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五章 イロイロナヒゲキ

 朝早く、ガーネットは近く――といっても遺跡から『一番近い』だけで、往復に半日くらいかかる場所にある宿場町に、二人分の食料と衣類などの他雑貨を買い出しに行った。

 あと二週間くらいは『遺跡』の傍で寝泊りし、色の『象徴』を探すらしい。出かける時にガーネットは『見つけたモノは一箇所に纏めておいてね』と、何度も言っていた。

 全部を運べなかったとしても、遺跡内の一箇所に固めておけば確認しやすい。たぶんそういう事を言いたかったんじゃないかな、とボクは解釈した。

 ただ、一つだけ重要な問題が浮上している。

 それは――纏めるほど捜し物が見つからない事。

 腹時計的にもうすぐお昼なんだけど、ボクはまだ何も見つけられずにいたのだった。

 仕方がないので『遺跡』の屋上に向かう。この場所がお気に入りになった。

 いつか色を『見る』事ができるようになったら、真っ先にここからの眺めを思うがままに独占し、堪能しつくしてやろう……と、心で思いながら昼食タイム。

 といっても縦に切り込みが入ったパンに、塩とコショウを降りかけて焚き火で炙ったソーセージを挟んだだけの、とてつもなくシンプルで簡単なシロモノ。まぁ、お腹に溜まるなら何でもいいかなって感じだった。それにまずいわけじゃなく、すっごく美味しいし。

「んー、おいしー」

 頬張りながら満面の笑みを浮かべるボク。

 あぁ、久しぶりだなぁ、この極上ソーセージ。

 お金の都合ができたからって、やっと自給自足の生活から解放されたボクは、まさに天にも上るような幸福に浸っていた。貧乏はやっぱり嫌だと思う。飢えほど恐ろしいものは無い。

