47 謎の招待状②
「私はずっと、王太子殿下に憧れていたのです」
クロエの唐突な発言に、ソフィアは慌てて紅茶を含み、焼き菓子のかけらを飲みくだす。
「ええ、そのようですね」
「ですが、それは純粋な好意ではありませんでした。あのお方を伴侶にすることが、最も名誉なことだと考え、打算的に動いていたにすぎません。けれどもそれは間違いだったと、ようやく気づくことができました」
「はい、……?」
真意を測りかねていると、彼女はにっこり微笑みかけてきた。
「私の今の目標は、この国一番の女性を、誰よりも近くでお支えすることです。ステファニー様! どうか私を、あなた様のおそばに置いてください!」
「……ええぇ!?」
予想外な提案に、仰天するソフィアをよそにして、彼女はうっとりと話を続けていく。
「家格はもちろんのこと、誇り高い志をお持ちで、弱者に手を差し伸べる心優しさも持ち合わせておられる。高潔なステファニー様のお姿を見て、私が生涯お仕えすべき相手は、あなた様だと強く感じたのです」
「そんな大層な。それに側仕えになりたいなど、ご冗談だとしても、軽々しく口にすべきではありませんよ。私とあなたは、王太子妃候補なのですから」
「あら! 私は本気ですのよ。すでに両親には、候補を辞退する意向を伝えておりますし」
彼女はソフィアからの咎めへ、晴れやかに答えたのだった。
いよいよ、訳がわからなくなってきたわ!
それまでとはうって変わり、人懐こい笑みを浮かべるクロエを眺めながら、ソフィアはすっかり混乱していた。
彼女は国王陛下からの覚えがめでたいのだから、王太子妃に推挙される可能性も、まだ残ってはいるだろう。
もしも前世と同様に、クロエが婚約者となった場合、その先に待ち受ける謀殺さえ防ぐことができれば、ステファニーが二人目の婚約者となる未来は訪れない。
ソフィアとしては、ステファニーの淡い恋心を応援したいという気持ちもありながら、心のどこかでは、クロエを王太子妃に据えることで、身代わり役から確実に解放されるのが最善ではないかと思っていた。
だというのに、目の前の少女はつきものが落ちたかのように、いきいきと“王太子妃に仕える自分”の話をしている。
「お気持ちは嬉しいのですが、私が王太子妃になるとも限りませんよ?」
「国王陛下のことを案じておられるのなら、ご心配には及びません。陛下は人の本質を見て、正しく評価を下されるお方です。これまではモンドヴォールとの交流を避けておられましたが、ステファニー様と直に接する機会が増えれば、考えを改められるのも時間の問題でしょう」
なぜだかとても満足げに、クロエは言い放つ。
「問題は、それだけではないのです」
ソフィアの低声を受け、彼女は大きく目を見開いた。
「もしや殿下は、私に未練がおありなのですか!? だとしても、そのお気持ちは受け入れられません。きっぱりお断りさせていただきます!」
「いや、そうではなくて……」
歯切れの悪い返答に、クロエが苦い表情を浮かべたかと思うと、たちまち両手で顔を覆ってしまう。
「なぜ信じていただけないのですか!? ステファニー様ほど、国母に相応しい人物は存在しないというのに!」
「クロエ様、少し落ち着きましょうか!?」
「正直におっしゃってください! 色々と理由を並べていても、本当のところは、私が王太子妃付きの侍女になるのがご迷惑なだけでしょう!?」
「ああもう! そもそも王太子妃になるのは、私たちではないのですよ!」
激しくなる泣き言に、気づけばそう返してしまっていた。
そっと後ろを窺うと、騎士たちはあんぐりと口を開けて、こちらを見ている。
「その話、詳しくお聞かせ願えますか?」
先ほどまでの涙声が嘘であるかのように、微笑みをたたえたクロエが、優しくソフィアに問うた。
辞意を表明しているとはいえ、現時点ではクロエも、れっきとした婚約者候補の一人なのだ。自分たち以外の人物が妃になると聞かされれば、説明を求めたくなるのは当然のことだろう。
かといって、安易に未来を語るべきではない。過去に経験した出来事が、これから確実に待ち受けているとも限らないのだから。
「仔細をお伝えすることはできません。ただ、殿下がお選びになるのは、候補にあがるような身分の者ではなく、平民階級の少女だと小耳に挟んだだけです」
「それはつまり、王太子殿下が平民を見初められたということですか?」
二人は出会ってすらいないと答えたところ、クロエは怪訝な表情を見せた。周囲の面々も、狐につままれたような顔をしている。
「ではこれから、国王陛下が新たな候補者を擁立されるということでしょうか。……いいえ、違うわね。それだけでは、ルイス様が誰を選ぶかまでは、見当がつきませんもの」
しばらく一人で考え込んでいたクロエは、はっと目を見開き、ソフィアに顔を寄せた。
「分かりました! ステファニー様は、予言を聞かれたのですね?」
「よげん?」
「あの打ち合わせのあと、ステファニー様だけが神殿へ招かれたことが、気にはなっていたのです。とはいえ、神官の告げたことに信憑性があるとも思えないのですが」
