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六章 フトウメイニスキトオルアクム

 読みたくないのに読んでしまうわたしは愚かだった。夜中を過ぎた頃合に、父さんや母さんが寝静まった頃合に、ベッドを抜け出したわたしは一人でその本を読み続ける。

 月明かりの下で『悪夢の絵本』を読むわたし。

 そこには『悪夢』だけが記されていた。

 だけどわたしは読んでしまう、魅入られる。視線を外せない。つま弾くようにページを捲っていく手が止まらない。わたしの指先は狂気に堕ちた夢物語をなぞり上げる。

 そこには未知の言葉がちりばめられている、異界の言葉。

 わたしのナカを狂わせながら壊し続けて魅了する、甘美なる御伽噺。

 かさかさに乾いた人間の血液は、ずっと前に死んだお姉ちゃんのモノ。乾いた時にくっ付いたりしないように、ちゃんとページを開けて乾かした。それは当時三歳のわたし。

 あれはわたしが幼かった十年前だった。

 偶然、おまつりで聖都に行った日の夕暮れ。お姉ちゃんが屋台で売られているお菓子がほしいって言って、わたしもほしいって言って二人で買いに行ったのが罪と罰の始章。

 はらはら、と空から何かが降り注ぐ。お姉ちゃんとわたしの前に、それほど大きくは無いけど少し分厚くて、落としたら床にへこみができそうなくらい重そうな本が落ちた。

 タイトルはわからない。お姉ちゃんは文字が読めるから、嬉しそうに笑ってその本を拾うとページを捲り始めた。そして一言――すっごく面白い、と満面の笑みで答える。

 その笑顔が、わたしの記憶に残された一番新しい『お姉ちゃん』。

 直後、お姉ちゃんの頭は後ろから殴られ、粉々に砕かれてしまった。やったのは違うけど同じ絵本を手にしている、だけど見た事も無いおじさん。絵本を持つ手と逆側には鉈。

 飛び散る血。

 はじける脳髄。

 開いたまま地面に落ちた絵本が、びしょびしょに濡れた。

 おじさんが笑う。お姉ちゃんの頭が壊れていく。その表情は笑みのまま、お姉ちゃんがわたしの目の前で壊されていく。お父さんもお母さんも来ない。人がみんな狂っていた。

 顔に張り付くお姉ちゃんの欠片。お姉ちゃんの一部だったモノ。おじさんはわたしを見てにやっと笑った。笑ったような気がする。それはお姉ちゃんと同じように満面の笑みだ。

 おじさんは笑っている。――この絵本はとても素晴らしい、楽しい、って。

 そして鉈を自分に向かって振るった、振るった。血が飛び散る肉が裂ける骨が砕けてわたしを濡らす。鉈の刃がおじさんの絵本に突き刺さった。解体され、粉々にされていく絵本。

 お父さんとお母さんの悲鳴と絶叫。わたしは絵本を服に隠して二人を待つ。それから先の事は記憶の中であいまい。霧の向こう側に置き去りにして、わたしは今を生きている。

 あの時の絵本。ほとんど無意識で隠して持ち帰った。こうしてページがくっ付かないように丁寧に乾かした。そこまでやった理由はわたしにもわからない、無意識だから。

 今は少し、後悔しているのかもしれない。この絵本は『麻薬』だった。

 読みたくも無いし捨ててしまいたい。だけどこうして時々でも読まずには触れずにはいられない。常に傍らに存在を感じていたくて手放せず、わたしは徐々に狂って行く。

 この絵本は悪夢しかもたらさない。

 何故わたしは読まなければいけないの?

 疑問に思う心はじわりと染みこむ狂気の前では無力。わたしは読みたくない見たくない捨ててしまいたい触れたくないと思い、でも読んで見て捨てずに触れ続ける。

 内容なんて理解できない、理解できるヤツはバケモノ。

 その直感めいた思いだけがわたしを支える。

 それだけがわたしを『わたし』にする。

 だって知らないもの。わたしはそんなモノ知りたくない。青なんて知らない赤も知らない緑って何なの橙がわからない。だけど絵本はわたしに知識を与えてしまう。詰め込もうとする。

 壊れてしまいそうな質量と息苦しさ。

 誰かがわたしを殺そうと首を締め上げる。

 哀しくて嬉しい。

 がたがたと震えながら先へ先へと視線めぐらせ、思考を走らせ。わたしの瞳が見ている世界は徐々に歪む。わずかなまばたきさえ許されない。呼吸さえ止まりそうになる。

 いつからこうなってしまったの?

