十一、アレックスと秘密の部屋
フィンリーがイザベラの襲来の対応をさせられ、彼女が慌ただしく去った後。
ハロルドと話をしているところに息を切らせたローガンが戻って来た。
「すまない、フィンリー。今アレックス様も戻られた。ハロルドも一緒に、例の部屋に来てもらえないだろうか」
フィンリーとハロルドは顔を見合わせる。
「意外に早いお戻りでしたね、ローガン卿。夜までお戻りにはならない予定では?」
ハロルドの言葉に、ローガンは頷いた。
「町でオリバーと合流して、彼も一緒に来ている。商会の方に動きがあったようだ」
「こちらも、フィンリーに色々話を聞いていたところです。では、行きましょうか」
昨日皆で集まった王太子アレックスの私室は、王宮の北側の突き当り……一見しては『部屋』には見えないところにある、いわゆる隠し部屋である。アレックスに認められた『側近』のみがその部屋の場所を知り、入ることが出来た。
「皆で入っては目立ちますね。私が先に行きましょう。フィンリーはローガン卿と一緒に来るといい」
ハロルドはそう言って一人先に執務室を出た。
「少ししたら俺たちも出よう。……フィンリー、大丈夫だったか? その……アレの相手は、大変だっただろう」
気遣うようなローガンの言葉に、フィンリーは盛大なため息を吐き出した。
「ええ、ええもう。聞いていた以上の嵐が吹き荒れたって感じです。あの……一応聞きますが、本当に彼女がアレックス様の婚約者に内定されたんですか?」
ローガンは困ったような顔で頷く。
「そうだな、最初から決まっていたとは俺も知らなかったが、内定したことは確からしい。婚約式を経て正式な『婚約者』となられるのだろうが……」
王の愛人である女官長の娘。妃教育はこれからだというが、それにしても周りの人間に対する態度があからさまに傲慢で、母親と王の威光をいいことに我儘放題に育った令嬢……。そんな悪印象を、『田舎者』と罵られ父親を侮辱されたフィンリーはイザベラに対して抱いていた。
「妃教育もまさか母親の男爵夫人が行うんでしょうか」
「母親以外にはアレは手に負えないだろうな。もっとも、ここまで母親が育ててきてアレなんだから、妃教育なんて施したところでたかが知れているが」
意外に辛辣にイザベラ母娘をこきおろすローガンにフィンリーは少し笑ってしまう。
「ローガン様がイザベラ嬢を苦手っていうの本当なんですね。もしかして何かされたりしました?」
「……『堅物で融通の利かない朴念仁だけど顔はいいわね! わたくしが王太子妃になったら愛人にしてあげてもよくってよ』……だそうだ。もちろん謹んでお断りした」
「うわぁ……」
苦々しげな顔で舌打ちまでしたローガンにフィンリーは苦笑する。いかにも、彼女なら言いそうではある。
「ちなみに、ハロルドもオリバーも愛人の誘いをかけられていたはずだ。あの娘は美しい容姿の男が好きらしく、王宮内で整った容姿をしている者はだいたい声をかけられている」
「えっ、婚約者に内定する前からですか?」
「アレは母親について幼い頃から王宮に出入りしているから、そうだな、前々からだ」
それを聞いてフィンリーは驚きと呆れで何と言っていいかわからなくなってしまう。
「……王太子殿下は……アレックス様がお気の毒です。アレックス様はこの先王になられるんですよね? ということはイザベラ嬢は王妃になるということで……。少なくとも僕は、彼女を王妃として尊敬することは出来ません」
これまでの前世のことを、フィンリーは思い返していた。
フィンリーはどの生でも否応なしに『奪う側』になってしまっていたが。
『奪われる側』である令嬢たちはいずれも美しく賢く驕らず、妃としての素質は十分だった。イザベラのような令嬢は一人もいなかった。
だからこそ皆、『奪う側』であるフィンリーの前々……前世の男爵令嬢を王太子や高位貴族の子息の伴侶に相応しいとは認めなかったのだから。
(……別に認めてもらおうとも思わなかったし、奪おうなんて気も一切なかったのにいつの間にかあの立ち位置にされちゃうんだから……。本当に、呪いだわ)
沈んだ顔で黙り込んだフィンリーを見て、ローガンはまた別の勘違いをしていた。
(アレックス様が可哀想? 確かにお気の毒ではあるが、まさかフィンリーはアレックス様を……好き……なの、では?)
