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一章 イロヲシルモノ

 退屈で仕方が無い日々。

 誰もが勤勉に励み、休日は神への祈りで終わる。貴族や金持ちはともかく王族でさえ過度の贅沢はせず、神のためにという名目で貧しいものに分け与える。

 確かに貧富の差はあった。けれどその日を生きられぬほど貧しい人はいない。

 ――なんて平等で、平穏で、温かい世界なのだろう。

 両親により参加を強制されている、教会礼拝で連呼される言葉。

 込み上げるあくびをこらえるのにも限界があった。

 体調が悪いといってサボりたいけど、三回連続はさすがにマズい。

 どこが平等なのか神様とやらに尋ねたい。自分からすると何一つ平等じゃない。だってこの町には現在進行形で虐げられている子供が一人いる。ちっとも平等じゃないよ。

「おい、外から薪を取ってこい。それくらいできるだろう」

 偉そうに命令するのは『お父さん』。

 ヒゲをビッシリと生やしていて、仕事はマジメにこなしているらしい。

 けど、家でお酒を飲んだらすぐボクを殴る。

 この世界で三番目に大嫌い。

「あぁ、それが終わったら庭の花に水をやってね。いくらあんたでもできるでしょ?」

 偉そうに命令するのは『お母さん』。料理は上手だし裁縫も得意だけど、雑用を筆頭に自分のキャラクターってヤツに合わない事は全部ボクに押し付ける。この世界で二番目に大嫌い。

 二人への感謝なんて持っていない。まぁ、ボクという存在をこの世界に生み出してくれた事に関する、感謝めいた思いはあると思うけど……でもそれだけ。子供としての感謝は無い。

 早く大きくなりたかった。こんな人達とは、一分一秒だって一緒にいたくない。

 同じ空間の空気を吸っていたくない。

 虫唾が走るって……きっと、こういう感覚の事を言うんだろう。

 僕に優しかった死んだおじいちゃんやおばあちゃんは、二人の馴れ初めについて面白い事を話してくれた。なんと、恋愛でも見合いでもなく、『お告げ』で結婚したらしい。

 ばっかみたい。その果てに生まれたのが自分だと思うと涙が出てきそうだ。

 あいつらなんて『夫婦』という呼び名程度でいい。あれを『親』に分類するのは、過去現在未来に存在する『本当の親』に対するこの上ない侮辱であり、死より惨く耐え難い屈辱だ。

 だが、同時に納得した。

 神様の下僕である二人だからこそお告げに従って結婚し、でも恋愛感情なんてあってないようなものだから、形式的に設けた子供――ボクの事はどうでもいい。

 とてもわかりやすい思考回路。なんて醜悪なんだろう。殺したいくらいだ。

 でも、そんな二人でさえ『三番目』と『二番目』。上には上がいる。

 ――世界で一番大嫌いなのは『神様』。

 平等とか平穏とか言うだけ言って、結局この世界を見捨てた最悪の人。

 実際に会えたら顔形が変わるくらいブン殴ってやる。

 そのためにもボクは早く、ボクが望む大人になりたい。

 ボクが望む『大人』。

 とりあえず酒に溺れて子供を殴ったり、自分に似合わないと言う理由で雑用を子供に押し付ける最低最悪の『大人』じゃない。あんなの子供でもやら――ない事は無いか。

 最近の子供って怖いね、と自分も『子供』のクセして思ってみる。

 旅人にはよく間違えられるけど、これでもボクは十二歳になったばかりだ。あの『夫婦』のせいで自分から何でもやってきたからか、よく『小柄な十五歳』と間違えられている。

 大人びて見えるのかなぁ、とかは思わない。むしろ老けて見える事にぞっとした。ちなみに十七歳で成人とみなされるから、まだ十二歳のボクは五年後より先を思うと泣きたくなった。