彼女の言い分を整理すると、どうやら神殿には、先の未来を見透せるほどの、強い神聖力を持った人間が存在しているらしい。そしてその人物であれば、これから現れるであろう、未来の王太子妃すら言い当てることができるというのが、おおまかな予想だった。
もちろん、そのような能力を持った神官が実在しているのかどうかすら、噂の域を出ない話ではあるが。
「それにしても、家柄も素性も関係なく、真実の愛を見つけられることが殿下の運命ならば、少し厄介ですね。平民を王家の正妃に迎えるなど、愚かな選択であるとしか思えません。王室の沽券に関わりますし、貴族たちの勢力図にも大きく影響します」
前世でも、王太子の恋人が平民であると知れ渡った際は、国中から不満が溢れていた。
もっとも、そこまで批判が集まったのは、完璧な淑女であるステファニーが、すでに婚約者として君臨していたことが大きかったのだろうが。
「せめて、どこかの名門家の養女にできればいいのですが。その方は今、どちらにいらっしゃるのです?」
ソフィアは返答に窮する。なぜなら、“聖女”に関することは、『リリー』という名前と、彼女の外見しか知らないのだから。
その後、帰りの馬車に乗り込んだソフィアは、モンドヴォールの邸宅ではなく、王城へと向かっていた。腕に抱えた包みには、レオンのジャケットがしまい込まれている。
舞踏会で彼から借りた制服を、直接返却しようとしていたクロエを押しとどめ、半ば強引に受け取ったのには理由があった。
外界から隔絶されている神殿のことを調べるためには、自ら王城へ向かう必要があると考えたためだ。
本当に予言者がいるのかどうか、ソフィアには分からない。しかし、神殿に苦い思い出があるのは、確かな事実だった。
仮にあの場所で、ステファニーが事件に巻き込まれていたとするならば、やはり思い返されるのは、色欲に溺れた神官たちの存在だろう。
最悪のことを考えると、十四のステファニーが、神殿内で耐えがたい事態に遭遇し、結果として、王太子妃候補を退こうと決意した可能性すらある。
だが、クロエの目前で神殿へと連れて行かれたのであれば、秘密裏な招集ではなさそうだ。
そのうえ今世では、王太子がステファニーに執心だと信じ込まれているのだから、下手に手出しはできないはずなのだが。
悶々とするソフィアへ、正面に腰掛ける侍女が、そっと話しかけてくる。
「ステファニー様が心配なさっていたのは、神官様のおっしゃった“少女”の件だったのですね」
唐突な発言に、こちらが目を瞬かせると、彼女は穏やかな表情のまま口を開いた。
「安心してください。王城から戻られた晩のことは、誰にも話していませんから」
ソフィアは目の前の女性をまじまじと見つめる。この侍女は、偶然付き添いに選ばれただけで、アンヌのような腹心ではなかったはずだ。
けれども、彼女だけが知るステファニーの姿があるように思えてならなかった。
「……それは、ありがとうございます。あの時、私はなんとお話ししましたっけ?」
「ステファニー様は、『愛のない結婚は、どうすればうまくいくのか』と尋ねられました。私が見合いで嫁いだものですから、そういった話を聞きたいのかと思っておりましたが、まさか神殿で予言を受けられていたとは」
彼女は記憶を辿りつつ、何度もうなずく。
この話が真実であれば、ステファニーは打ち合わせの当日に、なんらかの出来事を経て、王太子からの愛を得ることはできないと思い込んでしまったのかもしれない。
けれども、最近まで王太子とステファニーの関係は、良好だったはずだ。
それは、文通していた手紙の内容からも明らかで、さらに、舞踏会での王太子の様子を見ても、二人の間になんらかの問題があったとは考えにくい。
なぜ彼との未来に、ステファニーは絶望を覚えたのだろうか。まさか本当に、“聖女”の出現を予言されていたとでもいうの?
「その話、もう少し詳しく」
言い終わる前に、馬車が激しい振動を受けて、二人は座面から崩れ落ちた。
「ステファニー様! お怪我はありませんか!?」
「ええ、大丈夫です」
ソフィアは彼女の手をとり、再び柔らかい座席へ腰を下ろす。
今の揺れはなんだったのかしら。王城にほど近いフリオン邸からの道は、平坦に舗装されているはずだった。
それに、馬車の周りも騒がしくはないのだから、誰かと接触事故を起こしたというわけでもなさそうだ。
……なぜこの異常事態に瀕して、車外に控えている騎士たちは、沈黙を貫いているの!?
外の様子をのぞき見る前に、白い煙が馬車のなかに充満した。
「吸ってはいけません、ステファニー様!」
侍女は己の身も顧みず、両手でソフィアの口元を覆ったが、わずかに遅かった。
遠くのほうから、『黒髪がステファニーだ』と叫ぶ声が聞こえてくる。扉が開き、誰かが押し入ってきたような気がした。
ソフィアはぼんやりと、クロエが殺された事件を思い出す。
なんて馬鹿なのよ、私は! あの時の犯人が、現時点で“王太子妃の最有力候補”であるステファニーの命を狙ったとしても、なんら不思議ではないだろう。
少し考えれば、その可能性に気づけていたかもしれないのに。
こんなことで、二度目の人生も終わってしまうのかしら。身の危険を感じながらも、意識を留めておくことはできなかった。




