愛情の魔法
翌日、ノエルたちはアメリアへの船旅に向けて、最後の準備を進めていた。リリィは市場へ出かけ、船上で試したい料理のスパイスや保存食を熱心に選んでいる。彼女の手帳には、寄港地で手に入れたい珍しい食材のリストが、びっしりと書き込まれていた。
「この旅で、私の料理のレパートリーをもっともっと広げたいの!世界中の味をノエルたちにも食べさせてあげるわ!」
リリィは目を輝かせながら、大きな買い物袋を抱えていた。
ノエルは、自分たちの分の食料や防寒具、そしてもちろん、ルドルフのための上質な干し草も忘れずに調達した。最後に、リュックサックの一番奥に、イリスが残していった手紙と、協会で撮った二人とルドルフの写真が入ったロケットを、大切にしまった。
「イリス…必ず見つけ出すからな」
彼は心の中で、改めて固く誓った。
買い物を終え、リリィの家に戻る途中、見覚えのある小さな女の子が駆け寄ってきた。
「あ! 赤い服のお兄ちゃんと、リリィお姉ちゃん!」
それは、先日デモの騒ぎの中で出会った少女、アニーだった。
「やあ、アニー。こんにちは」
ノエルが手を振る。
「お兄ちゃんって、やっぱりサンタさんなの?」
アニーは目をキラキラさせながらノエルを見上げた。
「だって、大きなトナカイさんと一緒にいるし、赤い服着てるし、おっきな袋も持ってる! でも…お髭はまだ生えてないのね」
「あはは…」
ノエルは少し困ったように笑った。
「こんにちは、アニー。えっとね、ごめんね、僕はサンタクロースじゃないんだ。サンタクロースが大好きだから、真似して赤い服と袋を持って、旅をしてるんだよ」
とっさに嘘をついてしまった。もちろん、ノエルはまだ見習いだから、正式なサンタクロースではないというのは嘘ではない。けれど、見習いであることすら言わなかったのは、アニーが持つサンタクロースへの純粋なイメージを、壊してはいけないと思ったからだった。
「そうなんだ。ザンネン」
アニーは少ししょんぼりした。
「あらあら。サンタさんにおもちゃのお願いでもしようと思ったのかしら?」
リリィが優しく尋ねる。
「ううん、違うの!」
アニーは首を横に振ると、大切そうに抱えていた古びたウサギのぬいぐるみを差し出した。
「お礼、言いたかったんだ」
ノエルはそのぬいぐるみを見て、はっとした。見覚えがある。
「この子、バーニーっていうの。とっても仲良しなんだよ! 3歳の時のクリスマスに、サンタさんがプレゼントしてくれたの!」
アニーはぬいぐるみを優しく撫でた。
「お父さんもお母さんもお仕事で忙しくて、小さい頃はよく子供の家に預けられてて、寂しかったんだ。でもね、バーニーが来てくれてからは、いつもバーニーにお話したり、一緒に遊んだりして、ぜんぜん寂しくなくなったの! だから、サンタさんにありがとうって伝えたくて」
ノエルは、3年前にイリスと一緒に「世界を見渡す目」で覗いた、託児所で一人ぼっちだった女の子のことを鮮明に思い出した。両親の帰りを待ちながら、窓の外を寂しそうに眺めていた、あの小さな後ろ姿。
〈あの時の子だ…!〉
胸が熱くなるのを感じながら、ノエルはアニーの頭を優しく撫でた。
「そうか…バーニーとずっと仲良しなんだね。大丈夫だよ。サンタさんには、アニーがプレゼントをとっても大事にしていることも、『ありがとう』って言ってることも、ちゃんと伝わってるよ。サンタさんはね、遠いところにいても、みんなのこと、ちゃーんと見てるから」
〈ねぇ、イリス。君が届けたプレゼントが、こうして子供の心を温めて、優しさを育てているよ〉
ノエルの脳裏に、聖ニコラスの言葉が蘇る。
『今すぐには世界を変えられずとも、プレゼントを配り続けることで、子供たちの心に優しさを届けられれば。いつかその子、その孫が優しい世界を作ってくれる。儂はそう信じておるよ』
〈僕は…聖ニコラス様の言葉を、信じてみるよ〉
ノエルはアニーの頭と、彼女が抱えるバーニーを、両手でそっと撫でた。その瞬間、ピリッとした微かな魔力の流れを、指先に感じた。
