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第拾壱話『紫水の策』

 鶏の鳴く早朝。

 紫水は近所の川端の水槽で顔を洗っていた。

 ふと何気なく、三段連なる内の一段目の水を口に含む。


 ――死者の気配がしない……。


 実は昨夜の夕食時、既にほぼ感じてはいなかったのだが、今朝は紫水にとって全くの清水である。


 ――どのみちまた会いに行かねばならなくなってしまいましたし、その時にでも尋ねてみますかね。本当はそっとして置いてあげたいところなのですが……。


 何やら思案顔のまま、紫水は与えた牧草を食む牛を見つめていた。


「相変わらず早起きだな。いや、お前にとってはよく寝た方か?」


 後ろからそう声をかける相手も、既に何時でも出掛けられる準備を整えていた。


「星鸞殿、おはようございます」

「ああ、おはよう。ところで、昨夜言っていた思い当たる節とは何だ? 俺は洗いざらい情報を提示したつもりだというのに、お前と来たらやけにうっすらした物言いだっただろう?」

「そうですね……その事で今、正に悩んでいました」

「というと?」


 今日の天気は晴天とは言い難い、まるで薄墨を広げたようなぼけた空だ。

 紫水はそんな天を細めた目で見上げながら、疑問を質問で返す。


「貴方はもし、二度と会うまいと誓った相手に、どうしても頼み事があった時、その方を頼りますか?」

「なんだそれは……急に恋愛相談か?」


 肩透かしを食らった呆れ顔に、紫水は頬を掻いた。


「いえ、友人や隣人……のような方ですかね」

「ふむ? まあ、縁を切るまでに至った経緯にもよるし、頼み事の質にもよるだろうが、そうだなぁ……」


 星鸞は顎を撫で少し考え込む素振りを見せるが、割りとすぐに答えは出たようで、かなり堂々と言ってのける。


「俺の利益になることが確定していて、延いては少しは相手の為にもなるため、高確率で了承される見込みがあるのが前提だな。尚且つ世のため人のためになるなら、喜んで力を貸してもらいたいと頭を下げてやる」