 問う声は音にならず、心の奥底へ降り積もる。

 狂気の夢が、わたしを包む。今宵も。


     *  *  *


 今日もボク――もといボク達は『象徴』探し。

 手当たり次第に三人がかりで『象徴っぽいもの』を集めて、その中からピンと来たものを選び出すという作戦を始めたのはいいけど、今のところピンとくるモノはなかった。

 ちなみにボクがいるのは五階。

 アマランスが七階に、ガーネットが六階で作業中。あぁ、でも夕方が近くなってきたから二人して洞窟の方に戻って、食事やら何やらの準備をしているかもしれないな。

 表面的には、ガーネットもアマランスもケンカの類はしない。互いに相手のテリトリーに入ろうとしないって感じ。コレがいわゆる『大人の対応』ってヤツだろうか。

 うーん、やっぱり二人に関しては不安かな。

 こういう時、ヴァーミリオンが一緒にいてくれればいいのに。ボク一人じゃ、あの二人のケンカを何とかできそうにない。うぅ、今度会えたならちょっと相談してみよう……。

 とはいえ、二人の事もそうだけど、これからの事も重要だよね。この『遺跡』での作業が終わったら、また別の『遺跡』までてくてく旅をする事になっているみたい。

 ――その時はガーネットだけ、なのかな。

 もしもそうだったら、アマランスも誘ってみよう。何となく、彼とはもっと一緒にいてみたいと思っていた。こんな事を言ったら、ガーネットが拗ねるかもしれないけどね。

 それにしても、三人で探しているワリに泣きたくなるくらいに成果が出ない。

 このまま手がかりもそれっぽいものさえも何も見つからないまま、まるで降参して逃げ出すみたいに次の遺跡に行くのかな、とか思っては自分につっこみを入れている。

 諦め気分じゃ何も見つからない。無駄なくらい前向きになれ、と。

「はぁ……」

 つっこみを入れる傍らで、ボクの心の中の闇がうごめきながら囁く。色なんてモノは存在しなくて、ガーネット達は何も知らないボクで遊んでいるだけなんだろう、って。

 違う違う……そんな事はない。無いはず。

 否定する声も今は弱い。かすかな悲鳴みたいな声だ。

 たぶん、原因は『あの時』ってヤツ。ガーネットとアマランスが地下で口論した時にアマランスが言った……あの言葉が頭の中にしっかりと根を張って成長していた。

 あの時って何の事なんだろう。わからない。

 訊きたい、訊けない、訊くのが怖い。

 何よりも……『教えてもらえないかもしれない』事が、ボクは怖い。もしもうまくはぐらかされてしまったら、ずっと後になってその事に気が付いてしまったら。想像が怖い。

 そしてボクは疑問から逃げた。アマランスには全然違う質問をして、ガーネットには質問さえしなかった。弱虫で、腰抜けで、目も当てられないようなクズっぽいボク。

 こんな思いをするくらいなら、訊けばよかった。ねぇ、ガーネット、『あの時』って何の事なの、ボクにも関係がある事なの、教えてくれないと絵本で殴るよ……そんなふうに。

「絵本……」

 ふと、近くにおいてあるカバンの中に入っている絵本を、何故か今すぐに手にいて読みたくなっていた。自分でもわかる。今のボクは不安で、何かに怯えているんだ。

 怖くて不安な時は、絵本に触れていたいから。

 アマランスとの一件から、ボクはこの『絵本』から離れられなくなっている。これがそばにあるだけで心が落ち着いた。まるで後ろからぎゅっとされているような感覚だ。

「……」

 芋づる的にあの時の事を思い出して、手が古びた棚の前で止まる。

 あの日、アマランスの力で見た『本当の世界』。

 人骨が散乱する地下の壁に書かれた、色を奪い去られた人間の『断末魔』。

 あの時のショックがようやく落ち着いてきた昨日、ボクはガーネットがいない隙を見計らってアマランスに尋ねた。ガーネットはボクがショックを受けないように真実を曖昧に濁してしまうか、それ以前にはぐらかすなどして答えてくれない……そんな気がしたから。

