悲劇の連鎖
その頃、地球の裏側。乾いた大地が広がる中東の一角では、新たな悲劇が生まれようとしていた。テレビのニュース速報が、緊迫した情報を伝えていた。
「──速報です。中東の過激派武装組織『砂漠の鷹』が、先日アメリアで発生したヘリオス・コンソーシアム社工場の爆破事件について、組織の関与を認める犯行声明を発表しました──」
そのニュースを、隠れ家のような場所で見ていたイリスは息を飲んだ。
〈そんな…!『砂漠の鷹』ですって? ヘリオスの爆破は私が…私一人がやったことなのに!〉
焦燥感が彼女を襲う。
しかし、ニュースはさらに衝撃的な展開を告げた。
「──この声明を受け、アメリア政府報道官は先ほど緊急記者会見を開き、『テロ組織による卑劣な攻撃を断じて許さない』と述べ、声明を本物と断定。報復措置として、『砂漠の鷹』の関連施設と目される地域へのミサイル攻撃、ならびに戦闘機による大規模な爆撃作戦を敢行したと発表しました──」
「やめて…!」
イリスは思わず叫んでいた。画面には、爆撃によって黒煙を上げる街の映像が映し出される。
「──この報復攻撃によって、子供を含む多くの民間人にも被害が出ているとの情報が現地から入っていますが、アメリア国防総省の報道官は『攻撃はテロリストの拠点のみを標的としたものであり、民間人の被害は確認されていない』として、これを公式に否定しています──」
〈嘘…!なんてこと…!〉
イリスの手が震える。彼女が正義のために行ったはずの行動が、意図せずして新たな憎しみと暴力の連鎖を引き起こしてしまったのだ。
〈違う…私は、戦争を終わらせたかっただけなのに…!罪のない人々を傷つけるなんて…!〉
彼女は衝動的に立ち上がり、禁書に記された転送の魔法、『瞬きの回廊』を詠唱した。空間が歪み、一瞬にして彼女の体は光に包まれ、中東の地へと転送される。
降り立った場所に広がっていたのは、数日前に見たあの少年がいた街の惨状と、何ら変わらない光景だった。いや、さらに酷くなっていた。破壊された建物、瓦礫の山、そして立ち上る黒煙。空気は硝煙と死の匂いに満ちている。
急遽、テントで作られた野営の病院には、負傷した人々が次々と運び込まれていた。泣き叫ぶ子供、呻き声を上げる老人、血に濡れた包帯を巻かれた若者…。その一方で、怒りに目を血走らせた男たちが武器を手に取り、「聖戦だ!」「アメリアに死を!」と声高に叫んでいる。憎しみが、さらなる憎しみを生む連鎖。
イリスは唇を強く噛み締めた。
「そんな…私のせいだ…私が、ヘリオスを爆破したから…こんなことに…」
圧倒的な罪悪感が、冷たい水のように彼女の心を重く締め付ける。
〈違う…私は世界を良くするために…子供たちが悲しまない世界を作るために…〉
イリスは自分に言い聞かせるように呟いた。しかし、その声はか細く震え、涙が頬を伝った。
彼女は、瓦礫のそばで倒れている、まだ幼い少女に駆け寄った。息は弱々しく、顔色は土気色だ。
イリスは震える手で少女の額に手をかざした。禁書に記された治癒の魔法、『生命の奔流』を紡ぎ出す。しかし、それは純粋な治癒の力ではない。対象者と血縁関係にある者、あるいはその対象者を深く愛する者の生命エネルギーを、本人の同意なく微量ずつ吸い上げ、分け与えるという、禁断の術。代償無き力など、この世には存在しない。
イリスの手から放たれた淡い緑色の光が、少女の体を包み込む。光は、すぐそばで泣き崩れていた母親からも、微かな輝きを吸い上げているように見えた。すると、少女の顔にわずかに血の気が戻り、ゆっくりと目を開けた。そばにいた母親が、涙を流して少女の名を呼び、抱きしめる。
〈よかった…助かった…〉
一瞬、安堵するイリス。しかし、すぐに自己嫌悪の波が押し寄せる。
〈私は…なんてことを…〉
母親ならば、自分の命を分け与えてでも子供を生かしたいと願うかもしれない。だが、イリスはその母親の同意を得たわけではない。そして、もし血縁者が近くにいなければ、この魔法は発動すらしなかっただろう。他者の尊い生命力を、勝手に代償として利用してしまった。これは、イリスのエゴ以外の何物でもない。
世界を救うために、禁断の力に手を染めた。しかし、その行為が新たな悲劇を生み、さらに罪を重ねていく。自分の行為の矛盾に、イリスの心は引き裂かれそうになっていた。彼女は、憎しみの連鎖を断ち切るどころか、その輪の中に自ら飛び込んでしまっているのかもしれない。瓦礫の上に立ち尽くす彼女の姿は、あまりにも孤独で、痛々しかった。