 随分と過多な要求である上に高飛車であるように聞こえるが、彼としてはここまでの条件であるなら自分から折れてやるのも厭わないという事らしかった。

 何とも傲慢な理論にも思えるが、確かにそれはそうだろうなと思わせる説得力が、彼の言の葉からは溢れて来るようだ。


「ふふっ、確かにそれならば悩む必要もないですね」

「何やら思わせぶりだな? 一体昨日、何があった?」

「それは……」


 紫水は一瞬言い淀み間を置くが、すぐににこりとして、ほんのりと挑戦事のような提案をする。


「私の策に貴方が乗ってくれるなら、こっそり教えて差し上げましょう。勿論相手に許可を取ってからですよ」

「ほほう、随分と正体を隠したがる相手なのだな? 分かった。一先ずお前の策には全面的に乗ってやろう」

「ありがとうございます。それでは――」


 紫水はたった一言ほどを相手の耳に吹き込む。

 期待させた割にはあまりに簡素な指示に、星鸞は拍子抜けしたようだった。


「それだけか?」

「はい、それだけです」


 今一釈然としない様子の星鸞ではあったが、ここで駄々を捏ねる必要もないだろうと思えたのか、紫水の要求を素直に飲み込んだ。


「それでは、そちらの事は任せましたよ。佑信くんを頼みますね」

「ああ、任せろ」


 会話が一区切りつくと、杏花の父の声が後方から響く。


「そろそろ朝食が準備出来ますので、お上がりください」

「お兄さんたちおいでおいで!」


 今日も元気が良さそうな杏花は、父と共にひょっこり勝手口から顔を覗かせ呼び掛けてくれた。


「はーい、すぐ行きますよ」


 明るく返事をする紫水に、杏花もその父も頷き、室内へ戻って行った。


「では、作戦開始だな」

「ええ、お互い最善を尽くしましょう」


 互いに拱手を交わした紫水たちは、軽い朝食を子どもたちと共に取り、片付けをしてから各自目的地へと向かう事となる。

 別れ際、星鸞の隣に立つ佑信は、少し不安げではあったが、勇気を分けてくれるように、ぽんっと横から一つ肩を叩かれると、星鸞の後へ決意を固めついて行った。

 紫水はというと、一見呑気に牛の引く荷台に乗りながら、農家の男性の元へと向かう。


『尹たち、居ますか?』

『はい、ここに』


 歩く牛の背に留まりながら、尹たちは恭しく頭を垂れる。


『君たち以前、幻術は鳥獣精霊の類が得意とするところと言っていましたね?』

『はい、そのようにお伝えしました』

『では専門家にお聞きしますが、例えば妖術を使える程の力量があれば、化け術は一日で習得出来ますか?』


 白鷺の嘴が、驚愕のあまり上下に開いた。


『まさかとは思いますが燦浄様、それは――』

『必要な事なので、答えて頂けませんか?』


 珍しく重みのある感情を抱えた念が、圧を持って尹たちへ届く。

 その兄弟子の様子に、尹たちは少々困惑しているのか、かなり考え込んでしまう。


『…………一番よく見知っている者になら、或いは可能かと。元来妖怪化した鳥獣が最も得意な部類の術ではありますし……』


 絞り出したような答えに、紫水は満足げな顔して見せた。

 紫水の知識量からしたら、わざわざ尹たちに聞くまでもなかったのだろうが、あえての確認をする事で、これから何を成し得たいのかを彼らに示唆したのだろう。


『成る程、ありがとうございます』

『燦浄様、やりたいことは何となく分かるのですが、遣主様にお伺いを立てずに平気でしょうか?』

『お師匠様は全て見ておいででしょう。それでいてお咎めがないのであれば、この私の行動こそが、成すべきを成す事に繋がっているはずです』


 そう自身の本来の仕事を模索した上、確信に至った横顔は、当然今は紫水の顔のままであるはずなのに、どこか凛々しくもあった。


 農家の男性宅の側へ来ると、納屋の近くに牛を止め、紫水は丁度午前の畑仕事をしている男性に向かい手を振る。

 男性は鍬を振るう腕を止め「やあやあ!」と声を発し、こちらまでわざわざ小走りにやって来てくれた。

 軽く挨拶をお互いに済ませると、男性は蕎麦屋の女将さんの様態や、子どもたちの心配を一頻りし、紫水の報告でほっと胸を撫で下ろしていた。

 勿論、昨夜の捕吏たちの無体までは話しはしない。

 心優しい男性に、これ以上の心配を掛けては気の毒であろう。

 しかし、こちらの配慮とは裏腹に、男性は恐々と手を前に垂らしこう言った。


「早朝山にちょろっと山菜を採りに行ったんだがな? 奥の方から啜り泣くような声がしてよぉ、俺ぁおっかなくて、普段の半分も採る前にさっさと帰って来たんだ。あれはきっとお化けじゃないか?!」


