第001話
俺の名前は、ゲール・アークライト。ここプリン王国の片隅に小さな領地を持つ、アークライト男爵家の次男だ。
俺には兄と妹がいる。長男である兄はいずれ男爵家を継ぐ。領地も屋敷も家名も、基本的には全部兄のものになる。
別に不満はない。この国では普通のことだし、俺自身も領主になりたいとは思っていない。面倒そうだからな。
領民の揉め事、税の管理、農作物の出来、災害、近隣貴族との付き合い。領主というのは、偉そうに椅子へ座っているだけでは務まらない。少なくとも父を見ている限りでは、そう思う。
つまり次男である俺は、いずれ家を出て、自力で食っていかなければならない。
まあ、それはいい。
男なら自分の食い扶持くらい自分で稼げ。父にも昔からそう言われているし、俺もそのつもりだ。
問題は妹だった。
妹はいずれ、近隣の似たような家格の貴族へ嫁ぐことになるだろう。貴族の娘として生まれた以上、結婚は本人だけの問題ではない。家と家を繋ぎ、領地同士の関係を良くするもの。場合によっては借金の肩代わりや、政治的な取引に使われることさえある。
嫌な話だが、これもまた現実である。
そして正直に言おう。
うちは貧乏だ。
本当に貧乏だ。
貴族といっても、名前ばかりの貧乏男爵家。領地のほとんどは畑と森で、特別な鉱山があるわけでもなければ、大きな街道が通っているわけでもない。
観光名所?
ない。
珍しい特産品?
ない。
温泉?
そんな洒落たものもない。
たまに父が庭を眺めながら、
「うちにも何か一つ、金になるものが湧いてくれんものか」
と呟いているくらいだ。
気持ちは分かる。俺もそう思う。
だが、いくら庭を眺めても金貨は生えてこない。
領民から取れる税にだって限度がある。無理に取れば領民が死ぬし、領民が死ねば領地も死ぬ。だから父も必要以上の税は取らない。
結果、我が家も貧乏。領民もそれなり。みんな仲良く貧乏である。
夕食に肉が出れば少し嬉しい。砂糖を使った菓子が出れば祝い事。屋敷の家具だって壊れたら新調するのではなく、まず修理。さらに修理。もう一回修理。それでも駄目なら、ようやく買い替える。
父が若い頃から使っている机なんて、脚の色が左右で違う。一度折れたらしい。
貴族の屋敷としてどうなんだと思わなくもないが、使えるなら問題ない。これがアークライト家の家訓みたいなものだ。
そんな家だから、当然、妹に持たせてやれる持参金だって大した額にはならない。
そして世の中、金だ。
いや、愛や友情、誠実さ。そういうものが大切なのは分かっている。
だが、それはそれとして金は大切だ。
ものすごく大切だ。
持参金が多ければ、それだけ良い縁談が来る。家柄が良く、年齢が近く、性格もまともで、将来性もある。そういう相手を選びやすくなる。
逆に持参金が少なければ、こちらが選べる立場ではなくなる。
つまり――
**お金こそ、正義。**
これは真理である。
ちなみに、うちの妹はかわいい。
これは兄としてのひいき目を抜きにしても間違いない。
……いや。
多少は入っているかもしれない。
妹だからな。仕方ない。
だが、かわいいものはかわいい。
小さい頃から俺の後ろをついて回り、俺が庭へ行けば庭へ来る。畑へ行けば畑へ来る。俺が木へ登れば、
「私も登る!」
と言って登り始め――落ちた。
あの時は本当に焦った。
幸い大した怪我はなかったけど。
そんな妹が、持参金が少ないというだけで、親子ほど年の離れた爺さんのところへ嫁がされる。あるいは家柄だけは立派だが酒癖が悪い男、女癖の悪い男、借金まみれの男。
そんな相手に嫁ぐ可能性だって、この世界では普通にある。
それはよろしくない。
非常によろしくない。
できることなら、ちゃんとした家の、ちゃんとした男のところへ嫁いでもらいたい。できれば妹自身が、
「この人ならいい」
と思える相手。
そして、できれば俺が一度くらい殴りたくならない相手。
……難しいかもしれない。
