよ。もう、そういう世界にはいない。
十階層を越えて活動できてた探索者が、スーツなんか着て、こんなところで、ペコペコ頭を下げてるわけがない――
そう言いたいんだろ。言わなくても、俺だって解ってるよ。
でも、他人の口から聞くと――やっぱり、くるな。
「い、いえ。あはは……」
そう、引きつった笑顔で返すのが精一杯だった。
商談? と言えるかどうかは微妙だった話し合いを終え、取引先を出た頃にはすっかり昼休みの時間になっていた。
空はうっすらと霞んだ青。春の陽射しがやわらかくて、風も穏やか。
冬の名残がまだ少し肌に残るけど、今日みたいな日は、それすら心地よく感じる。
今日はこの後二件、別の訪問先がある。会社には戻らず、そのまま直帰する予定だ。
コンビニでパンと缶コーヒーを買って、少し歩いた先にある小さな公園へ。
日向にあるベンチに腰を下ろすと、背中に陽のぬくもりがじんわりと伝わってきた。
缶コーヒーのタブを親指でいじりながら、ため息が漏れる。
瀬戸のやつめ。
確かにあのとき、酔いが回ってた。
瀬戸に部の飲み会へ誘われたけど、なんだか俺以外は誰も来てなくて、俺ひとり、ぐでんぐでんになるまで飲まされたんだ。
だから、あの夜はちょっと、かなり気も口も緩んでいた。
「まあまあまあ、ここは先輩のおごりってことで! さあさあ、もう一杯いきましょう!!」
そんな、ふざけた調子でお酒を次々に注がれながら、やたらと俺のことを聞いてくるもんだから……つい、昔のことなんかも話してしまったんだと思う。
しかも、瀬戸も俺と同じペースで飲んでたはずなのに、あいつは最後までけろっとしてて素面。ぐでんぐでんに酔い潰れたのは結局、俺ひとりだった。
気がつけば、すっかり気も口も緩んでいて、普段なら絶対話さないようなことまで話していた。
探索者を目指してたとか、スキルの話とか、何をどこまで話したのか……正直、よく覚えてない。
ただ、瀬戸が終始ニコニコしながら、俺の話をうんうんと聞いていた、ことだけは、なんとなく記憶にあるような。
とにかく酔いが回りきってて、あの夜のことはところどころか、かなりの部分、空白だらけだ。
……たぶん、いらんことまで口にしてしまったんだろうな。
探索者……か。
ぼんやりつぶやいたそのとき、公園の向こうに見えるビルの壁面がふと視界に入った。
ガラス張りの高層ビル。その側面に設置された大型の液晶ビジョンが、賑やかなBGMとともに明るく切り替わる。
そこに映っていたのは、今をときめく“アイドル探索者”。水色の髪をサイドテールにまとめた少女が、軽やかな足取りでダンジョンを駆ける――という設定の企業タイアップCMだ。
おそらく、強めwのエナジードリンクか回復薬の広告だろう。スポーツ系の軽装に身を包み、汗を光らせながら振り返り、ラストでは人類の枠を飛び越えたダンスを披露していた。あれ、CGとかAIじゃないんだぜ?
若さ、才能、人気、強さ。すべてを兼ね備えた、その笑顔はとても魅力的にみえた。
画面の下には企業ロゴとキャッチコピーが現れる。
《すべての挑戦者へ――貴方の夢は、まだ終わらない。》
缶コーヒーをひと口。
苦みのあとに、わずかな甘さが追いかけてくる。
公園の風はやわらかくて、上着の隙間からすっと忍び込んでくる。
ひざの裏がぽかぽかと温まって、気づけば足先の力が抜けていた。
午前中からの気疲れが、遅れて押し寄せてきたみたいに、まぶたが重い。
頭の中で、あの広告のフレーズがぼんやりとくり返される。
《貴方の夢は、まだ終わらない》
……夢……か。
いや、今は、考えるのをやめよう。
缶を持ったまま指先の力が少し抜けた。
次の訪問先まで、まだ少し時間はある。
ほんの五分、いや、十分くらい……
ほんのちょっとだけ、目を閉じるだけだ。
ベンチの背にもたれながら、そう思った。
俺の意識は春の陽気に引きずられるみたいに、ゆっくりと沈んでいった。




