71 頂上決戦
「お疲れ様でした、レオン。それとですね」
ソフィアは早足で近づいてから、そっと耳打ちした。
「次は準決勝ですよ? 色々あるんじゃないですか、準備とか!?」
第二回戦が終わり、現在は準決勝に向けて、コートの整備が行われている。
準決勝が終われば、そのまま優勝決定戦が始まることだろう。
試合の参加者たちには、控え室が用意されている。つまり、レオンは貴賓席にまで、わざわざ足を運ぶ必要はないのだ。
ソフィアの気持ちが伝わっていないのか、彼は純粋な瞳でこちらを見ている。
「んもう! 強いからって、油断してると足をすくわれますよ!?」
「大丈夫ですよ。お顔を見たら、すぐに戻るつもりでしたから」
「はいはい! じゃあ早く行きましょう!」
半ば強制的に追い出されたレオンは、なぜだか楽しげに、その場を後にしたのだった。
ほどなくして、準決勝が始まる。向かって右側のコートにはレオンが、左側のコートにはクロエの兄、テオドールが控えていた。
合図の掛け声と共に、テオドールは相手を押し倒す。剣の実力というよりも、腕力で相手を蹴散らしたと表現するほうが、正確かもしれない。
彼は挨拶を早々に終わらせると、隣のコートに視線を移す。一瞬で雌雄を決したテオドール戦とは異なり、こちらは剣の音が激しく鳴り響いていた。
相手方から矢継ぎ早に繰り出される攻撃を、レオンは淡々と打ち返している。
その冷静な姿に焦りを覚えたのか、対戦相手の体には、どんどん力がこもっていく。
「あれは駄目だな、もう」
誰にも聞こえない程度の声で、テオドールが呟く。
レオンが相手の脇をすり抜け、柄頭で横腹を突くまでに、そう時間はかからなかった。
「勝者! レオン・ジラール!」
大歓声が響き渡るなか、テオドールは剣を握りしめたまま、コートの外へと歩いていく。
「お待ちください! すぐに決勝戦が始まります、どちらへ向かわれるのですか?」
大会の関係者と思われる、フードを目深に被った男性が、テオドールへと駆け寄る。
「汗を拭きにいくだけだ。すぐに戻る」
「では一度、剣をお預かりします! それが規則ですので」
侯爵令息は目も合わせることなく、相手の胸元へ押しつけるように、武器を返却した。
それから数分後、テオドールの戻りにあわせて、司会者が声を張り上げる。
「大変お待たせしました! ただいまより、決勝戦の主役をご紹介いたします!」
再びコートに姿を現した、二人の騎士たちに向けて、観客たちは歓呼の声を上げた。
「まずは無敵の剣客、レオン・ジラール様! 圧倒的な剣術で、今年も決勝戦へと駒を進めました! はたして、連続優勝の記録を伸ばすことはできるのでしょうか? ぜひともその偉業を、目の当たりにしたいものです!」
「キャー! レオン様ぁ!」
「頑張ってくださいー!」
黄色い悲鳴に、彼は手を挙げて応える。目を射抜かれた少女らは、すっかり腰が砕けてしまったが、レオン本人はそれに気づいてすらいない。
「そして若き挑戦者、テオドール・ラ・フリオン様! 二大会ぶりの参加となります。帝国で腕を磨いた青年は、どのような技を繰り出すのでしょうか? ここまで大勝を博している、彼の成長は未知数です!」
「応援してるぞー! 今年こそ勝てよー!」
野太い声援に、テオドールは胸を叩いて返した。
「やはり、あなたが決勝の相手でしたね、テオドール」
「黙れ、気が散る。お前がのうのうとしていられるのも、今日までの話だぞ」
二人は見合ったまま、ぼそぼそと話し続けていく。
「楽しみにしていますよ、ランドサムスの剣技も」
挑発の通じない相手に、テオドールは苛立ちを覚えた。
なかなか試合が始まらないことから、観客たちもざわめき始めている。
しかし、二人の会話が途切れる気配はなく、審判は声をかけるのを躊躇っている様子だ。
「いいか、レオン。お前が女にうつつを抜かしている間に、俺はな、血反吐を吐く思いで剣を振るってきたんだ! 今日こそお前を倒すからな!」
「女だって?」
首を傾げるレオンに、テオドールは畳み掛けた。
「あいつだよ、モンドヴォールの一人娘だ!」
「モンドヴォール……ああ、ステファニーのことか!」
護衛騎士は、なぜか一人で納得している。
「聞けば、ろくに訓練すらしていないそうじゃないか。調子に乗ったお前の鼻っ柱を、俺がへし折ってやる!」
テオドールが剣先を向けると、レオンは静かに口を開いた。
「負けるつもりはなかったですが、そうですね。勝たないと、彼女に迷惑がかかりそうですし。全力でお相手しますよ、テオドール」
「気取ったこと言いやがって、……!?」
剣を構えたレオンを見て、テオドールが固まる。体温のない眼が、こちらをまっすぐに見ていた。
テオドールは、粟立つ肌を咄嗟に手で押さえる。まさか本当に、あの女が弱点なのか?