 それにしても、と思いながら、ボクは少し欠けた『お昼ご飯』を見た。

「……ガーネットって料理が上手だなぁ」

 最初の一口を飲み込んでから、ボクは呟いた。旅の間、何度か野宿する事になって料理を作ったんだけど、ボクよりずっと手際がよくて味付けもちょうどいい感じだった。

 そりゃ、ボクだって簡単な家庭料理なら作れる。

 まぁ、レパートリーは少ないけど。

 これから旅を続けるなら、少しだけでも料理を覚えた方がよさそう。いつまでもガーネット任せにするわけにはいかないし、子供じゃないんだって事を主張するいい機会だ。

 今日の夕飯は自分が作ろう、とボクは決意する。反対されても知った事か。いっそ『象徴』らしきモノを大量にかき集めて、確認作業という用事を無理やり押し付けてもいい。

 まぁ、何が何でも作るって言い張ったら、渋々でも作らせてくれそう。

 だから本当に問題になってくるのは『献立』。ガーネットは買い物を担当しているからある程度考えているだろうけど、ボクの場合はぶっつけ本番状態なんだから。

 今のうちに野宿でも作れる料理を、考えてみないと。

 やっぱスープかな。近くに川があるから水に関しては問題無いし、変な材料でもない限りそれなりのものが作れるだろうし……。具を多く入れたらお腹にたまってハッピー。

 もぐもぐ、と昼食を胃袋に押し込みながら考える。まぁ、ガーネットが何を買ってくるかでどうなるか不明だし、今はおとなしく自分の成すべき事だけを考えるべきかな。

「んー」

 大きく身体をそらせて、筋を伸ばす。

 そのまま勢い余って後ろに転がって――ガーネットじゃない、誰かの足が見えた。

「……ふん、ガーネットのヤツはいないのか」

 そう言いながらキョロキョロするのは長髪美形。

 例によって見覚えはナシ。

 背格好はガーネットより少し年上って感じで、着ている服は重そうな感じがするデザインに見えた。そんなに寒い季節じゃないけど、彼はコートっぽい服を羽織っている。

 そのコートっぽい服が風でバサバサしないためなのか、太かったり細かったりする複数の紐が腰に巻かれていて、袖口は通常の二倍以上ってくらい広く作られていた。

 後頭部で一纏めに結われた長髪や整った顔つきからして、何となく初対面の人には『長身美女』と思われていそうな感じがする。

 実際、ボクも声を聞かなかったら女の人だと思ったはず。

 で、そのクールビューティなお兄さんは、細長い楕円形のメガネのずれを直す。

 おかしくもかっこよく見せようとしているわけでもない仕草だけど、彼には妙に似合って見えた。仕草が似合っているのか、メガネという物体が似合っているのかは不明。

「その……どちら様?」

 恐る恐る声をかけてみる。

 それから、この人が悪い人だったどうしよう、と思ったけど後の祭り。

「汝はガーネットから、我の事を聞いていないのか」

「うん、全然。仲間がいるって事は言ってた気がするけど」

「ならば仕方がないな。我はアマランス。不本意ながらガーネット――そして他の連中とは同じ目標に向かっているという事になっている。それ以上の事は言いたくない」

「はぁ……」

 つっけんどんな対応。普段なら『何様だテメー』くらいの事は思うボクだけど、いい意味でも悪い意味でも外見によく似合う態度だったので、あぁ、まーいいか、とか思っていた。

 それにしてもアマランスは、いったい何をしに来たんだろう。ガーネットに用事でもあったのかな。確か彼の第一声はそんな感じだった……ような気がするし。

 何だかタイミングが悪い人だなぁ、とボクは思う。とりあえず彼がこの近辺にいない事だけでも伝えた方がいいだろう。もしかしたら別の場所で、他の用事があるかもしれないし。

「ガーネットは買い物に行っちゃったよ。暗くなるまで帰ってこないと思うけど」

「そのようだな……ふむ」

 顎の近くに指を当てて、何か考え始めるアマランス。ズレたメガネを直す姿もかなり似合ってたけど、何かを考えている表情もビシっと似合う人だった。知的美人、って感じかな。

 たぶん、とても頭がいい人なんだろうな。

 ガーネットもそうだけど知的に見える人って、二人が出現するまでボクの周りにはいなかったタイプだ。カッコイイというか、憧れている感じというか、いい感じがする。

 そう言えばガーネットの『仲間』って、結局何人くらいいるんだろう。いつか全員と顔をあわせる日が来ると思うけど、普通でいいから他の人はあんまり変な人じゃないといいな。

 ……まぁ、ボクだってあまり人の事言えないけどさ。

「ところで、さっきから見ていたのだが」

「ん?」

「汝とガーネットは、この『遺跡』で何をしているのだ?」

「何って……」

 こういう『遺跡』にしか残されていない『色』という存在の残り香。ガーネットが『色の象徴』と呼ぶモノを探している事を、もしかしてアマランスは知らないのだろうか。

「説明は難しいけど……その、『探し物』かな」

「……は?」

「いや、ガーネットがね、この『遺跡』にある色の『象徴』を探すって言うから」

 それからこの『遺跡』に来てからの事を、簡単に説明していく。

 ボクがガーネットの目的をよく知らない事は伝わったらしく、話が終わった直後、アマランスの口からはボクが今まで聞いた事が無いくらい深いため息が漏れた。

 あと何か呟いている。

 あの愚か者め、手緩い、卑怯者、ほか多数。何だか酷い言われ方だった。一部聞き取れなかったとはいえ、あれだけ罵詈雑言を叩きつけていれば、鈍いボクもさすがに気がついてくる。