 そういう時、はっきり言ってくれるアマランスはいい人だと思う。

 ボクは尋ねたのは『あの断末魔は地下だけ?』という事。証拠は無いけど地下だけの話じゃない気がして、知るのが怖いと思いながらも勇気を出して訊いてみた。

 彼ははっきりと言った。どこも『似たような状態』だって。ボクの目には少しも『見えていない』だけで、遺跡の壁のいたるところにあの『断末魔』は書き込まれているという。

 どうして今はただの壁なのかわからないけど、アマランス曰く『色そのものを使って書いているから汝に見えないのだろう』との事。昔はそういうモノもあったらしい。

 それを聞いた瞬間ほど、『色』が見えなくてよかったと思った事はない。ずっと遺跡の中で感じていた妙な気配の原因は、きっとあの『断末魔』なんだろうとボクは思った。つまりホンモノの怨念とかの類だったに違いない。昔は笑い飛ばすだろうけど、今なら信じられる。

 あんな『断末魔』に囲まれた状態で正気を保っていられるほど、ボクという人間の心や精神は強くないのだった。というか、未成年の十二歳。要するにお子様なんだから。

 かくして本来なら何とかしなければいけない現象に感謝しつつ、ボクは棚の中に手を突っ込んで中をまさぐっていた。さすがにこの中に骨とかは無い……と思いたい。

「ふぅ……今日はもうやめよっかなぁ」

 空振りに終わった探索。もう何回目なんだろう。疲れた心は考えないようにしてきた事ばかりを呟く。そしてボクの邪魔をした。手足を引っ張って、動けないようにする。

 それを振り払ってから、ボクは遺跡を出て行った。こんな気持ちじゃ、もし近くにあったとしても見つかるはずがないと思う。ため息を零しながら、洞窟に向かって歩いた。

 何だか、胸の奥に何かが詰まっている感じがした。ヴァーミリオンとの出逢いとかで消えたと思っていた、少なくともあれ以降は忘れていたはずの重み。息苦しくて気持ち悪くなる。

 地下での一件からゆっくりと、ボクの中でまた存在を大きくしていた。それこそ、今すぐに遠くに行ってしまったヴァーミリオンが、戻ってきてくれないかなって思うくらい。

 ストレスなのかな、言いたい事を言えないでいるから。この苦しさの解決策なんて一つしか無いのに、素直に訊いてしまえばいいのに……本当にボクはバカだ。

 はぐらかされるのが怖い?

 ウソをつかれるかもしれない?

 そう思っていれば、きっと見破れるはず。そしたら、それについて徹底的に、ネチネチとしつこく問えば言いだけじゃないか。たったそれだけの事もできない、ボクはなんて弱虫か。

 もちろんボクだって、自分が常に思っているままに行動できるとは考えていない。だけど今は考えのまま行動できると思いこんでいる方が、今よりはずっとずっと『マシ』だと思えた。

 逃げていないだけ、ずっと……。

「あ……」

 てくてくと洞窟目指して森の中を歩いていると、向こうから歩いてくる青年の姿に気が付いてしまった。向こうもボクを見て、かなり嫌そうな顔をしたまま固まっている。

 間違えるものか。あの時ボクをずぶ濡れにしたヤツだ。

 どこかに行くつもりだったのか、彼は荷物を手にしている。長い髪は下ろしていて、これはこれでかっこいいのかもしれない。絶対に顔にも口にも出してやらないけど。

「お前、あの遺跡で何をしている?」

「そっちこそ、こんな森の中で何やってるんだよ。っていうか、偉そうに『お前』とか言わないでほしいんだけど。名前くらい名乗ったらどうなの?」

 再会直後に睨み合う。身長の差はだいたい頭二個分以上。見下ろされているというよりはるか高みから見下されているような感じがして、ボク的にはこの上なく不愉快で気分が最悪だ。