 はぁ、と漏れるため息。井戸から汲んだ水をせっせと運ぶ。庭の花に水をまき、小屋に積まれた薪を取ってくるついでに、屋根裏に隠してある『あの絵本』を取りに行く。

 今夜からあの『夫婦』はしばらく遠くに出かける。

 それは一ヵ月後に年に一度の重要な式典――『礼拝日』が来るからだった。

 その日は世界各地から『聖都』に人が来る。この町から『聖都』まで一番早い馬車を使ったら二週間弱。でも貧乏人にそんな事はできず、つまり徒歩で行くから往復で二ヶ月。

 そしてよほどの事情が無い限り滞在は一ヶ月以上になってしまうから、三ヶ月はのんびりやりたい放題だった。この三ヶ月ほど『神様』という存在に感謝する時は無い。

 神様というよりもその狂信的な信者に感謝している、とも言うが。

 ちなみに『聖都』とはこの世界の首都的存在。

 ボクの町が属する小国を含め、この世界には常時五個前後の『国家』と呼ばれる集まりが存在しているけれど、その頂点かつ中心に立っていて、いつの時代も人々から崇め奉られているのが『聖都』という、話に聞く限りはさほど大きくはないごく普通の町だった。

 人々は年に一度、決まった日に降臨すると言われる『神様』への謁見を願い、ただ遠いだけで観光地でも産業地でもない町に、何ヶ月も費やして出かけていくのだった。

 水をまきながら家の中を窺う。ボクに雑用を押し付けた『夫婦』は、楽しげに旅行の準備をしているようだった。今年はお金を溜めたから、向こうで祈祷してもらうらしい。

 無論、祈祷される中にボクは入らない。

 入るわけが無い。入っても困る。信じてもいないどころか、殴りたいと思っているやつに祝福されても、憎しみがさらに強くなってしまうだけだ。ついでに惨めになるだけ。

 早く出かけないかな。そう願いながらさっさと水遣りを終える。

 次は絵本を回収しつつ薪を運ぶ。

 水遣りはぶっちゃけどうでもいいから適当だけど、薪に関しては今後の生活にも関わるのでマジメに。たくさん運んだら少しだけ夜が楽になるから、ちゃんと頑張らないと。

 早く出発しないかな、あの二人。

 人前では『お父さん』『お母さん』と、笑いそうになるくらい白々しい言葉で呼んでいるけれど、本当にそう思ったのは物心がついた直後の、ほんの僅かな時間だけ。

 以降は心の中でのみ『夫婦』と呼んでいる。夫婦の『夫』と『妻』。向こうがボクを『自分の子供』と認識しないのならば、こちらも相手を『自分の親』と思わないだけの事。

 ガキっぽい対抗心。でもおかげで気は楽になった。

 親と思えないやつを親と扱って、自分への処遇に傷つくから苦しいんだ。

 相手を親と思わなければ傷つかない。作っておきながら親にもなれなかったバカ二人を心の中で思う存分に蔑み、嘲笑できるようになって逆に楽しい。

 反面教師。ああなってはいけない、という失敗作サンプルが目の前にいる。

 いつか自分と自分の子供の役に立つ存在。

 そう思えばあんなのでも暮らしてやるだけの価値はあると思えた。

 これでもかなり妥協している。もちろんボクが一歩も二歩も譲っている。

 きっと、十五――成人となる十七になる前に、ボクはこの町を出て行くだろう。

 気に入らない連中と一緒にいる事ほど、精神に悪い事はないと思っている。


 夜。

 正確には夜中。

 満月が空高く上っていて、少しだけ肌寒くなってきた頃合。

 ボクは暖炉に薪を放り込み、その前で自分専用の毛布に包まっていた。思った以上に寒かったから暖炉の前で寝るつもりで、傍らにはあの絵本をちゃんと持ってきておいた。

 まぁ、要するにもう『夫婦』は出発している。

 夕飯を食べてすぐに、一緒に『聖都』に向かう近所のおじさんやおばさんと一緒に。

 子供がいる家で大人がいないのはボクの家だけだ。

 友達と呼んでもいい程度に親しい子供は羨ましがっていた。でも羨む理由はボクのそれとは別というか、ボクからすると大笑いしたくなる『子供らしい』内容だったけど。

 まぁ、理由が違うのは仕方がない。親への思いが根本的に違うのだから。