 八割以上の確率で、アマランスはガーネットが嫌いだ。

 単にガーネットの事が苦手なだけかもしれない。ボクは苦手な人って少ないけど、一人もいないわけじゃない。だけど苦手というだけであれだけの反応は……普通、無いよね。

 もちろんアマランスという人物自体が、そういうタイプの可能性もある。

 判断するには、ちょっと交流が足りないかな。

「まぁいい。我の用事は汝だ」

「ボク?」

「汝に見せておきたい事がある。ガーネットや他の者では見せないだろうからな。我が一肌脱いでやろうと思ったのだ。感謝して我についてくるがいい。しばし歩く」

「えっと、『遺跡』から離れる……とか?」

「心配するな」

 そこまで言って、アマランスはボクに背を向ける。彼の長い髪がボクの目の前で、まるで踊るようにさらっと揺れた。そのツヤツヤでサラサラな長髪は羨ましい。

「我の目的地は『地下』だ。この建物は地下にも広がっている。……その最下層にいく」

「……最下層」

 ボクの声は、たぶんかなり沈んでいたと思う。

 その場所には午前中に行った。というか探そうと思って真っ先に向かった。だけど実際にいたのはほんの数秒。室内を懐中電灯で照らした瞬間、ボクは逃げ出していたから。

 初めて中に入った時の『マネキンバラバラ殺人事件』も酷かったけど、あれはよく見れば確かに人形そのものだったし、今では不気味と思っても逃げ出すほどじゃない。

 慣れたとも言う。というか、どこへ行っても似たような光景で、慣れるしかなかった。

 そして地下には『本物』が転がっていた。懐中電灯の光の中に浮かび上がる、無数の白い棒とか穴が開いた丸い物体とか。……あう、思い出しただけで気持ち悪い。吐きそう。

 大小さまざまな棚が散乱する、まさに散らかり放題の室内。

 本当に足の踏み場も無いくらい、人間の骨が転がっていたのだった。

 まるでその場所では『人間』を売っていたかのような光景。

 たかが骨されど骨。見た目が人間っぽく見えるマネキンとはワケが違う。

 明らかに人間のものとわかる頭蓋骨を視界に入れた時に感じたのは、背中を中心に肌の上をぞわりと這い回る虫の感覚だった。鳥肌なんてかわいらしいレベルじゃない。

 マネキン事件は『視界的』に恐ろしかった。怖かった。

 見た瞬間は叫びそうになったし、ガーネットがいなかったら叫んで逃げ出した。それでも一年後には事件など忘れているか、覚えていてもくすっと笑えるような思い出になる。

 でも人骨事件は違う。

 たとえ詳しい光景を忘れたとしても、出来事そのものを忘れる事はできない。

 そして、思い出して笑うなんて事もない。

 心の隅にじわりと滲んだシミみたい。

 アマランスには悪いけど、ボクは死んでも地下には行きたくなかった。この『遺跡』に地下が存在しているという事、それ自体を記憶から追い出してなかった事にしたい。

「何をしている。さっさと行くぞ」

 でもアマランス相手に抵抗は無理そうだった。逃げても捕まえられて、抱えられて、荷物みたいに運ばれてしまいそう。体格の差っていろいろと不都合が出てくると思う。

 別にガーネットやアマランスより大きくなりたいってワケじゃない。とりあえずあと頭一個分くらいは大きくなりたいとは思う。さすがに大人になってもこのままは辛い。

 歩き出すアマランスの背中を、ボクはちょっと羨ましそうに見ていた。

 昼間なのに『遺跡』の中は薄暗い。懐中電灯がないと、物に足を引っ掛けて転んでしまいそうなくらいだった。アマランスはボクの懐中電灯の明かりの、その先を歩く。

 ……前、ちゃんと見えてるのかな。ちょっと不安になった。

 どれくらい降りてきたのかわからないけど、まだ半分も来ていないと思う。この遺跡は何故か知らないけど階段同士が近い場所にあるからよかった。歩き回らなきゃいけなかったらと想像するだけで、今すぐに三つ指付いて『実家に帰らせていただきたます』とか言いたくなる。

「……『あの方』はかわいそうな方だった」

 ふいに、アマランスが口を開いた。ボクの視線に気がついたとか、ボクに言わなきゃいけない事を思い出したとかいうわけではなく、ぼんやりと思い出したって感じだった。

 アマランスはボクを置き去りにする勢いで、すたすたと進んでいく。

 でも明かりはボクが手にしている懐中電灯だけだし、ボクの前を歩く彼はちゃんと前が見えているのだろうか。正直、何かを思い出して語るより、前を見て歩いてほしい。

「すべての人に傷つけられた。誰もが加害者となって、『あの方』を責め立てた。必死に守っていた『大切なモノ』さえ奪い去り、気が付けば何もかもを亡くされた。それがわかっていながらも、人間はまだ『あの方』から奪い、その優しい心を踏みにじろうとして」