妹を嫁に出す兄なんて、相手が誰でも一回くらい殴りたくなる気がする。
まあ、それはその時考えよう。
とにかく、良い縁談を得るには何が必要か。
金だ。
結局そこへ戻ってくる。
というわけで、俺は将来働く。できれば給料のいい仕事に就いて、家へ金を入れ、妹の持参金を少しでも増やす。
それが俺の目標だった。
そのためには、良い学校を出るのが手っ取り早い。
プリン王国には、王立魔法学園という学校がある。王都にある国内最高峰の学園で、貴族、騎士、魔術師、官僚、商人。将来有望な若者が集まる場所だ。
卒業できれば、就職先には困らない。
王宮、騎士団、魔道士協会、大貴族の家臣、地方官吏。場合によっては王国直属の役人。
夢がある。
だが、当然ながら学費も高い。
うちには無理だ。
普通なら諦める。
だが王立魔法学園には、特待生制度がある。優秀な成績を収めれば学費免除。場合によっては寮費まで補助される。
それを知った俺は思った。
これしかない。
受かれば家の負担はゼロ。俺は良い学校へ行ける。将来の収入も上がる。妹の持参金も増やせる。
完璧。
というわけで、俺は王立魔法学園の特待生試験を受けた。
結果。
見事に落ちた。
「…………」
試験結果が張り出された掲示板の前で、俺は自分の名前がないことを確認した。
もう一度確認した。
さらにもう一度確認した。
ない。
ゲール・アークライト。
ない。
「……ですよね」
まあ、分かっていた。
自分が天才じゃないことくらい、昔から知っている。
魔力量は平均。筆記はそこそこ。実技もそこそこ。魔法属性も特別珍しくない。剣術も普通。体力も普通。
何か一つ、
「これだけなら学年一位!」
みたいなものがあれば良かったのだが。
ない。
全体的に、そこそこ。
器用貧乏という言葉がこれほど似合う男も珍しい。
いや、貧乏なのは器用さじゃなくて家なんだけど。
それでも、やらないよりはマシだと思ったのだ。
挑戦しなければ可能性はゼロ。挑戦すれば、ほんの少しくらい可能性がある。
その考え自体は間違っていない。
ただし、結果が伴わなければ現実は普通に厳しい。
「さて……どうするかな」
学園の門を出ながら、俺は頭を抱えた。
普通に入学するとなれば、当然ながら学費がかかる。入学金、授業料、寮費、教材費、制服、その他諸々。
考えただけで胃が痛い。
うちにそんな余裕はない。
妹の持参金どころか、俺の学費で家が傾いたら本末転倒だ。
父なら、
「何とかする」
と言うだろう。
母も、
「あなたの将来のためなら」
と言うだろう。
兄だって、
「気にせず行け」
と言うと思う。
妹なんて、
「お兄ちゃんが行きたいなら行けばいいじゃない」
くらい言いそうだ。
だからこそ、無理だ。
家族がそう言うのが分かっているから、余計に払わせたくない。
「働くか……」
俺は王都の街並みを眺めながら考える。
冒険者?
危ない。
稼げる奴は稼げるらしいが、死ぬ奴も死ぬ。
商人?
元手がない。
騎士?
いや、騎士は無理だな。剣術の成績も普通だったし。
下級貴族の次男なら、地方役人という道もある。徴税官、書記官、代官補佐。その辺りなら現実的か。
特に徴税官。
金を扱う。
響きが良い。
……いや、別に他人から搾り取るのが好きなわけじゃないぞ。ちゃんと公平に徴収するだけだ。
たぶん向いている。
「一度家に戻って、父上と相談するか……」
そう呟いて歩き出そうとした時だった。
「君、アークライト君かね?」
後ろから声をかけられた。
「はい?」
振り返ると、そこにいたのは先ほど試験会場にいた試験官の一人だった。年配の男性で、魔法実技の時、俺のスキルを確認していた人だ。
「はい。そうですが」
「少しいいかね?」
「はあ」
なんだ?
何かやらかしただろうか。
試験中に壊したものは……ない。
たぶん。
魔法を外して訓練場の端を少し焦がした気はするけど、あれくらい皆やってた。
弁償とか言われないよな?
