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養蝕  作者: 祐川 千
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1-5

 しばらくして、ナツメはあの夜のことを忘れた。

 志乃の言う通り、あの時聞いた何かを叩きつけるような異音を、その後一切聞かなかったからというのもある。だが何より、新しい学校や新しい友達とのやりとりが楽しくて、そちらに気を取られたからだった。

 最初の直感は当たり、クラスメイトは本当に穏やかだった。ナツメに余所者としてひどく当たるようなことはせず、むしろ無邪気な好奇心と遠い都会への憧れを素直に口にし、まるでクラスのアイドルのように扱ってくれた。

 慣れてくると、ぼんやりしているようにも感じられるほどの穏やかさの中に、屈託のない明るさも現れてきて、会話が弾むようになった。

 彼らと打ち解けるのは早かった。ナツメはクラスにいる様々なメンバーと遊ぶようになった。塾のない放課後は一緒にゲームをして遊び、週末には郊外へ出掛ける。

 そのようにして過ごすうち、クラスのほぼ全員と交流できるようになった。さらには他のクラスの子や別の学年の生徒とも遊ぶ機会ができ、別の教室へ遊びにいくこともあった。どの学級、どの学年も、ナツメのクラスに負けず劣らず平和だった。

 ──なんだか、学校の天国に来たみたい。

 いつしかナツメは、そんな感想を抱くようになった。

 転校先で、ここまでの大人数と和やかに仲良くできるなんて、誰が思うだろう。これまでの七年間の学校生活で、いざこざの起こらないクラスはなかった。いつもどこかで、些細なすれ違いや大きな衝突が起こっていた。

 どうしてこの学校は、こうも平和なのか。

 ナツメは考えた。そうして、環境のおかげなのではないかと思い至った。

 我気逢町には、驚くほど無いものが多い。鉄道が通っておらず、駅がない。バスは一時間に一本だけ。全国展開するような店はコンビニ一件のみで、料理を提供する店も、地元の小さな食堂が二、三件ある程度。スイーツショップはなく、昔ながらの果物屋が一件ある。遊びに行く場所は、小さなゲームセンターの併設されたスーパーか、隣のA市にある大型ショッピングモールと決まっている。しかも、移動方法は自転車だ。ものすごく時間がかかる。

 はっきり言って、不便で退屈だ。しかしその選択肢の少なさが、彼らの純粋さを守っているのではないだろうか。

 ある日、ナツメが都会暮らしの頃の遊び場について話したことがあった。

 あの場所では、どこへも電車を使って移動できた。駅の内外にはおびただしい数と種類の店が集まっていて、毎日異なる娯楽で遊んでいた。やることがたくさんあって迷うくらいだった。

 そのような話をした。

 別に自分の境遇を使って、自分を誇示しようとしたわけではない。新しくできた我気逢中学校の友達とそこへ遊びに行ったらどんなに楽しいだろうと思い、夏休みに都会へ遊びに行かないかと誘うためだった。

 志乃も含め、特に仲良しだった五人ほどのメンバーに提案してみた。だが、誰もが首を縦には振らなかった。

「ごめんね。楽しそうだとは思うんだけど」

 皆、口を揃えてそう言った。個別に提案したはずなのに、そろって申し訳なさそうな笑みを浮かべるところまで一致していた。

「行ってみたいって思うよ。でも楽しみ方が分からねえし、釣り合わねえよ」

 仲良しコンビの信五と幸三は顔を見合わせて頷き合っていた。

「何もない町だけど、私たちはここで遊ぶのに満足してるから」

 幼稚園からの幼馴染だという瑛美と浄美も首を横に振った。

「これで十分だよ」

 志乃も微笑んで言った。

 彼らは、自分たちの環境はもう充分に恵まれていると固く信じていた。

 置かれた場所にて、身の周りにあるものだけで慎ましく生きる。贅沢な余分のことはせず、質素な暮らしぶりに努めることで心が満たされる。だから、贅沢は自分の身の丈に合わぬ遠くにあるべきものとして、自分から遠ざける。仮に贅の片鱗を知ったとしても、束の間の夢としてしがみつかない。あっさり離れてしまう。

 どんな話題を振っても、皆それを徹底していた。

 面白いのは、これだけ自分の環境を十分だと信じていながら、自分たちの暮らす土地を、他所の人間から見てつまらない場所だと言うことだった。何もない場所、つまらない場所と言いながら、彼らはここが自分に合った場所だと言って、離れようとしない。また、この土地に新しい娯楽を作ろうという発想もない。何もなくてつまらない、この土地が自分たちの身の丈に合っているから他は必要がないと言い張るのは、謙虚を通り越して自虐のようにも感じられた。

 彼らは、自ら世界を広げようとしない。他人や他所の話は楽しく聞くが、それと自分の世界はまったくの別物とみなしている。

 彼らの無知と無欲は、表裏一体のようだった。

 この何もない土地に見合う、何もない人間でいようとするから、何かを知ろうとせず、何かを欲することもない。

 そういう外へ向かう心の動きが薄く、自分の無さを自覚しているから、自分を無理に押し出そうとすることなく、他人と衝突せずにいられるのかもしれなかった。

 ──何でそういう風になるんだろう。

 ナツメには分からない。

 これが土地柄というものなのだろうか。ナツメは、以前大人が口にしていた言葉を思い出した。

 清貧を美徳とみなしている友人たちの姿は、ナツメから見ると不思議極まりなかった。

 だが、誰もがナツメの話にちゃんと耳を傾けて心底楽しそうに接してくれるから、彼らの考え方に、大きな抵抗を抱かなかった。

 彼らは、心の底から善性である。素直にすべてありのままを捉えて、傷つけることがない。

 クラスメイト、ひいてはそれ以外の知り合った誰もが我欲が少なく、協調性が高かった。いつも相手への共感を持って話をするから、会話していて楽しい。

 純粋で、いい人ばかりなのだ。

 いつしかナツメは、以前自分のいた環境は物こそ豊かであったけれど、心は貧しかったのかもしれないとまで思うようになった。

 特に、志乃には何でも話せるようになった。志乃は話を聞くことも相槌もうまかった。好きなネットアイドルの話から母親の小言への愚痴まで、何の話題を振っても適切な表情で聞いて、欲しかった言葉をくれる。やがてナツメは、彼女をこれまでで一番の親友だと思うようになった。

 我気逢中学校に通うことになって良かった。

 ここに来てから、本当に孤独ではなくなった気がする。

 ナツメは満たされていた。

 転校から二ヶ月後、母親の溺死体を見るまでは。

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