 その声は鋭利な刃物。

「失った事さえ知らぬ今の人間は『幸福』だ。絶望に等しい『喪失』が無いのだから」

「……」

「大切なモノを失ってしまったと気が付いた時、人間は形を失う。失ったモノの変わりに縋りつく何かを求める。……そしていつしか『失ったモノ』の存在を忘れるのだ」

 かつん、とアマランスの足が止まる。気が付くとそこはもう地下だった。

 中の光景を思い出したボクの身体はがたがたと細かく震えだし、今すぐにでもこの場から逃げそうになる。それを押し留めたのは、振り返ったアマランスの『言葉』だった。

「汝は『色を見たい』か?」

 その一言でボクの震えは収まり、意識は室内の事ではなく彼の発言に向かう。

「汝が望むなら、一時的にだが色を『見る』力を貸してやる」

「……えっと」

 突然の申し出に、ボクは何故か戸惑っていた。

 そりゃ、『色を見たい』けど……怖い。

 今まで自分が認識していた世界を根底から否定されそうな、ボクが抱えてきた世界が何もかも壊れてしまうんじゃないかって感覚に襲われる。気のせいだって言い切れないから、怖い。

 そんな恐怖の一方で、ボクは壊れてもかまわないから『見たい』と思っていた。

 確かに旅に出た一番の動機は『家出』だった。

 でも色を『見る』事が含まれていないわけじゃない。

 迷う。未知の領域を覗き見る勇気がほしい。あるいは拒否する勇気も。

 どれくらい悩んでいたのかわからない。たった数分かも、数十分かもしれない。

 ボクはゆっくりと首を縦に振った。

「わかった。よく見るがいい。この世界の『真実』を」

 そう言ったアマランスの指先が、ボクの肩に触れた瞬間。

 ――目の前のすべて、ボクが確認できる世界のすべてが別物に『変わった』。

 壁一面に、手当たり次第に書きなぐられた『遺書』。

 あるいは『断末魔』。時に大きく、時に美しく。時に異常な細かさで、幾重にも綴られているそれらが、容赦なくボクにグサグサと突き刺さってくる。

 その瞬間、確かにボクの世界は『壊れた』。


 ――私の瞳は『青』。だけど鏡を見てもそう『思えない』の。どうして?

 ――どうして『色』が消えたんだよ。誰が消したんだよっ

 ――お祖母ちゃんが好きな色が見つかりません。綺麗な『紺』はどこですか?

 ――返せっ。俺達に『色』を返せよっ。俺達が何をしたって言うんだ!

 ――白と黒しかわからないよ。ほかの『色』が消えちゃったよ。

 ――こんな世界は嫌いです。だから死にます。死んだらきっと『色』を取り戻せる。

 ――俺はこれを『赤』で書いてるんだよな? ちゃんと『赤』だよな!

 ――返して色を、返して、返してください。何でもしますから色を返してください。

 ――神様、助けて。私を赦して。


 これは何だろう。

 ちゃんと理解しているのに、認識する事を頭が拒否してしまう。

 そう、ボクにはそれがちゃんと『見えて』、はっきりと『読めていた』のだった。

「……どうだ、今まですぐ目の前にあったのに『見えていなかった』世界は」

 ボクが文字を眺めて呆然としていると、後ろに立っているアマランスが語りだす。それは以前ガーネットが言っていた、だけど詳しい説明をしてくれなかった『戦争』の話。

「ある日の事だ。とある大国同士が戦争を開始した。元々仲が悪い――昔から揉め事を起こしていたのだが、いつもちょっとしたケンカのようにすぐ収まっていた。だから他の国が仲裁に入ればすぐに治まるだろうと、当事者である二国の住民さえ笑うように思っていた」