レオンとは幾度となく剣を重ねてきたが、これほどまでに冷たい視線を向けられたのは、今回が初めてだった。
「……ふざけるなよ?」
口を挟もうとしていた審判は、テオドールの言葉を聞き、すっかり縮み上がる。
こいつを倒すために、どれだけ頑張ってきたことか。
妹にも構わず、睡眠を削って、厳しい訓練にも耐えてきた。
それなのにこいつは、易々と一番を手に入れる。地位も名誉も、なにもかも俺から奪っていってしまう。
だからこそ、この男に勝たなければいけないのに。常に俺が、一番の好敵手であらねばならないのに。
レオンの闘争本能に火をつけたのは、俺じゃない。モンドヴォール公爵令嬢だ。
悔しい、悔しい、悔しい。
せめて、剣を交わす時ぐらいは。
俺のことを見ていろよ!
「決勝戦、始め!」
フリオン侯爵令息が剣を構えたのを見逃すことなく、審判が開戦を告げる。
大多数の予想に反し、先に手を伸ばしたのはレオンだった。
「あのテオドールが、防戦一方だと!?」
決勝の様子を見守っていた観客たちが、騒ぎ立つ。それは、レオンが積極的に技を仕掛けていたため、というだけではなかった。
「驚きました! 防御が格段に上手くなりましたね」
テオドールから離れたレオンは、大きな声を上げる。
「守りの剣は、お前の十八番だからな。俺も練習してみたんだ。それに、攻め続けて隙を狙われるよりも、こちらから機会を窺うほうが、勝率が上がると思ってさ」
二人は見つめ合いながら、じりじりと距離を詰めていく。
「確かに、相手から攻められることが多いので、やりづらくはありますね」
「だからって、俺が手を出さないわけじゃないぞ!」
テオドールの鋭い突きが、レオンの利き腕を襲う。
わずかに避けきれなかったレオンの、右肩のあたりに切先が細い傷を作る。
「なぁ、楽しもうぜレオン! 対等に戦える相手を、お前は望んでたんだろう!?」
叫びを受け、それまで険しい目つきをしていたレオンが、くしゃりと表情を緩めた。
「私も、あなたが大会に戻ってくるのを、心待ちにしていたんですよ?」
思いがけない一言に、テオドールはほんの少しだけ、気を取られてしまう。
正気に戻った時には、純白の腕がこちら目がけて、おおきく振りかぶっていた。
見開かれた赤茶の目に、自分の姿だけが映っている。
ああ、そうだった。こいつの剣は、いつだって馬鹿正直に、目の前の相手へ向けられていたんだ。
テオドールは目を逸らすこともなく、レオンを眺める。美しい剣筋に、もはや心を奪われていた。
だからこそ、テオドールだけがその異常に気づくことができたのだ。
レオンの目がわずかに、振り子のように揺れたかと思うと、そのまま彼の体が大きく傾いた。