先ほど散々アレックスとオリバーに揶揄われたローガンである。なんとなく自分がフィンリーに対してただの同情以上の感情を抱いているのだと王宮への帰り道で自覚し始めていたところで。
(アレックス様もフィンリーのことを可愛いと! 気になると! フィンリーは実は女の子なのだから、もしもフィンリーがその気になってアレックス様に秘密を打ち明けてしまったら!)
さぁっとローガンの顔が青ざめる。
「フィ……フィンリーはその、アレックス様のことを……あの」
しどろもどろに言うローガンにフィンリーは首を傾げた。
「え? 何です?」
「いや、いいんだ。とりあえず今は急ごう。フィンリーもあの部屋への道を早く覚えないとな」
「ここに来てまだ二日目ですよ僕。自分の部屋に辿り着けるかどうかも危ういのに……。でも、そうですね、早くいろんなことを覚えなくちゃ」
どうやら自分は、大きな渦の真ん中に放り出されてしまったみたいだから。
実家である辺境伯家が『攻め滅ぼされる』などという物騒な事態にある以上、フィンリーはこの王宮の中で戦わねばならない。そのために、多くの情報を得て上手く立ち回っていく必要がある。
イザベラが戻って来ないことを確認し、二人はそっと王太子の執務室を後にした。
†⁑†⁑†⁑
「あ、やっと来た。二人で王宮内デートでもしてた?」
フィンリーとローガンがその部屋の扉を開けた瞬間、からかうようなアレックスの声が出迎える。
「あんな嵐を僕に押し付けて出て行っちゃったくせに、よくそんなのんきなことが言えますねぇ、アレックス様?」
にっこりと眉を吊り上げて凄んだフィンリーにアレックスが肩を竦める。
「遅かれ早かれアレには対応することになったんだから、とりあえず何の先入観もなく当たってみた方がいいかと思って。
で、どうだった? ”魔女の娘”は」
「……『田舎者』と言われました」
フィンリーは憮然とした表情で答えた。
「ヴェルライトの一つも『手土産』に持ってこない『田舎者』と」
「ああ……それは、ごめんね……フィンリー」
アレックスが一応申し訳なさそうな顔で謝る。
「というか! その『田舎』にはですね、あの人に差し上げるようなヴェルライトなんてほんの欠片もありませんよ! アレにあげるくらいならカラスに取られた方がまだマシですね!」
憤慨するフィンリーを、他の皆が苦笑しながら見ている。魔女の娘の洗礼はよほどきつかったらしい。
「どうどう。落ち着いて。彼女はあれが通常運転だから、今度から『あー、なんだか子豚がキーキー鳴いてるなぁ』くらいに思っておいで」
アレックスはフィンリーの頭を撫でてそう言った。
「子豚て」
「そう思うとちょっとだけ可愛くも見えてくるよ? 子豚が宝石ねだってるんだ~、分不相応だなぁ~、そのことにも気づいてないんだなぁ、ってね」
それを聞いて「ぶふっ」と吹き出したのはハロルドだった。驚いてフィンリーが見ると、ハロルドは気持ちを落ち着かせるように眼鏡のブリッジを指で押さえている。
「失礼しました。黒い子豚が首飾りを巻いている姿を想像してしまったら……クッ……ふふっ……」
ハロルドは眼鏡のブリッジを押さえたまま笑っている。
「ハロルドって案外笑い上戸なんだよね……一回ツボに入っちゃうとダメなんだ」
オリバーが言ってハロルドの肩をたたく。
「子豚ちゃんが『わたくしの愛人にしてさしあげてもよろしくってよ!』とか言っていると思うと、うんまぁ……可愛いよね」
オリバーの追い打ちに、ハロルドはさらに笑いの波に飲まれていった。
「さて。ちょうど話題に出たところで真面目な話をするよ~? 辺境伯領のヴェルライトについて、ね」
アレックスがぽん、と手を叩いて空気を変える。ハロルドもようやく笑いを引き込め、元の冷静な表情に戻った。
「先ほどフィンリーにも確認したところですが、辺境伯領のヴェルライト採掘量は減っていないそうです。量を少なく報告することも辺境伯様は絶対にしないことだと。そうですね、フィンリー?」
フィンリーは大きく頷いた。
「はい。もちろん、密輸にも絶対に父上は関わっていません。むしろ摘発する側ですからね、父上は。そうなると、採掘量を少なく報告するメリットもうちには何もないんです」