 紫水に思い当たる節はあったが、彼にはもう一度牛と荷台を借りたい理由があったので、あえて話題に乗ることにした。


「私も気になっていたので、もう一度山に入ってみようかと思うのです。そこでまた、このこを荷台ごとお借りしたいのですが、宜しいですか?」

「そらぁ構わないけどよお……あんた幽霊と鉢合わせしたらどうすんだい?」

「これでも僧を目指して旅を始めたので、お祈りを上げ供養することくらい出来るのではないかと」


 改めて旅をするには適当な職業であると、紫水は目的に嘘はついていないため、非常にこの自称に利便性を感じていた。


「立派だが、無理しなさんなよ?」

「お気遣い感謝致します」


 農家の男性から荷台付きの牛をすんなりとまた借りられ、紫水は山へと入って行く。

 そして、例の沢へと来れば、やはり啜り泣くような声が、より響いて聞こえて来る。どうやら石段の上からのようであった。


『尹たち、牛さんをお願いします』

『御意』


 紫水は牛を置き、階段を上がり貯水池へ向かう。

 池の水面は、泣き声の息継ぎに合わせるように、波紋を作っていた。

 紫水は静かに仁神白璧のついた指輪を前に掲げると、再び燦浄の姿へと転じる。

 そして水面に細長い指を差し入れ、泣いている悲しき物の怪へ、優しく念で語り掛けた。


『亀龍殿、アナタにしか頼めない重要な役目があるのです。顔をどうかお見せになってください』


 すると、水面がぶくぶくと泡立ち、ざんばらな硬い毛が、隙間から赤い目を出し浮上して来た。


「ア、紫水……仙人サマダ」


 そんなぼんやりとした物言いに、泣き腫らした疲れが窺える。


「昨日はアナタにあの様な辛い芝居を打ってもらい、大変申し訳ありませんでした」

「仙人サマ、謝ラナイデ……今ハ唯カナシイ。デモ、アレデ良カッタ」


 必要性は分かっていて、覚悟も決めていたのに、後から湧いてくる感情の波だけは、どうにも抑えが今は利かないのだと言ったところだろう。


「ソレデ、仙人サマオレニ用?」


 こんな自分でもまだ人間に役立てる何かがあるのだろうかと、期待に輝きをほんのりと得た瞳が物語っている。


「はい、今から水底に沈む遺体を引き上げ、とある場所に行こうと考えています。そこでアナタには、これから与える策を実行して貰いたいのです」


 しゃがんだまま色々と説明し出す燦浄に、真剣に何度も頷き、時に驚きながらも、亀龍はその策に完全に同意した。


「オレ、ガンバル。ソシタラ、佑信ガ安心シテ杏杏ト暮ラセル」

「ええ、どうか宜しくお願いします」


 燦浄は徐に立ち上がり、口許に二本指を揃え立てた。


「潭破水鏡術、二条式――静」


 優しい声音でそう唱えると、大きな一つの水泡に包まれた女性――楊蘭の遺体が地上へと浮き上がって来る。


「さあ、この方を、あるべき場所へ帰して差し上げましょう」


 ***


 町を星鸞と共に行く佑信は、辺りの静けさを犇々と感じていた。

 普段通りであるなら、祭りの期間が続いているはずであるのに、やはりたった一日経ったところで、皆の恐怖心や自粛する気持ちが薄れることは無かったのだろう。

 獅子舞も、笛の音も無く、屋台も殆どが畳まれてしまっている。

 しかし、人々は人が一人死のうが今日も生きていかねばならない。

 当然売り物屋が家々を行き交い注文を取り、実店舗の店が開き、町民たちの話し声が交差する。

 妙に静かだと感じるのは、或いは自分だけであり、他人は真の日常へと帰っただけなのかも知れなかった。

 何となくそのせいで、自身が取り残されているような不安に囚われたのだろう。

 佑信は堂々と歩く隣の星鸞の袖を、ぎゅうっと握り込んでしまった。


「怖いか? それとも疲れが取れていないか? すまんな、馬は昨日返してしまったから、今日はずっと徒歩だ」

「あっ、ううん……平気。ごめん」


 黙ってただ歩くだけでは色々と余計な事を考えてしまうのだろう。

 星鸞はそのような考えに至り、佑信にあえて父親の話を持ちかけた。


「お前の親父さんは立派な人だったな。こうして町はささやかながら喪に服し、霊を重んじてくれている。何処の馬の骨とも分からぬ奴ならこうは行かない。誇りを持って然るべきだ」

「……うん」


 下を向き、反応の薄い佑信に構わず、星鸞は続けた。


「お前は母親を先に亡くしていたんだったな。実は俺も随分と早い内に母を亡くしていてな」

「えっ……」


 佑信は親近感に気付き顔を上げる。

 自身とは違い、飄々と語る星鸞に、少年はある種の戸惑いを覚えた。


「悲しかった? やっぱり、病気で?」

「ああ、そうだな。悲しいし、とても悔しかった。病気ではなく、誰かに殺されたのだからな」


 佑信の歩は、衝撃に完全に止まってしまう。

 星鸞の話に、今の自分そのものを重ねてしまったのだから無理もない。

 だが、星鸞の意図がただ少年を怖がらせるだけなはずもなく、相変わらずあっけらかんとした口調のまま続けた。


「しかし俺の親父は犯人を見つけようとはしなかった。そのまま事件はお蔵入りだ」

「そ、そんな?! なんで?」


 父親とは憧れの象徴だった佑信からしてみたら、あんまりな星鸞の話に困惑してしまう。

 少年のある種怒気の籠った叫びに、星鸞はかつての自分を見たようで自嘲した。


「そうするしかなかったんだろうな。俺も最近まで、親父の立場を理解していなかったから、ずっと恨んでいた」


 驚愕する佑信に、星鸞はにっと歯を見せてやる。


「だが、こうして今は笑っていられる。時間が解決したと言えばそれもあるが、考え方を変えた。恨んだり悩んだりするのは時間を有効活用出来ないってな。それに、物事の本質も見誤るかもしれない」