 ボクは人前では波風を立てぬよう親と呼んでいる『夫婦』の事を、いつも『鬱陶しくて邪魔で存在そのものを認めたくない空気みたいなモノ』として扱っている。

 他の子供達はボクとまったく違っている。時と場合によっては似たような扱いをしたくなるかもしれないけど、それはあくまでも一時的に感じている風邪みたいな思い。

 四六時中、それこそ夢の中でも『鬱陶しい』『邪魔』『消えてしまえ』と思っているボクからしたら足りないくらいだ。密度も重さも存在感も。すべてが絶望的なほどに足りていない。

 だから彼らは大人になっても……年老いて死の間際になっても、ボクの気持ちなど理解する事はできないだろう。理解できるとすれば、それは心の底から『親』を憎んだ瞬間に。

「ふぁむ……」

 あくびが漏れて視界が潤む。

 そろそろ寝よう。明日もいろいろと早いから。数年後――もしかしたら来年は、この時期を利用して独り立ちという名の『家出』とかしていそうな予感がずっとしている。

 お金さえあれば今年中には、いっそ今すぐにでも決行したかった。

 出て行きたいなぁ、違う場所に行きたいなぁ。

 そんな事をぼんやり思いながら、ボクは視界を閉ざしていった。毛布で身体をすっぽりと覆い隠して、イモムシみたいにごろんとカーペットを敷いた床に横たわる。

 ぱちぱちという薪が燃えていく音を聞いていると、睡魔がすぐによってきた。

 ボクは大人しく身を委ねて、ゆったりと夢の世界へ落ちていく。

 意識がふわりと消えていく瞬間は、間もなく訪れた。

「――」

 誰か、が。

「――」

 近くに、いる?

「――よ」

 煩いな。静かにしてよ。

「は――よ」

 ボクはもう寝るんだから。ほっといて。邪魔するな。

「おき――色を」

「煩い……っ」

 本で殴るぞ! と叫ばなかった自分を少しだけ褒めた。

 無論、殴る道具となっていたかもしれない『本』とは例の絵本。

 表紙が硬いので角を使うと武器として使える程度に痛いはず。

 そもそも『本で殴るぞ!』と叫ばなかったのは、『声』は夢だと思っていたから。夢につっこみいれるだけでもヤバそうなのに、『本で殴るぞ!』なんてもっとヤバいと思った。

 だけど現実だった。

 目が覚めると、目の前に見覚えが無い人がいた。

「あぁ、ようやく目覚めてくれた。おはよう」

「おは……よう?」

 そこには町のお姉さん達がうっとりしそうな美青年がいた。

 寝入りかけのところを起こされたから『おはよう』といえる時間じゃないけど、彼におはようと言われたので、つられるようにしてこっちもおはようと返す。

 ただし、いろいろと変なので疑問符つきで。

 顔のつくりは美青年。しかも好青年。男の人でも振り返りそうな凄い美形。

 問題はボクの目の前に、というか『家の中』にいる事。

 だから美青年だけど、好青年なんだけど、ボクはこいつを『不審者』とみなす。

 相手との体格的な差があるので大人しくして、隙を見て殴るか逃げるかしてやろう。

「はじめまして、『色を知る者』……ようやく出逢えたね」

 ボクの決意など知らない彼はにっこりと微笑んでくれた。温和な顔つきは微笑みを浮かべるためだけに生きていると思うほど、目を細めた仮面のような笑みを浮かべている。

 髪は全体的に短く整えられているみたいだった。

 前髪だけが真ん中で分けないと顔が全部隠れそうなほど長い。肩周りが見せ付けるように露出していて、上半身に限れば身体のラインがよくわかるぴっちりした服を着ていた。

 足首できゅっと絞っただぼだぼのズボンに、シンプルなブーツ。変に装飾の類が無いから動きやすそうに見えるけど、どう頑張っても『旅人』とか『商人』に見えない。

 全体的にちょっと、かなり、壮絶に変わっている格好、としか言えない格好だった。

 もはや怪しいなんてもんじゃなかった。こいつは『危険』だ。といっても、真夜中に他人の家に入り込んでいる時点で、怪しいとか危険とかいう状況を余裕で超越しているけれど。