 しかし。アマランスはとても苛立った声で続ける。

「仲裁に入ったタイミングは遅すぎず早すぎず、間違いなく正しかった。だが、二国の関係は手遅れだった。どうにもならないところまで悪化していた。そして所有しながらも『絶対に使ってはいけない』と硬く封じられてきた兵器に、奴らはついに手を出してしまったのだ」

 まるで自らの退路を塞ぐように、二国は同時に『禁忌』に手を伸ばした。

 手を出す、という行為そのものは、赤ん坊でもできる簡単な作業。

 それだけで一つの国が跡形も無く消えた。その『威力』に誰もが怯え――同時にその今まで知らなかった力に魅せられた。このままでは自分達の国も、跡形無く滅ぼされてしまうと恐怖する一方で、ならば同じ手段で敵対する相手を消し去ってしまえばいいと思った。

 それは次々と連鎖する。持たぬ国は持つ国に平伏した。

 そして持つ国同士で互いの領土と国民を消しあった。

 何度も何度も何度も何度も。飽きる事無く『戦争』という行為は繰り返す。

 天災よりも恐ろしい『人災』が広がる世界の片隅。ガーネットが『あの人』と呼び、アマランスが『あの方』と呼ぶ人物に、その人のすべてを壊すような悲劇が降りかかった。

 ……何があったのか、アマランスは語らなかったけれど。

 きっとそれは自分の死よりも惨たらしい悲劇で。

 人間一人が壊れてしまうのに、充分すぎるほどの悲しみを生み出した出来事。

 その結果が『色という概念の破壊』と名付けられた――『呪い』。

 アマランスの話を聞きながら見続けているこの『叫び』は、その直後に混乱した人間達が書きなぐったモノ。アマランスがいう人間の浅ましさと醜さの『象徴』だった。

 ある日突然奪われた『色』。

 誰もがその事に恐怖し、否定した。そのためにこうして文字を書きなぐって、『色』が無くなったのは一時的な病気なんだと安心しようとしたんだ。

 ……実際は、そうじゃなかった。その日を境に人間は『色』を失ったまま。

 これを書いた人達はそれを受け止めていたんだろうか。

 受け止められず、拒否し――そのまま死んだのか。

 呪いによる混乱を生き延びた人間は、次に贖罪を捧げて赦しを乞うた。

 それは『あの人』とか『あの方』とか呼ばれている、ボクが知らない誰かに向けた思い。

 でも、死者に生者の声が届く事は決してない。そして、相手が死んでしまった事など知らない『生き残り』達は、答えてくれない相手をいつしか神様として崇め奉るようになった。

 アマランス曰く、国という組織どころか、自分自身という拠り所さえ無くした人間が縋りついたのは、壊れているとしか思えないほど狂信的な崇拝だったという。

 何となくわかってきた。どうして誰もが『神様』を崇め、その教えを守っているのか。

 あの『夫婦』や他の人達は、神様のために生きている人形だった。百年も無い一生のすべてを生贄として捧げるように、何代にもわたって神様の赦しを乞い続けているんだ。

 今の人間は――許しを請うためだけの『人形』。この『遺跡』に転がっている、マネキンとかいう服を着せるための人形と、根底においては何も変わらない存在。

 彼らの言葉はもう『謝罪』じゃない。

 しいて言うなら『ご機嫌取り』。

 もしも『あの人』にして『あの方』が生きていたら、きっと――。

「アマランス……っ」

 突然聞こえたガーネットの怒鳴り声。彼には似合わない声。

 何かが勢いよく吹っ飛んで転がっていく音が聞こえて、すぐに静かになる。音と声がした方にゆっくり離船を向けると、ボクから少し離れた床の上に倒れているアマランスがいた。

 彼がさっきまで立っていた場所の近くには、息を切らせたガーネットがいる。常に浮かんでいた微笑はすっかり消えて、その顔にはぞっとするほどの殺意と怒り。ボクは――怯えた。