「え!?」
「お兄ちゃん、どうかした?」
アニーがきょとんとしてノエルを見上げる。
すると突然、小さな、しかしはっきりとした声が聞こえてきた。
「アニー、こんにちは。いつも一緒に遊んでくれて、ありがとう」
「!?」
ノエルとリリィは驚いて顔を見合わせた。
「ノエル、今しゃべった?」
「ううん、僕じゃないよ…」
声のする方を見ると、それはアニーが手にしているウサギのぬいぐるみ、バーニーだった。ぬいぐるみの小さな口が、確かに動いている。
「あ、バーニーって、しゃべるおもちゃだったんだね! すごいなぁ。最近のAI搭載のおもちゃってやつなのかな」
と、ノエルはどこか呑気に感心していた。〈グレン爺さんが、また文句言いながらも頑張って作ってくれたんだろうな〉などと考えていた。
しかし、アニーは驚きのあまり、目を丸くして固まっている。リリィも信じられないものを見るような顔をしている。
「あはは、びっくりさせちゃったかな? ごめんね、僕、バーニーだよ」
ぬいぐるみは、少しはにかむように言った。
「バ、バーニーが…しゃべったぁぁぁ!!」
固まっていた状態から一転、アニーは満面の笑みで飛び上がって大喜びした。
「アニーとお話できて、僕もすっごく嬉しいよ! アニーがいつも僕のこと、ぎゅーって抱きしめてくれたり、大切にしてくれたから、お話しできるようになったんだ」
「私も嬉しい!! バーニーとお話ししたかったの! ねえ、ケーキ屋さんごっこしよ! リリィお姉ちゃんも、ノエルお兄ちゃんも一緒に!」
「うん、いいよ! あ、でもその前に一つだけお願い。僕がお話しできることは、アニーと、リリィお姉ちゃんと、ノエルお兄ちゃんだけの秘密にしてくれるかな? 他のみんなが知ったら、びっくりしちゃうかもしれないから」
「わかった! 絶対誰にも言わない!」
アニーは力強く頷いた。
結局、ノエルとリリィは日が暮れるまで、アニーと、そしておしゃべりになったバーニーと一緒に、他愛のない遊びに興じた。
別れの時。
「お姉ちゃんとお兄ちゃん、もうすぐお船でお出かけするんでしょ? 寂しいな…」
アニーは俯いた。
「大丈夫だよ。また必ず遊びに来るから」
リリィが優しく抱きしめる。
「うん!」
ノエルも頷いた。
「今度はもう一人、僕の大切な友達の、イリスお姉ちゃんも一緒に連れてくるからね!」
「うん! みんなでまた遊ぼうね!」
アニーは笑顔になった。
その時、バーニーが少しだけ考え込むような仕草を見せた。彼の小さな布製の頭の中に、遠い日の温かな記憶が、ふわりと蘇っていた。それは、サンタクロース協会の、たくさんのプレゼントが並ぶ明るい工房の中でのこと。バーニーは、まだ言葉を持たない、ただのウサギのぬいぐるみだった。
『よし、この子はアニーちゃんのところへ届けよう。きっと気に入ってくれるはずだ』
赤い服を着た、少し慌てん坊だけど心根の優しそうな少年の声が聞こえた。彼が自分をそっとプレゼントの箱に入れようとした、その時。
『あら、待って、ノエル。リボン、もう少し綺麗につけてあげましょう。女の子へのプレゼントですもの』
柔らかな声と共に、優しい手が自分に触れた。見上げると、銀色の長い髪を揺らし、穏やかな青い瞳をした少女が、微笑みながら自分を手に取っていた。彼女は丁寧に、ふんわりとリボンを結び直し、そして、そっと自分を撫でてくれたのだ。
『アニーちゃんのこと、よろしくね。寂しい思いをさせないように、たくさん遊んであげてね』
その優しい声と、温かい手の感触を、バーニーはずっと心の奥底で覚えていたのだ。
「ねぇ、ノエルお兄ちゃん」
バーニーが記憶の海から戻り、顔を上げた。
「イリスお姉ちゃんは、元気?」
「うーん、イリスはね、ちょっと元気じゃないかもしれないんだ。だから、僕たちが元気になるように、助けに行くんだよ」
「そうなんだ…」
バーニーは心配そうに長い耳をぴんと立てた。
「イリスお姉ちゃんは、とっても優しい子だから…よろしくね」
「え?」
ノエルは少し驚いたが、