「……割り切れってこと?」

「いいや、今は無理にそうしなくったっていい。それこそ時間がある程度は必要だからな。けれどお前は俺とは違って、真実をこれから知れる権利を持っている。これはかなり俺からしたら有利だ」


 一旦物事に切りが着く。

 そうすれば、表面上だけでも気持ちの整理のしようがあるのではないか。

 一方と、星鸞は付け加える。

 内面の傷は時間を掛けねば寧ろ癒えぬし、受ける前の状態に完治することもないのだと。

 だが、表面上その傷を覆うことが出来るのなら、ましな状態になるのも幾分か早いはずだという持論を説いた。


「それに、お前の周りには、その傷を丁寧に扱ってくれる人たちが居るんだ。頼れるものは頼っておけ。今この場に限っては俺がいる。俺は頼り甲斐がないか?」


 佑信はぶるぶると首を思い切り横に振って見せた。

 まだ小さな彼が知る限りではあるが、これ程に先頭に立ってもらい、どっしりとした安心感を得られる人間はそうそう居ないだろう。


「よし、小佑。しんみりと弔ってやるのは後にしよう。お前の親父さんは立派で非の打ち所なんてない。そうした自信だけ持って、真実を俺と共に暴きに行くぞ」

「――うんっ!」


 良い返事を聞き、満足げに頷いた星鸞は、目の前を指差した。


「郡守邸はあれだ」


 高い塀に覆われ、外周を通り敷地内にまで水路を引いている大きな建物は、きっと敷地内か土間に直接川端の水槽のような仕組みが備わっているのだろう。

 佑信は終いに黒く尖った広い屋根を見上げ、口をあんぐりと開いた。


「親父さんの上司もいいところ、この地域の代表の家だ。さて、交渉を始めるとしようか」


 星鸞は拳を交互にパキパキと骨を鳴らした。

 完全に見た目は道場破りや喧嘩屋の迫力ではあるが、彼なりの気合いの入れ方なのだろう。

 そのため、門を叩く強さは至って人並みである。


「はい、どちら様でしょう。旦那様はご勤務に出ておりますし、坊っちゃんは体調を崩し静養なさっております」


 決まり文句なのだろうか、門の小さな戸口から出てきた下男、特に人を確認せずにそう応じた。


「そちらの旦那様とやらが、この水守の子を保護してやりたいらしいとの噂を聞き、連れて参った次第だ。だか、この子を既に引き取りたいという家がもう一件あってな。こちらの話も聞いてから判断したいと思っている。中で待たせては貰えないか?」

「えっ?!」


 家に上がり込むにはそれらしい理由を述べたつもりだが、下男は何故か困惑している。


 ――ん? まさか主から事の次第を聞いていない……?