自信を持って言うと、アレックスもそれを肯定してくれた。
「だよね。辺境伯自身が密輸なんかしていたらそれこそ分かりやすすぎる国王への叛意だ。フィンリーを人質に取るまでもなく、そんな事実があるなら一気に辺境伯家を潰せる口実になる。
それをしない……出来ない、ということは。密輸をしているのは別にいて、辺境伯家が邪魔だと思っているってことだよね。いっそのこと辺境伯家を潰して自分たちがヴェルライトを好きに扱いたいと思っている奴らが」
ハロルドも持っていた書類を皆に見えるように置く。
「その一味が、この書類を改竄したのでしょうね。数字の部分だけ上手く変えているつもりでしょうが……よく見ると使われているインクが違う。オリバー、ジョンストン商会で取り扱っている品に、確かインクの鑑定が出来るものがありましたよね」
にこにことオリバーが頷いた。
「出来るよ~? 特別な光を当てると、別のインクで書かれたものなら色が変わるんだ。あとこれ……下に書いた数字を隠すことが出来る塗料使ってる部分もあるんじゃないかな。フライユ帝国で最近発明されたばかりのやつ。これを使える人間もだいぶ限られてくるね」
「そんなことまで⁉ すごいんですねぇ……! じゃあ、それで父の疑惑は晴らせますよね!」
感心して目を輝かせるフィンリーに、アレックスは首を振った。
「残念ながら、これだけじゃ弱いね。これで分かるのは、『書類の数字が改竄された』という事実だけだ。誰が改竄したのか、そもそも辺境伯が最初に書いたものを自身で改竄したんだと言われれば反論できない」
フィンリーは悔しげに唇を噛んで拳を握りしめた。
あの父にこんな卑劣な罠を仕掛けるなんて。ヴェルライトを自由にしたいだけではなく、父自身への怨嗟を感じる。だが、あの優しい父がそんな恨みを買うようなことがあるだろうか。
「そこで今日オリバーが持ってきてくれた情報だ。極秘で特級のヴェルライトを使った首飾りの注文がロベルタ宝飾店に入ったようでね。このタイミングでの注文となると……」
「え? あ、でもアレックス様。特級のヴェルライトなんてそんなに簡単に手には入りませんよ。『特級』はそれこそ父の辺境伯自身が鑑定し、鑑定書を手書きします。アルデバラでも滅多に出ないんですから」
幼い頃からヴェルライト鉱山にも出入りしていたフィンリーは、ヴェルライトについても詳しかった。
ヴェルライトはその大きさや輝き、傷の有無によってランクが付けられ、上のランクの石については鑑定書が付けられる。その中でも最も質のいい、『特級』は滅多に出るものではなく、鉱山主でもある辺境伯自身が代々鑑定し鑑定書を書くのが決まりとなっていた。
「今、世に出ている『特級』は……そうですね、王妃様に献上された首飾りに使われていると聞いたことがあります」
その言葉を聞いたハロルドの眼鏡の奥の目が光る。
「……なるほど。『王妃の首飾り』ですか」
「そう。だからね、フィンリー。明日にでも、母上に会ってきて欲しいんだよね」
さらりと言ったアレックスの言葉の意味をフィンリーはとっさには理解出来なかった。
(アレックス様のお母様……ということは?)
「アレックス様のお母上……って、王妃様のことですか⁉」
王太子アレックスの母は紛れもなくこの国の王妃だ。
国王の子を唯一産むことが出来た女性。
――グレース王妃殿下。
「そうそう。母上は今離宮で暮らしているんだ。だから、ローガンと二人でちょっと行ってきてよ。うーん、馬で半日くらい走れば着くかな?」
そんなにも離れた場所にある離宮に、なぜ王妃が住んでいるのか。
そしてなぜフィンリーが王妃に会わねばならないのか。
何も知らされず、またフィンリーは『大物』に対面させられそうになっていた。
「え、なぜです?」
怪訝な顔をするフィンリーに、アレックスは片目をつぶってみせた。
「多分、君は母上と気が合うと思うよ。まぁ、ローガンとのデートだと思って行っておいで!」
「ですからアレックス様! 私とフィンリーはそういうアレではないと!」
ローガンがわめいているが、フィンリーは突然言い渡された王妃との謁見に不安しか抱けずにいた。