 でもまぁ、そんな事を思いながらボクは結構落ち着いていた。

 いや、当たり前だけど頭の中が混乱して、何をどうするか決めかねている。

 ……叫ぶべきか、逃げるべきか、戦うべきか。

「ちょっと質問をしていいかな?」

 にこにこー、と笑いながら、彼は子供に話しかけるように言う。

 こっちは臨戦態勢に近いというのに、未だ名前を教えてくれない怪しいヤツ。

 何をしにきたのか、さっぱりわからなかった。

「空、血、葉、太陽は『何色』?」

 ……は?

 この人、このお兄さん。今、なんて言った?

 空とか血とか……なんでそんな事を訊くんだろう。

 だって『誰だって知ってる』じゃないか。世界の常識だ。

 このお兄さんはそれが常識になる前にお亡くなりになった人――要するに俗にいうユーレイさん的存在で、今になってどうしても気になったから訊きにきたのかな。

 ……いや、自分で思ってなんだけどそれは嫌だ。ボクはユーレイとか苦手だし。

「空は『青』、血は『赤』、葉は『緑』、太陽は『橙』……それが何?」

 律儀に答えてやる事も無いのに……我ながら呆れる対応だった。

 そっちの正体を言わないなら答えてやらない、くらいの脅しは言えないものか。

 ちょっと自分の育成方法を間違えた。

「なるほどね。……いや、もしかすると尋ねる人を間違えたかと思ってね。試すような事を言って申し訳ない。機嫌を直してくれると嬉しいな」

 にここー、とやっぱり無気味に笑う男。尋ねるとか試すとか、何の事だろう。

 ……っていうか誰なの、こいつ。

 ありえないくらい不審人物だ。危険だ危険だ。

 よし、とりあえずボコボコに殴ろう。変な事も危ない事もできないくらい。

 骨の一本や二本へし折ってやっても、きっと正当防衛って事になる。ボクは絵本を掴む手に力を込めた。絵本だからって甘く見るなよ。絵本でも角で殴れば絶対に痛い。

「キミは……かわいそうな子だね」

 いきなり哀れまれた。何様だコノヤロウ。ただ、目つきとか言い方とか声の感じがどうにも引っかかる感じだったから、とりあえず『問答無用で殴る』という選択肢はやめた。

「キミは迷う事無く私の質問に答えたね。そしてその絵本を持っていた。だからこそキミは生まれながらに『悲劇』を背負っているんだ。その証こそ『色を知る』という事」

「……色を、知る?」

「そう。キミは空が『青』で血が『赤』で葉が『緑』で太陽が『橙』と言い切った。だが少し考えてみるといい。……誰がそれをキミに『教えてくれた』のだろう。私の考えや予測がただしければ、そんな事は『誰も言っていない』と思うのだけど」

「……」

 そんな事は無い。はっきりと言い返せばいい。

 バカじゃないの? と、蔑んだ目を向けてやればいい。

 こいつは危ない。危険だ。危険すぎる。脳内が完璧にイってしまっている。ボクだって人の事をあれこれ言えるほどマトモじゃないけど、ここまで酷くはないと思っていたい。

 だけど。

「あれ……?」

 記憶を掘り返す。そのたびに疑問が生まれる。

 そこに在るべき『答え』が、その断片すらも見つからない焦り。

 空が『青』で血が『赤』で葉が『緑』で太陽が『橙』。

 ……ねぇ、どこの誰がそれをボクに教えてくれたんだっけ?

