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39 ー最終話ー

 楢崎の話はすべてが一方的だったが、私は断ることができなかった。

 藤松勇市の殺害の一部始終を目撃していた楢崎が然るべき行動に出れば、私は何年、いや何十年か刑務所で過ごすことになるだろう。

 それより楢崎がここまで話した以上、私が強硬に拒んだとしたら、そこら中にあると思われる慶城湖のような湖底に沈むことになるだろう。

 次第に、私のような凶悪な獣人間が生きる道は、これしかないかもしれないと思うようになってくる。 

 どんな理由があるにしろ、私は人を拉致したあげく刺し殺して湖に沈めた人間だ。とっくに手は汚れきっている。

 まともな暮らしを捨てて、殺るか殺られるかの綱渡りのような人生を送るのが妥当かもしれない。

 肚を決めて仕事を請け負うと楢崎に伝える、楢崎は目を細めて、当然だというような表情で一度だけうなづいた。

 どこかで監視していたかのように、別室からまたあの女性が現れた。女性は黙ったまま私に厚手の封筒を渡した。封筒はそこそこの重さがあった。

 「今回の交通費と日当だ」

 楢崎はそう言うとデスクに戻る。私は目を上げると、立っている女性と目が合った、途端に緊張が走る。普通の人間の表情と眼力ではない。獲物を狙う野獣のような険しさと、心の奥底を測るような目だった。…ほんの一瞬で彼女は目をそらして立ち去った。だが後ろ姿にもまったく隙がなかった。『彼女も殺し屋なのかもしれない』それは直感だった。

 「すべての準備が完了したら、東京に来てくれ」

 デスクでふたたび書類に目を落とした楢崎は、私の方を見ずに告げた。私はそのままマンションをあとにする。暑苦しい東京を去る時、『殺人及び死体処理請負人になってもらう』と言った楢崎の眼光がよぎった。

 

 私の隠れ蓑のような会社は『サンライズ商事』といった。楢崎が経営している大手企業の傘下の傘下、尻尾の末端のような小さな商社だ。

 そんな零細商社を選んだのは、私に最も不似合いな仕事と環境だと思えたからだ。楢崎が言ったように『危険な部類』の職種はいくつもあった。だがしのぎを削るような険悪な環境に身を置いたら、ますます自分の人間性が破壊されて、まともではいられなくなると思ったからだ。

 当然ながらサンライズ商事の中には、誰ひとり私の正体を知っている者はいない。私はそこで現在まで勤務しているわけだが、今の妻と出会ったのも社内でのことだった。

 妻は都内の中流家庭に育ち、短大卒業後に就職したこの会社で私と出会って、のちに結婚した。明るく陽気な性格で、何事も楽観的に考える人間だ。温かい家庭で育ったからだろう。

 狭い賃貸マンションで一緒に暮らしている息子も娘も、当然ながら私の正体は知らない。


 楢崎から仕事の指示が来るのは、だいたい私の就業中だ。身分を偽った楢崎から業務的に電話を受ける。会話はすべて隠語のやり取りで通じるようになっている。パソコンやファックスなど、他人に見られたり証拠として残る恐れのあるものは一切使わない。

 私は隠語の指示内容を承諾すると綿密に計画を立て、あらゆる視点から実行可能の条件が整ってから仕事にかかる。準備や段取りはすべて自分でやり、必要な情報を得る場合はお互いの素性が判明することのない、いわば闇世界の情報網を駆使する。

 拳銃や特殊な殺傷器具などはほとんど揃っているが、状況に応じた武器・弾薬などを楢崎に調達してもらうこともある。楢崎のネットワークは無限のようだ。

 そして標的の人物を、約束の日時と場所で、指定された方法で殺害、必要な場合は死体を処理する。指定がない場合は私が決める。任務が完了すると報酬は後日、専用の闇口座に振り込まれる。システムとしては至ってシンプルだ。

 この20年間で請け負った仕事の数は定かではない。奪った命を敢えて数えないように努めてきたとも言えるが。

 報酬総額も確認していないが、溶岩洞窟に隠してある勇市から奪った資金・貴金属類の額を超えているだろう。

 

 私は生きている限り、この『殺人請負人』の仕事から逃れることはできないだろう。だが仕事はそう簡単なものではない。

 その場その場はまさに、殺るか殺られるかだ。また私の素性が知られたとしたら、その時点ですべてが終わりだ。

 楢崎の手先に何人いるかわからない同業が、私を消すために動き出すであろう。

 一度踏み外せば死の底へ真っ逆さまに落下する綱渡りのよう。だがそれでいいと思う。

 『牙を隠し都会の雑踏にまぎれ獲物を狙う獣』 私の人生はそれでいいと思う。


 …悪路を過ぎてワインディングを降りていく。下からけたたましいサイレンとともに上がってきた消防車とすれ違った。消防団の積載車も何台か連なって上がってきた。

 私はふと気づいた、ポケットから折りたたんだ報告書の1枚を取り出す。

 『卒業証書の筒を抱いてすました顔の腹違いの妹』

 それは楢崎のマンションで出会った狙撃手スナイパーのような眼を持ったあの彼女だった。

 


 秋の朝日が眩しい。国道まではほんの少しの道程だ。


 ― 完 ―








 

 

 


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― 新着の感想 ―
[良い点] 展開が早くて、完結まで一気に駆け抜けたような疾走感。 会社で役に立ってなさそうなのに、実は危険なオジサンの立花さんがかっこいい! [気になる点] 顔立ち、体格、髪型等、主人公の外見的記述…
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