「うん、もちろんだよ!」
と元気に返事した。
「リリィお姉ちゃーん! ノエルお兄ちゃーん! バーニーも! ばいばーい! また遊ぼうねー!」
アニーは、バーニーと一緒に、見えなくなるまで元気に手を振っていた。
手を振り返していたリリィだったが、アニーたちの姿が見えなくなると、じっとノエルの顔を見た。
「ねぇ、ノエル。さっきのバーニーのことだけど…やっぱり不思議じゃない?」
「うん? ああ、あんなに自然に喋るなんて、すごいおもちゃだよね! 僕もびっくりしたよ」
ノエルはまだ少し興奮気味に言った。
「おもちゃ、ねぇ…」
リリィは少し考え込むように続ける。
「でも、ただのおもちゃやAIにしては、変なところもあったと思うの。アニーと本当に心を通わせているみたいだったし、痛がったり、それに…どうしてイリスさんのことまで知ってたのかしら? まるで、私たちと同じように記憶や感情があるみたいに…」
「うーん…」
ノエルもリリィの言葉に、先ほどのバーニーの様子を思い返す。
「確かに、言われてみれば…。AIがイリスの名前を知ってるのはおかしいよね。それに、あの感じ…ただのプログラムされた反応じゃなかったような気もする…」
リリィはノエルの反応を見て、少し核心に触れるように問いかけた。
「ノエルはサンタクロース協会の見習いなんでしょ? あなたたちの周り…妖精さんとかもいる世界では、そういう、ちょっとファンタジーみたいな…不思議なことが起こったりはしないの? 例えば、おもちゃに心が宿るとか…」
「えっ?」
リリィの言葉に、ノエルはハッとした。彼の脳裏に、協会の古い言い伝えが蘇る。
「そういえば…昔、工房のグレン爺さんたちが話してたのを聞いたことがある…『子供たちに長く、深く愛されたおもちゃにはな、いつか心が宿ることもあるんじゃ。エルフィンの魔法と、子供の愛情が起こす奇跡じゃよ』って…。まさか、そんなおとぎ話みたいなことが、本当に…?」
ノエルは再びバーニーの姿を思い浮かべた。アニーを優しく見つめる瞳、温かい言葉、そしてイリスを心配する様子…。
「…だとしたら、バーニーは本当に…生きてるってこと…?」
ノエルの声は驚きと戸惑いに満ちていた。
リリィは、やっと核心に気づいたノエルに、少し呆れながらも頷いた。
「多分ね。まあ、詳しいことはあとでルドルフに聞いてみないと分からないけど…。少なくとも、ただのAIロボットじゃない可能性は高そうよ」
「そっか…」
ノエルはまだ信じられないといった表情で呟く。
「すごいことだ…。アニーの愛情が、奇跡を起こしたんだね…」
彼は、アニーとバーニーの絆、そしてサンタクロース協会の魔法の奥深さに、改めて思いを馳せるのだった。
その夜、リリィがルドルフに事の経緯を話すと、ルドルフは穏やかに説明してくれた。
「サンタクロース協会で作られ、子供たちに届けられたおもちゃはね、持ち主の子供に深く、長く愛されることで、その愛情を糧にして、やがて魂…というか、命を宿して動き出すことがあるんだ。それは、エルフィンたちが作るおもちゃに込められた、特別な魔法の一つだよ」
ルドルフは続けた。
「今回の場合、アニーがバーニーをとてもとても大切にしていたことと、そこにノエルの持つサンタクロースの魔力が、ほんの少し触れたことがきっかけになったんだろうね」
「やっぱり…AIロボットじゃなかったのね…」
リリィは納得したように呟いた。隣で「へえー!そうだったんだ!すごい! じゃあバーニーは本当に生きてるんだね!」と目を輝かせているノエルを見て、リリィは再びルドルフと顔を見合わせ、あきれ顔で白い目を向けた。
「ホント、自分のことなのに何も知らないんだから…」
リリィはルドルフの説明に納得し、バーニーがイリスを知っていた謎も、おそらく協会での出荷準備の際に、実際にイリスがバーニーに触れ、言葉を交わしていた記憶が残っていたのだろうと見当をつけた。
ノエルは、サンタクロースの力の奥深さと、子供たちの愛情が起こす奇跡に、改めて感動していたのだった。