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聖夜の黄昏  作者: 那王
6章 摩天楼の深淵
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落日の鷲

雪混じりの冷たい雨が、ワシントンD.C.の灰色のアスファルトを濡らしていた。

国防総省、ペンタゴンの長官執務室は、主を失い、がらんとした静寂に包まれていた。

ジェームズ・アシュフォードは、最後の私物が入った段ボール箱を抱え、長年見慣れた部屋の景色を名残惜しむように見渡した。

かつて世界の軍事を動かしてきたこの場所を去る寂寥感。同時に、あまりにも重すぎた責務から解放されたかのような、わずかな安堵感。そして、不透明な未来に対する漠然とした不安。

様々な感情が、彼の胸中を去来していた。

デスクの上に一つだけ残された、満面の笑みを浮かべる孫娘の写真立てだけが、彼にとっての変わらない、確かな光だった。


その時、ほとんど音もなく執務室のドアが開き、三人の人物が入ってきた。

GOGの最高経営責任者、アルフレッド・バーンズ。

その傍らに影のように付き従う、爬虫類を思わせる冷たい雰囲気の男、Dr.神室。

そして、真紅のドレスに身を包んだ、情報統括部門責任者のヴァレリアだ。


バーンズは、まるで舞台役者のように外面の良い笑みを浮かべ、神室は無感動な、それでいて値踏みするような視線で室内を見回す。ヴァレリアは、その美しい唇に嘲るような笑みを浮かべていた。


「これはアシュフォード氏、ご退任の日に大変失礼いたします。貴殿の長年にわたる国家へのご功労、心より敬意を表します」

バーンズが、抑揚のない声で言った。

「ただ、最後に一つだけ、国家の将来を左右しかねない重大な懸念事項について、確認させて頂きたいことがございまして……よろしいかな?」


アシュフォードは振り返り、三人を冷ややかに見据えた。

「私の責務は既に終わった。君たちGOGに、今更話すべきことは何もない」


「まあ、そう邪険になさらずに」

バーンズは悠然と歩み寄り、手にしていたタブレット端末をアシュフォードに向けた。画面には、解析された音声波形が表示されている。

「先日、貴方がこの執務室で、いささか『珍しい訪問者』と密談されていた、という情報が我々の元に入りましてね。それも、国際的なテロリストと目される危険な人物と、です」


再生されたのは、数日前の夜、アシュフォードとイリスが交わした会話の断片だった。

イリスの若く、しかし強い意志を感じさせる声が、静かな部屋に響く。

アシュフォードの表情は、ぴくりとも動かない。


「……憶測で、国家の元高官を侮辱するつもりかね?」


ヴァレリアが、絹を裂くような声で口を挟んだ。

「あら、憶測ですって? 私の情報網は、貴方がこの国にとって極めて危険な魔女…『黒き聖夜の審判』と個人的に接触し、あろうことか、我が社の正当な作戦行動を妨害したという確たる証拠を掴んでいるのですよ? それとも、言い逃れでもなさるおつもり?」


その時、それまで黙っていた神室が、ぬるりとした動きで一歩前に出た。

「ヒッヒッヒ……しかし、実に興味深い。あのテロリストは『魔法』なる、およそ非科学的な力を用いるとの報告も上がっております。

貴方のような、経験豊富で合理的な軍人が、そのような理解不能な存在と、あまつさえ『対話』を試みるなど……常軌を逸しているとしか思えませんな。

あるいは、貴方自身が、その理解を超えた不可解な力に、何らかのシンパシーを感じてしまった……などということは?」

彼の声は低く、蛇が這うような不気味な響きを持っていた。


バーンズが、その言葉を引き継ぐように、ゆっくりと続けた。

「もし、万が一にも、貴方のその……『個人的な御判断』が原因となって、この偉大なアメリアが再びテロの悪夢に見舞われるような事態となれば……その責任は、歴史が厳しく裁くことになるでしょうな。

貴方の輝かしい名誉も、そして……貴方が何よりも大切にされている、愛するお孫さんの輝かしい未来にさえ、拭いきれない暗い影を落とすことになりかねません」


それは、慇懃無礼な言葉遣いの裏に隠された、剥き出しの、そして冷酷な脅迫だった。

アシュフォードは、しばし三人を射抜くような強い視線で見つめ返した後、静かに、しかしはっきりとした口調で応じた。


「……この国を導くのは、お前たちのような、圧倒的な『力』と、底知れぬ『知恵』と、際限ない『富』を持つ者たちなのだろう。

だが、古い軍人を侮るなよ。富や力には決して屈さぬ。この国の未来のために、私にもまだ、やるべきことがある。貴様たちの好きにはさせん」

彼の声には、GOGの圧力に屈しない、圧倒的な胆力が漲っていた。


「お前たちの強大な力が、誤ったことに使われないことを願うばかりだ。」

彼はそれだけ言うと、最後の荷物を抱え直し、三人に背を向け、毅然とした足取りで執務室を出ていった。


重厚なドアが閉まる音が、静かに響く。

残されたバーンズ、神室、そしてヴァレリアは、互いの顔を見合わせ、邪魔者が消えたことへの満足と、計画が次の段階へ進むことへの確信を込めた、歪んだ冷酷な笑みを浮かべた。

アメリアの中枢における彼らの影響力が、さらに深く、暗く、増していくことを、その光景は物語っていた。

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