 星鸞は眉間に浅く皺を寄せ、あからさまに「おやおや」と下男を煽る。


「自身の主の指示すら通っていないのか? 捕吏がわざわざ探していたほどだぞ?」

「そ、そうなのですか? あ、いえその……今はええと……」


 どうやら今までに無い種類の訪問理由だったらしく、同じような台詞に舌が完全に慣れてしまっていた下男は、かなりぐだぐだと言い淀む。

 それも、余程人を敷地内に入れたくないらしく「帰って来たら話すから入れてくれ」と、多少強引に戸口を引っ張ろうとすれば、慌てて下男は体重を掛け、制止させようとする。

 しかし、そんなものに怯む星鸞ではない。

 足と腕をすかさず差し込み、戸口が閉まらないように妨害してしまう。


「な、何するんですか!」

「それはこっちの台詞だ! 主が望んでいる交渉を持ちかけているのに、何なのだその態度は!?」


 二人の大人の喧嘩を目の当たりにし、佑信自身は一歩引いたところで、おどおどとしながらただ行く末を見守るのみである。

 元来回りくどい事はあまり好まない性格の星鸞は、いよいよ苛々が頂点に達したのか、一度にぱっと抵抗をやめ、相手がぐらついた瞬間を狙って戸口を押し開いてしまった。


「小佑、行くぞ!」

「う、うん」


 佑信は内心良いのだろうかこれでと、かなり不安になってしまう。

 一体交渉とは何だったのか……。


「お、お待ち下さいっ! 人を呼びますよ?!」


 脚に縋り付き、押し入りを必死に引きずられながら止めようとする下男に、星鸞は歩みを止めず脅し文句を振り翳す。


「ああ、呼べるものなら呼んでみろ! 郡太子様のご子息を、下男の奴が部屋に鍵を掛け、閉じ込めていると言いふらしてやるだけだがな!」

「ぬあっ?!」


 動揺で手が滑ったか、はたまた単純に力尽きたのか、ともかく地面に置いてけぼりを食らった下男は、あまりの相手の言い草に、情けない声で叫び反論した。


「わ、私は単に旦那様の言いつけを守っただけで――大体誰に聞いたのですか?!」


 星鸞は完全に無視を決め込むと、ずんずんと家屋の奥の部屋を目指して進んで行く。


「に、兄ちゃん! こんな事して本当に大丈夫なの?!」

「ああ、この家の息子が友人に宛てた文面に『なす術もない』やら『叩き出して』だの書いてあったからな。随分と自由が無く身動きが取り辛そうだとは思っていた。実際周囲の噂にもなるほど引きこもりきりで、その友人も相手が閉じ込められているのを疑っているとなれば、実際に確かめてしまうのが手っ取り早いだろう」


 確証は無いが、あまりに怪しいので強行突破したと要約出来る。

 だが、果たしてそれは「大丈夫」と表現出来るのだろうか。

 佑信はとにかく難しい事は考えない方が、自身の精神衛生面を保てると踏み、以降は黙ってついて行くことに専念した。

 そんなことを思われていると知ってか知らずか、猪突猛進とばかりに星鸞は広い邸宅内の奥にたどり着くと、手当たり次第部屋を確認し出す。

 この家は二階建てだが、ほぼ平屋のように、居住場所の主体は一階である。

 それを証明するのは、廊下から見える中庭より屋根を確認すると、玄関側から見て建物の前半部分しか、高さがない。

 このような作りから、上の階は使用人の部屋か、物置代わりであろうと予測立てたのだ。

 案の定、一部屋だけ鍵のかかった部屋に当たり、星鸞はふっと口角を上げる。


「宋俊殿はおわすか? ご友人、伯養公殿の憂いを晴らすべく参上つかまつった!」

「……失礼ですが、どちら様でしょうか?」


 か細い喉のかさ付いた声が、辛うじて星鸞と佑信の耳へ届く。


「私自体は無名に等しき旅人であるが、貴殿の想い人の簪を楊家へ届けた縁でここまで来た。よって楊夫妻の代理と見て貰って構わない」

「なんと……そうでしたか。ああ……漸く私は……」


 ずっとこの時を待っていたと、声の震えが物語っている。


「お願いします。私は父の過剰な庇護により、自由を奪われこの通りの有り様……どうか扉を開けて頂きたい。ここまで来てくれた貴方に、事の顛末を聞いていただきたいのです。そして出来ることなら、楊夫妻にお詫びを――」


 堰を切ったように溢れだした要望は、扉の取っ手がばきりと音を立て、部屋の内側に落下した事で遮られた。


「すまんな。生憎鍵を下男から貰い忘れたので、扉を駄目にしてしまった」


 無理矢理入室して来た星鸞は、反省などは一切無いとばかりに、仁王立ちを決め込んだ。

 対して寝台に肩を竦め座り込む、如何にも気弱そうな男は、ただ唖然とするばかりである。


「話は幾らでも聞いてやろう。だが、詫びるなら自身で詫びるのが道義ではないか? 宋俊殿」


 豪胆極まる男の出現に、宋俊ははっと目を見開き、ややあってから立ち上がると、深々と頭を下げた。


「はい、ありがとうございます。貴方様が仰る通りです……」

「ではまずは聞かせてくれ。祭り開催の前日、一体何があったのかを」


 宋俊は一度深呼吸をする。

 もう決して世間から逃げも隠れもしないと誓った彼は、俄には信じ難い文言から、話を切り出すのだった。


「あの日の夜、私が楊蘭お嬢さんを、この手にかけました……」

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