 よし、一つ一つじっくり考えてみよう。まずは『色』。思いつく限りだと、色といえば『髪の色』『目の色』『肌の色』『空の色』『葉の色』『花の色』以下略。まぁ、こんなところ。

 でも何か違う。彼が言っている『色』と、ボクが今思いつくままに並べた『色』達は、言葉の響きとかが似ているだけで、向かっている方向もよく似ていて、でも根本的に何かが違う。

 何が、どこが、どれが。考えても分からない。

 ボクが無言で悩んでいると、青年はボクの手から絵本をそっと取り上げた。

「では質問。……これの『色』は?」

 彼が指差したのは絵本の中に描かれた絵。美味しそうな果物・リンゴ。この質問ではっきりとわかった。やっぱりこの人はボクをバカにしているんだ。

 話が終わったら殴ろう。それからお隣のおじさんやお兄さんを呼ぼう。

「リンゴの『色』は……『赤』だよ」

「正解。まぁ、キミなら答えられると思っていたよ。だってキミは『色を知る者』だし」

 またその単語。色を知る者。意味がちっとも理解できない。

 とりあえずバカにされていると解釈する。

 早く絵本返してくれないかな。

「それじゃ……この部屋から『リンゴと同じ色』を探してごらん」

「は?」

「それできっと、私が言いたい事をスムーズに理解できるよ」

 意味深に笑うだけの青年にむっとしつつ、絵本が無い以上何もできないので、大人しく部屋の中をジーっと見て回る。座っていたらよく見えないので、毛布を羽織ったまま立ち上がる。

 後から花瓶で殴ればいいのに、と思ったけれどさすがにそれはマズそうだし、この人はたぶん大人しく殴られてくれるタイプじゃないと思う。事態の好転どころか、余計悪化しそうだ。

 リンゴの『色』、リンゴの『色』、リンゴ……。

 あんな質問をしてきたんだからこの部屋にあるはずだ。探せ、探せ……うーん。

 しばらくウロウロする。毛布を引きずりながら、背伸びしながら、普段なら見向きもしないような隅っこまで。とにかく今いる部屋のあちこちを目が痛くなるくらい凝視した。

 でも、見つからない。ただの『リンゴと同じ色』なのに。

 別に変な『色』を探せといわれたわけじゃないのに。

 小物が多いこの部屋の中で、『リンゴと同じ色』だけが欠落していた。

 しばらくして、時間切れ、と青年が言う。ボクは大人しく彼の傍に戻った。

「私が見つけて欲しかったのは、この『色』だよ」

 そう言って、彼は自分の髪を摘んだ。

 彼は自分の『髪の色』が、絵本のリンゴと同じ『色』と言った。

 ――ぐんにゃり、と腰が抜けそう。というかもう抜けた。立てない。

 気が付かなかった。ボクと彼はあんな近くにいた。だけどボクは、彼の髪と見慣れたあのリンゴが『同じ色』だなんて思いもしなかった。言われた今でも『そう思えない』自分がいた。

 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 ガタガタと震え出した身体はボクの心の表れ。心も感情もグラグラだった。

 土台とか基礎工事なんて全部吹っ飛んだ。

 あとはもう些細な一言で崩れ去るしかないくらいボロボロだ。

「キミは色を知っているだけなんだ。キミは生まれながらに、リンゴが『赤』だという事を知っていた。けれど私の髪が『赤』という事を見る事ができなかったんだ」

 その些細――というにはちょっとヘヴィな一言が。

「だからキミは『色を知る者』。この世界でたった一人……私達と共に歩む人」

 ヘヴィなワリにダメージが少ない言葉が。

「まぁ、その絵本を読めるって時点でキミは『選ばれている』んだけどね。それは元々『選ばれた者』を探すための道具だから。十年前に世に放ったはいいけど思ったように成果が出なくてね、諦めていたところへのこの反応だったから。いやぁ、よかった、よかった」