「キミが私を嫌うのは構わない。私達の行動を拒否するのもキミの自由だ。私個人として何かを言うつもりはない。それがキミなりの『あの人』への愛だ思いだというのならば、私達の誰一人としてそれを否定しない。……だけどこの子を、他人を巻き込むのはやめてもらおう」

「……」

「いくら『あの人』を盲信して、その思いのあまりに暴走する事もあったキミでも、それくらいの『常識』は持っていると思っていたよ。……正直、キミには失望した、アマランス」

「……何とでも言うがいい。我は正しいと思った事をしただけだ。その者が色を『見たい』と言ったから、我は望みを叶えただけ。その者が望んだものを見せてやっただけの事だ」

「だからって『これ』を見せる必要は無い! よりにもよってこんな……っ」

「人間の醜さを見せる事はいけないか。何故『色を奪われる』という事になったのか、それを知らせないままで全ての作業を終えるつもりだったのか、汝は。それとも巻き込んだ側の分際でいざとなれば、詳しい事を何も継げず切り捨てるつもりか……『あの時』のように!」

「そういう事じゃない……ただ」

「幼いからか? それとも過去の過ちに、わずかながらに後悔しているのか? ……ならば何故その『子供』を巻き込んだ。何故同じ過ちを犯そうとする。仮に話す内容の半分も理解できなくとも、説明をしてやるのが巻き込んだ者としての最低限の礼儀ではないのか?」

 そこまで言うと、アマランスはさっさと出て行ってしまう。残されたのはまだ意識が朦朧とした感じがするボクと、誰もいない方向をじっと睨んでいるガーネットだった。

「ガーネット、あの」

 声をかけようとしたけど、何を言えばいいのかわからない。ガーネットがあんなに怒っている姿なんて初めて見たし、そんな事態は想像もしてないし……ボクは混乱していた。

 二人が何を言い争っているのかがわからない。

 だから、ボクにはガーネットに対して何も言えなかった。ガーネットは僕が混乱している事なんてすぐにわかったんだろう。いつも浮かべている微笑みを零して、口を開いた。

「……彼はアマランス。私の仲間だよ。本当ならこんな場所にはいないはずだけど、たぶん邪魔をしに来たんだと思う。アマランスは『色』を満たす事に反対しているから」

 邪魔。

 本当にそうだったんだろうか。

 ……訊きたいけど、訊けなかった。

「どうして、邪魔を?」

「彼は神……色を消した『あの人』の崇拝者、みたいなモノだから。自分が信じている人がやった事が間違いであるはずが無い、『あの人』の優しい心をズタズタに引き裂いた人間なんかに価値は無い、『あの人』の遺志に反する事をするなんて許さない、ってね」

「……」

「ごめんね。よりによってアマランスが来るとは思わなかった。いや、こんな事をするとは思ってもみなかったんだ。確かに彼は私達がしている事に反対しているけれど、こんな手段にでる人物じゃないと思っていたから。最近は大人しくて、すっかり油断していた」