今の俺に金の話をするのはやめてほしい。
そんな俺の心配をよそに、試験官は手元の書類へ目を落とした。
「君の固有スキルだが――《ショップ》、だったね?」
「はい」
俺は頷いた。
名前だけなら便利そうなスキルである。
実際、便利ではある。
ただし。
金があれば。
俺の意識の中に商品一覧を呼び出すことができる。食料、道具、薬、武器、雑貨、その他いろいろ。
そして金を払えば、商品を購入できる。
すごい。
ものすごくすごい。
ただし、高い。
異常に高い。
例えば、普通の店なら銀貨一枚程度で買える小型ポーション。
《ショップ》では銀貨十枚。
「誰が買うんだよ」
と初めて見た時に思った。
俺だって普通の店で買う。
胡椒、高い。
薬、高い。
食い物、だいたい高い。
品揃えは良い。でも高い。
しかも税金まで取られる。
誰に納めているのか知らないが、《ショップ》の向こうにいる神様。
徴税が厳しい。
結果、俺の固有スキルは、
**金持ちなら便利。貧乏人には宝の持ち腐れ。**
そういう能力だった。
「学園側で確認したところ、《ショップ》というスキルは極めて珍しいものらしい」
「そうなんですか?」
「ああ。少なくとも学園に残る記録では、同名の固有スキルを持つ者は確認できなかった」
「へえ……」
知らなかった。
俺にとっては、生まれた時から持っているだけの能力だ。
幼い頃は、
『大人になればいっぱい買い物できる!』
と喜んでいた。
値段を理解できる年齢になって、絶望した。
試験官は書類をめくる。
「しかも君の説明では、世間に流通していない品も表示されるそうだね?」
「ありますね」
「どういう品だ?」
「俺にもよく分からないものがあります」
「例えば?」
「見たことのない調味料とか、変な形の道具とか。あと――」
「あと?」
「明らかに値段がおかしい物とか」
「どのくらい?」
「買う気がなくなるくらいです」
「なるほど」
試験官は何かを書き込む。
嫌な予感がする。
「そこで、一つ提案がある」
「提案?」
「ああ」
試験官が俺を見る。
「学園在籍中、定期的にそのスキルの検証へ協力してもらいたい」
「検証ですか?」
「危険なことをさせるつもりはない。定期的に商品一覧を確認したり、可能であれば安価な商品を購入して性質を調べたりする程度だ」
「なるほど」
まあ、それくらいなら問題ない。
どうせ《ショップ》なんて普段ほとんど使わないし。
俺が頷くと、試験官はさらに続けた。
「それを条件に、君の学費を全額免除して入学を認めることができる」
「入学します」
「……まだ説明の途中だが」
「入学します」
即答だった。
学費。
全額。
免除。
その言葉の前では、詳しい説明など些細な問題である。
「寮費についても一部補助が――」
「ありがとうございます」
「だからまだ説明中だ」
「すみません。続けてください」
「……君、ずいぶん金に敏感だね」
「貧乏なので」
「潔いな」
試験官が少し呆れたように笑う。
俺は気にしない。
金は大事だ。
見栄を張っても腹は膨れない。
「なお、この扱いは特待生とは少し違う」
「はい」
「研究協力生という扱いになる予定だ。成績については他の生徒と同じ基準を求める」
「構いません」
「検証日程についても、授業に支障が出ないよう調整する」
「はい」
「それと、《ショップ》の使用に必要な購入費については、学園側で負担する場合もある」
「…………」
今。
ものすごく重要なことを言わなかったか?
「学園が?」
「ああ」
「お金を?」
「検証に必要なものならな」
「払ってくれる?」
「そういうことになる」
神。
目の前に神がいた。
いや。
試験官だった。
「先生」
「何だね?」
「一生ついていきます」
「重い」
こうして、特待生試験には落ちた俺だったが、妙なスキルを持っていたおかげで王立魔法学園への入学が決まった。
学費免除。
寮費一部補助。
さらに、研究目的なら《ショップ》の商品代まで学園持ち。
素晴らしい。
完璧だ。
帰ったら父上に報告しよう。
母上も喜ぶ。
兄も。
妹も。
これで家計への負担はかなり減る。
俺が学園を卒業して、良い仕事を見つけて、たくさん稼げば、妹の持参金だって増やせる。
すべて順調。
そう思っていた。
この時の俺は、まだ知らなかった。
この《ショップ》という能力のせいで、俺の平穏な学園生活が、ことあるごとに面倒な事件へ巻き込まれていくことを。
魔族。
決闘。
貴族。
神様。
その他。
俺としては関わりたくないものばかり。
そして、そのたびに仲間たちが必死に頑張り、俺も一緒に頑張る。それでもどうにもならなくなった最後の最後。
全員の視線が、俺へ集まる。
俺は《ショップ》を開き、必要な商品を見つける。
値段を見る。
財布を見る。
足りない。
いつも足りない。
「金がない…」
これが後に何度も繰り返すことになる、俺――ゲール・アークライトの学園生活の始まりだった。