 というかヘヴィでも何でもない。

 独りで勝手に浮かれて、完結しているヤツがいた。

 とりあえず……。

 気を取り直したボクは絵本を返してもらって、パシパシ、と自分の手のひらを狙って素振りを数回。それからブンブンブンブン、と何も無いところで数回振った。

 一撃必殺。

 直後、まだ独りで完結して浮かれている青年の頭部に、絵本のそれなりに硬い角が会心の一撃としてヒットして、その青年がバタリと倒れてしまって子供が一人勝ち誇った。

 ――という事は無くあっさり避けられ、むぎゅりと抱き締められてしまっていた。

「あのね、この絵本は武器じゃないからね」

「うぅー」

「よしよし。ちょっと嬉しくってさ。神のバカがこの世界からトンズラしてから、長い間ずーっとキミという存在を私達は待っていたんだ。だからちょっと浮かれてしまってね」

 この苦労話から始まって、彼――ガーネットと名乗ったその青年は、これまでの経緯をボクに語り始めた。その間もガーネットは神をバカだノロマだ卑怯者だ、と、ボクでもびっくりするくらい貶していた。……神をバカと言い切った人を、ボクははじめて見た気がする。

 彼と彼の仲間は『聖都』と、その周辺を旅して調べ回っていたらしい。

 まさかこんな田舎――もといド田舎にいるとは思わなかった、と苦笑していた。

 まぁ、仕方がない気もする。人探しは都会の方が見つかる可能性が高そうだし、それに田舎在住でも数年に一回くらいは『聖都』に行く。ガーネット達の作戦は間違いじゃないと思う。

 ただ、ボクあの『夫婦』の家に生まれてしまった、という不運があっただけ。

 絵本をばら撒くとか町に張り込むとか、どうしてそこまでしてボクを探したのか。

 それは、ボクが『色を知る者』だったから。

 とはいえ、こう説明されてもボクに理解できたのは『ガーネットとその仲間がボクを探していた』と言う事だけ。しかもボクというより、『色を知る者』を探してたっぽいし。

「では、演劇で例えよう」

「……うん」

「世界を『舞台』、人々を『出演者』とした場合、私は『傍観者』だよ」

 その例でいうと神様は脚本家かな。そう言うと彼はその通り、と同意した。

 ガーネット曰く、ボクは『出演者』であると同時に、この演劇をリアルタイムで動かしている『脚本家』的存在らしい。つまり普通の『出演者』に、そしてガーネット達『傍観者』にもできない事でも、『脚本家』であるボクなら可能……という事だそうだ。

 そして演劇の例えで言うと、この世界は『脚本家』がいない。

 複数のシナリオ――しかもどれもこれも一部が欠損してしまっていて、途中からアドリブで乗り切らなきゃいけなくなっている台本を元に、何度も何度も演じている状態。

 その台本に飽きたら次に。まさに『手を変え品を変え』ってやつらしい。

 話が長くなりそうだったので、休憩を挟む。あんまり上手じゃないけど紅茶を淹れた。ほんのりと渋みが聞いたお茶を飲んで、寝ぼけた頭が覚醒する。後で寝れなくなる気もするけど。

 ガーネットは紅茶を飲みつつ、彼が知る『昔』をボクにもわかりやすいよう語った。

「この世界はかつて繁栄の極みに達していた。すべての人が等しく、繁栄の恩恵の中で幸福に浸っていた。その結果は『今』。……人々は神に見放された。同時に『色』という概念さえ消されてしまった。色を無くしてしまった人間、文明なんて脆いものさ。この世界はかつての繁栄と栄光をその手に取り戻すべく、もう十回以上『やり直している』んだ」

「十回……」

 知らない間に人間は十回も繁栄しかけて、滅亡した。

 国じゃなくて、この『世界』が。

 スケールが大きすぎる。ボクの理解なんて軽く超えた物語。

 でも前に学校の授業でそんな事を先生が言っていた。先生やそれ以外の多くの人は、不屈の精神を持つ民があれこれと言うけど……こういう事、だったんだ。

「滅んだら最初からやり直す。子供の積み木遊び。でも『ある一点』から先に勧めていない事に、我々『傍観者』は気がついた。国が生まれて大きく育つ過程で、彼らは他国を理解できないまま争って、滅んでいく。……これから先、このままでは繁栄など訪れない」