「いや、それはいいんだけど……」

 視線は、無意識にあの壁に。色を『見る』事ができなくなった今は、ただ薄汚れているだけの壁に見える。でも確かにそこには今の人間が失った『色』が存在していた。

 もう『色』は憶えていない。

 記憶にあるのは言葉の『意味』だけ。この場で思い出すと、さっき見た瞬間の寒気にも似た嫌な感覚まで思い出しそうで、軽く頭を振って記憶をしまいこんだ。

 かつん、と音が聞こえる。振り向くとガーネットが上へ向かって歩き出していた。

 たぶん外に出るつもりなんだろう。

 ボクはもう一度だけ奥の壁を見つめて、慌ててその後を追いかけた。


     *  *  *


「アマランスは、ボクが嫌い?」

 手を動かしながら話しかける。

「直球だな」

「いや、回りくどい事するの嫌いだから」

 がしゃこんごしゅこん、と川辺で皿を洗いながら、ボクは隣のアマランスと話す。

 彼と二人でじっくり話したいとボクが言った時、ガーネットは彼の事を獰猛な野獣扱いしているような事を口にして、必死にボクを説得しようとしていた。

 さすがにその扱いは酷いと思ったので黙らせた。

 そうして手に入れたこの時間。最後までボクの考えに納得していなかったガーネットが邪魔をしないよう、彼には焚き火の傍で『燻製作成』という雑用を押し付けて待機中。

 新鮮な鶏肉の燻製の一部は、明日の朝ごはんになる予定。残ったらこれからの旅の貴重な食料になるんだからサボらないでね、とガーネットには厳重に釘を刺した、笑顔で。

 これだけいろいろと手を尽くしたんだ。破談――ってわけじゃないけど、万が一にも火に油を注ぐような事にならないようにしなければ。がんばれ、ボク。敵は強大だぞ。

「で、どうなのかな」

 問いかけながら、ボクは逃げたいと思う。同世代の子供と比べたら精神的にタフな方だと思っているけど、さすがに面と向かった状態で『嫌い』と言われるのは想定外。

 内心どきどきしていた、怯えていた。皿を洗う手が震える。

「……我は、人間が嫌いだ」

 洗い終わった皿の水滴を拭っていた時だった。それまでの数分間、いや数十分、ずっと無言だったアマランスは、まるで言うべき言葉を見つけたように喋りだした。

「汝だけに限らず『あの方』を絶望させた、人間という種が嫌いだ」

「そっか」

「……まぁ、あの絵本を読めたのなら、汝だけは認めてやらん事も無いがな」

 あれは『あの方』が最後にお創りになったモノだ。アマランスは呟いた。

 ガーネットが『あの人』と呼び、アマランスが『あの方』と慕う存在は晩年、ボクが愛読してきたあの絵本――というよりその元になるモノを作ったらしい。そして、彼らに言った。

 もしもこの絵本を『読む』者が現れたなら、その者の意志を何よりも尊重し、その命と考えを守ってあげなさい。例え、私の遺志に反する事を望んでも、無条件に協力しなさい。

 そんな『遺言』を置き去りにして逝ってしまった。

 だからアマランスは迷っている。大切な人が最後に残した言葉に従いたい、でもその人を傷つけた人間を許せない。相反する心が身体の中で蠢き、矛盾を抱えたままボクの前に現れた。

「……同じだったんじゃないかな、って思う」

「同じ?」

「アマランスも、『あの人』って人も。大切なモノを奪った人間が嫌いで、憎くて、みんないなくなってしまえって思って。だけどその一方で信じたかった。大好きだったから」

 言いながら、ボクの頭の中には例の『夫婦』の顔が浮かんできた。それも滅多に見る事が無かった笑顔……それを最後に見たのはいつだっけ。ちょっと気になって考える。

 あぁ、そうだ。

 ボクが学校のテストで一番を取ってきた日だった。

 あれはもう半年くらい前になるのかな。

 最後に見た笑顔を思い出してしまったら、その時にどう褒められたのかも――どれだけボクが嬉しかったかも、ずっと忘れようとしていた事を全部思い出してしまった。

 いつのまには『嫌い』になっていた。

 だけど本当は『大好き』だった。

 大好きだから些細な言動に一喜一憂して、勝手に怒って家出した。

 心配してくれるかなって、思って。

 あーあ。ボクはガキ以外の何者でもなかった。

 世界から色を無くした人が、今のボクと同じ事を思っていたとは限らない。だけどそうだったらいいなって思った。本当に人間が嫌いになったわけじゃなくて、ただ……悲しくて。

 悲しみが自分一人じゃ抱えられなくなって、なのにそれでも悲しい事が減りもしないし止みもしないから。だから、憎む事で少しでも楽になりたかったのかなって、思っただけ。

「信じたい……か」

 小さな声でつぶやいたアマランス。視線は遠く――と言うより、もう届かない『過去』を見ている感じに見えた。もしかして『あの人』にして『あの方』の事を思い出してるのかな。