 疲れている身体と心に追加ダメージ。

 ボクは今度こそ殴ってやろう、とカバンから絵本を取り出そうとする。相手は剣を持っているから意味が無いかもしれないけど、それなりに硬いから多少は……大丈夫、かな。

「……エストだ」

「は?」

「名前だ。名乗れと言ったのはお前だろうが」

 律儀だった。ちょっと認識を改める。エスト、か。ちょっといい名前だ。ちゃんと忘れないように頭の中に刻む。時々ヒトの名前をど忘れするから、気をつけなきゃいけない。

 だけど、こうして名前を覚えようとするって事は、エストの事はそんなに嫌ってないんじゃないかなと自分で思った。たぶん、性格的に口論してしまうだけなんだろう、うん。

 何だか調子が狂う。第一印象と今がかみ合うようで、でも肝心な部分でズレまくっているような。次に何を言えばいいのかわからない、言うべき事を思いつけない。

「それでお前こそ何を……」

 している、と言いかけたらしいエストは、何故かそれを言えずに絶句する。細められた目で見ているのはボク。……いや、ボクが持っているカバンからはみ出た荷物だった。

 それは『絵本』。

 見つめるエストの顔はこわばっている。まるで見てはいけないものを見てしまった、とでも言いたそうな感じだ。これが普通じゃないのは知っているけど、どうしたのだろう。

「その絵本、お前は『平気』なのか?」

「はぁ?」

 平気って……エストはこれの中身を知っているの?こんな内容、ボクみたいな変わり者でもないと見ようともしないって思ってたのに。そもそも流通してるものじゃないし。

 もしかしてエストも『同じ』なのかな。

 ボクと同じ『選ばれた者』……。

「中身は知らない。……ただ、それに纏わる騒動を知ってるだけだ」

 考えが顔に出てしまっていたのか、どこか気まずそうに答えるエスト。

 違うとわかった瞬間、ボクが感じたのは『残念』という思い。

 仲間ができたのに、って思ってしまった。きっとガーネットとすれ違い気味って思っているからだろう。似ているけど彼らとボクは違う立ち位置。これは疎外感……なのかな。

「聖都は知っているな。十年ほど前、その絵本が聖都にばら撒かれた事があった。俺はまだ幼かったから、知り合いから伝え聞いただけだが、その時は酷い騒ぎになったそうだ」

「騒ぎ……?」

 あぁ、とエストは言った。何故だろう。その話を知らないのに、ボクは聞いてはいけないような気がした。早く教えてほしいと訴える欲求の影に、その思いがひっそりといた。

 きっとエストが『騒ぎ』という単語を使ったからだ。

 そこに不穏なものを感じている。

 悪い事が起きたのだと、ボクは無意識に思っていた。

「ある男は己の家族や友人、その家族を招いて殺し、道の真ん中で自殺した。他にもいきなり刃物を振り回して通行人を何人も刺し殺してから自分を刺したヤツ、自分の腹を掻っ捌いた妊婦もいたらしい。ありとあらゆる『悪夢』が溢れた日、と呼ばれているそうだ」

「十年、前……」

 その一言がボクの中にある知識と繋がった。エストは他にもいろいろと話しているみたいだったけれど、ボクの意識にはほとんど届かなかった。それどころじゃなかった。

 ばら撒いたって言った。十年くらい前にこの『絵本』を。

 失われた資質を持つ人を探すため、『選ばれた者』を探すために、『あの人』にして『あの方』が遺した原本をそのまま使って絵本を作って、ガーネット達がばら撒いたって。

 じゃあ、エストが言った事の原因は、ガーネット達?

 ガーネット達が、そんな事をしていたなんて。

 そんな事があったなんて、ボクは。

「聞いた事、無い……そんな話」

「言いにくいだろう。あの一件以降の聖都ではその『絵本』を所持しているだけで、罰を与えられる対象になっている。お前もこれから先、聖都に行く時は気をつけるんだな」

「……」

 そうじゃない、そんなのじゃない。

 自分でもわからない感情が、心の中に暗く影を落としていく。

 いくつも、いくつも。

 次第に影は湖みたいに大きくなって、影が心を染めた。

「それじゃ、俺はこれで。森の中は凶暴な獣もいる。早く帰った方がいいぞ」

 エストが去っていくのをボクは見ている。ぼんやりと、別れの言葉もなく。かなりの時間が経った頃、遠くからガーネットがボクを呼んでいる声が聞こえた。……もう空は夜だった。

 ボクは呼ばれるままに洞窟に向かう。その入り口の近くで、ガーネットがいつものように食事を作っている風景を見た。胸に込み上げるのは、戸惑いと言えなかった疑問。

 決意を固める。ボクは真っ直ぐにガーネットを見つめた。これまで走ってきた道を今から戻る事はまだできないけど、その勇気はまだ持てないままだけど、この場所で足を止める。