 その一点がきっと『神様が世界と人間を見捨てた瞬間』なのかな。ガーネットにそう問いかけたら肯定された。つまりその瞬間までの脚本しかないんだ。辿る道筋はイロイロあるけど結末が途絶えているから……唐突に終わってしまう物語。それがこの『世界』。

 と、ここで一つ疑問。

「あのさガーネット。色が無いだけでそんなに問題? っていうか、人間を見限った神様がどうして『色』を持っていくの? こう、天変地異を起こすとかじゃなくて?」

「それはいい質問だよ」

 ガーネットはよしよし、とボクの頭を撫でた。

 嬉しいけど、今度辞書の角で寝込みを襲って殴ろうと誓う。

「キミは、景色を見て『美しい』と思った事は? あるいは他人がそんな事を言っているのを見た事は? 無いと思うよ。何故なら色を抜きに美しいと感じるのは困難だ。人間ならば比較的楽だろうね。でも自然は違う。自然は『あるべき美しさ』の形が曖昧だから」

「曖昧……?」

「美女という概念にも国や地域でズレがある。でも自然の美醜にはそれが無い。あっても個人単位の好みだけ。つまり、風景ほど交流に使いやすい『美しさ』は無いんだよ」

 あぁ、つまりそういう事なんだ。何となく彼が言いたい事がわかった。

 美しい景色を写し取った絵があったとする。

 それを他の国の人が見て、感動する。そして『自分も見てみたい』とか思って実際にその場所を尋ねて、『この国は素晴らしいモノを持っている』と感心する。

 それがいろんな国同士で何度も何度も起こって、次第に国家交流が盛んになっていく。

 相手がどういう性格を持っている存在なのかわかれば、戦争という傍迷惑なケンカが起こりそうになっても、話し合いなどで何とかなるんじゃないかという事。

 今まではそんな些細な事さえできなくて、何度も滅んでいったんだ。きっと。

 誰だって知らないヤツや、得体が知れないヤツは怖い。

 怖いから警戒する。

 一方で警戒された方は『そんなつもりじゃないのに』と怒る。

 互いに怯えたり怒ったり。そして『ケンカ』。

 ……自分の中で噛み砕いてしまったけど、きっと彼はそういう事を言いたいはず。

 要約すると『コミュニケーションが絶望的なまでに足りない』という事。

 うん、確かに致命的。

「それで……ここからはキミの意志次第だから、断ってもいいんだけど」

 と、意味深過ぎるくらい意味深な発言。何となく思う。ガーネットってこういう言い方しかできないんだろうな、性格的に。でもボクはそんなに嫌いじゃない。

 事前に何にも言わないで、巻き込まれるよりはマシ。

 そう思えば、ずーっと普通に思えてくるよ……ボク的には。

「世界の真なる姿、『今』の先を……見てみたくはないかな?」

 ガーネットがにやりと笑い、ゆっくりと手を差し出す。

 ボクは少し……ほんの数秒だけ迷って。

 同じようににやっと笑って、その手をしっかりと握り返した。


 かくして、ボクはこのガーネットと一緒に、知っているだけの『色』を探して旅に出る事になったわけだけど。ぶっちゃけ神様と色と世界がどうしたこうした、あと国と国の諍いやら諸々の問題がどうこう、というのに興味があったわけじゃなかった。

 ……むしろどうでもいい。

 スケールが大きすぎるっていうのも、理由の一つだったけど。

 単純に『故郷から離れられればいいかなー』程度。

 これであの『夫婦』からぐーんと離れられるんだと思った。

 だったら色探しでも人探しでもアテが無い旅でも、何でもよかった。

 家出の口実という軽い考え……あと、ガーネットという人物が気に入ったから。

 それを少しだけ後悔するのは、初めて『禁忌の遺跡』に入った後だった。

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