 そういえば名前も知らない人だった。

 やった事から考えて、いろんな意味で凄い人だったんだろう。

 まぁ、いいや。別に聞きたいわけじゃないし――ボクから訊いていい事じゃない。二人が話してくれるまで気長に待つ事にした。ボクは興味と好奇心を押さえ込む。

 とにかく、この数分間で彼の中で何か変わってくれただろうか。もちろんいきなり人間を好きになれとは言わないしできないだろうけど、少しだけでも見直してくれるといい。

 せめてここは『人間』がたくさん暮らしている世界だって事を、少しだけでも思い出して頭の隅っこでもいいから認識して発言してくれればね……。いや、これは冗談じゃない。

 この辺りはボク以外に誰もいないからいいけど、街中で『人間が嫌い』発言したら頭の中身がかわいそうな人扱いされかねない。それはちょっとかわいそう。

「まぁ、いいや。ボク疲れたからもう寝るね。おやすみ……」

「……」

「あ、ガーネットと仲直りしてよね。今度殴り合いなんかしたら、ボクも殴る」

 洗った食器を抱えて歩く。ガーネットは心配そうにボクを見ていたけど、正直、今日はいろいろと疲れたので軽く報告だけをして寝る事にした。それにアマランスも何か言うだろうし。

 焚き火から少し離れた場所で毛布にくるまり、ボクは疲れた身体と心を休める。二人が何か話している様子だったけど、ボクは聞き耳を立てる間もなく眠りに落ちた。

 結局、『あの時』って何の事なのか、訊けないまま。


「仲直りおめでとう」

「別にあの子供とケンカをした覚えは無いのだが」

「まぁ、別にいいじゃないか。それにしても、キミがどうしてここに?」

「汝に伝える事があったからだ。……聖都にいるネイビーからの知らせだ」

「ネイビーからの……? まさか彼女の身に何か?」

「ただの連絡だ」

「なんだ、よかった」

「実際は遠方にいるセレスティアルからの知らせで、全員と連絡が取れるネイビーを経由して我らに知らせようとしたらしいが……どうも『奴ら』が動いているらしい」

「……そう」

「まったく。厄介な連中だ」

「そうかな? キミと同じ思想の持ち主だと思うけどね、アマランス」

「我は人間が嫌いなだけで、完全に『色』を消し去りたいわけではない。絵本の持ち主が現れたのならば、我は『あの方』の遺志を尊重したいと思う。連中と同列に扱うのはやめろ」

「……それで、わざわざ来たわけか」

「さすがにやつらが相手では不利だと思ったまでの事。……あの子供のためでも、汝のためでもないという事を忘れるな。我は人間も嫌いだが、汝の事はもっと嫌いなのだから」

「はいはい」

「それにしても……」

「ん?」

「いや、少し気になっただけの事だ。どうして『奴』があんな行動をとるのか。あの一件の後に突如いなくなったと思えば、いきなり現れて我らの邪魔を……理由が思い当たらない」

「……」

「これからは常に二人以上が、あの子に付き添うべきかもしれない。汝の考えに同意などしたくは無いが、おそらくこれが『ラストチャンス』なのだろう。……十年前の事を考えればムダにはしたくない。やつらが裏で動いているという辺りが、どうも不安で仕方が無い」

「そうだね。あの子は何が何でも守らないと。同じ失敗だけは避けなければ」

「あぁ、そうだな」

「……ふむ、人間嫌いのキミが『人間を守る』事に同意するとは思わなかったな」

「何でもかんでも嫌っているわけではない。……ただ、あの子供は特別というか、他の人間よりは信頼できると思っただけだ。それにさっきも言ったように、我は『色)を消し去りたいわけではないのだからな。あぁ、それでも人間を嫌っているという事に変更点は無いぞ」

「ふぅん。まぁ、いいか。そういう事にしておこう」

「気分を害した……我はもう休む。汝もさっさと休むがいい」

「はいはい、おやすみアマランス」

「……ふん」


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