 ボクはもう――『逃げない』。


「ねぇ、ガーネット。十年前にこの『絵本』を作ったんだよね。確か『選ばれた者』を探すために。その中に『色を知る者』――ボクが含まれていたっていう話だったっけ」

「そうだよ」

「ばら撒いたんだってね、聖都に。やっぱり人が多いからね、聖都。人探しするのに一番適した場所だと思うよ。……そして『絵本』のせいで凄い騒ぎになって、人が死んだ」

「……」

「さっき、聖都に住んでた人が絵本を見て、この話を教えてくれた」

 無言で問う。

 そんなの事をどうしてしたのか、どうしてボクには言わなかったのか。

 理由を教えて。ボクが納得できるまで、何度だって。

 ガーネットは沈黙した。アマランスは関わるつもりは無いというか、これはボク達二人の問題だとわかってくれたらしく、無言のまま揺れる炎を見ているようだった。

「あの『絵本』はね、資格を持たない人や、資格は持っているけどそれが足りない人には副作用をもたらす事があるんだ。その結果が、その誰かに聞いた『騒ぎ』の原因だよ」

 ガーネット達でもわからなかったらしい、実際に結果を見るまで。

 後から神様が遺していった原本と見比べたけど、一字一句、そのすべてを完璧に写し取れていたのは間違いなかった。だからあの『絵本』は、元々そういう効果を持っていた。

 その事を調べ終えたのは騒動から数年後。

 ばら撒かれた絵本は世界中に散らばって……もはや、回収不可能だった。だからガーネットたちは逆に利用する事にした。単発的な『悲劇』を無視して目的を最優先した。

 語り終わったガーネットは、どこか疲れた表情をしていた。

 その整った顔には、似合わない苦笑が浮かぶ。

「仕方が無かったんだ、あれは。いずれ私達は似た事をしなければいけなかった。この願いを捨てきれないなら、いつかは必ず同じ事を一度はしなければならなかった。それをあの瞬間に行っただけ。あの瞬間まで躊躇ったり、踏みとどまったりを繰り返して……それだけさ」

 仕方がなかった、いずれはやるしか無い手段だった。

 ……それは、本当に?

 全部わかっていて、やったんじゃないの?

 心の底から疑いの感情が、じわりと滲み出ていく。

 ボクはずっとガーネット達は『人助け』をしていると思っていた。色という概念との繋がりを断ち切られた人間。その繋がりを再生しようとしているのが彼らだって思った。

 でも、違ったのかもしれない。ボクが勝手にそう思いこんでいただけで、実際はそこまでの事を思っていたわけじゃなかったのかもしれない。心がガクガクと揺れ動いた。

 思えば、作業についての詳しい事は、何も聞かされていなかった。どうして『象徴』が必要なのかとか、必要最低限とも思える知識さえ、ボクの中には存在していなかった。

 この『絵本』が何なのかもわからない。

 ボクが子供だから教えてくれなかったのかな。

 それとも教える必要が無いって、そんな価値さえ無いって――事?

「ボク、少し散歩してくる」

 立ち上がり、焚き火に背を向けるボク。絵本が入ったカバンは持っていく。最近はどこへ行くにも持って歩いていたから、たぶん変には見えなかったと思う。

 ねぇ、ガーネット。ボクはあの薄暗くて不気味な遺跡の中で、マネキンのバラバラ死体とか人骨と戦いながら『何』をしていたのか。そもそもここにいる理由さえ、わからないよ。

 ガーネットは本当の事を言ってくれたのかもしれないね。もしかしたらボクを思ってウソを少し混ぜたのかもしれないね。きっと前のボクなら拗ねるように怒るだけだったよ。

 今はね、一つのウソが百のウソに聞こえてしまう。

 色が存在するのかさえ、もう信じられない。

 アマランスが実際に見せてくれた、だけどそれさえ信じられない。

 違う。ガーネット達が教えてくれる、伝えてくれるモノすべてが信じられなかった。信じたいと思っているのに、真っ直ぐに質問をぶつけたら答えてくれると思うのに。

 それさえごまかすためのウソなんじゃないかって、思って。そんな自分がとても嫌いになりそうだった。だから少しだけ、本当に少しだけ関係が無い場所に行きたかった。

「少しだけ、だから……すぐ戻るね」

 言い訳しながらボクは歩く。ガーネット達は追ってこない。少しはボクを信頼しているのかもしれない。そう思ったら胸がズキリと痛む。だけど足は止まらないで、前に進む。

 街道に出て、道なりに歩けば明日にでもどこかの町に着くはず。お金はちょっとだけ持ってきてしまった。さすがに何も無いままで旅ができる、とは思ってないから。

 明日、町に着いたら一人で考えてみよう……。

 旅の理由、『色』の意味、世界。

 ボクが関わってしまったいろんな事を、ボク一人で。

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