34 生き延びるために
一行はその後、チョコレート菓子の屋台へ並び直し、帰路についた。
先ほどまで不機嫌だった弟も、アーモンドの代わりとして与えられた、大量のお菓子を抱えてスキップしている。
「あの、ありがとうございます。こんなにたくさんの品をいただいてしまって」
受け取ったばかりの貰物を、次々に頬張る弟を諌めながら、ソフィアはジラールへ謝意を述べた。
青年は咳払いをしてから、ばつが悪そうに答える。
「こちらこそ、大声を出して申し訳ないです。どうも知り合いに似ていたもので」
そう話す彼の頭には、間違いなくステファニーの顔が浮かんでいるだろう。
私が初めて彼女と出会った時も、自分自身の目を疑ったのだから、ジラールが混乱するのも無理はないと思えた。
「『他人の空似』という言葉もあるくらいですから、お気になさらないでください」
「恐縮です」
珍しいことに、隣を歩く青年は制服姿ではなく、私服に身を包んでいる。
薄花色の上衣に白のベストを仕込み、黒のキュロットを合わせた格好は、紛れもなく貴族のそれなのだが、田舎町でも目立たぬようにか、刺繍は控えめのものを選んでいたようだ。
それまで近衛の隊服姿しか目にしたことのないソフィアには、とても新鮮に感じられた。
そのまま、今日の仕事は休みなのかと問いかけるところだったが、そっと口をつぐむ。変に話を広げてぼろが出たら、こちらが困るだけなのだから。
「念のため」と、帰宅するまでの護衛を申し出てくれたジラールは、こちらの様子を伺いつつ、ゆっくり話しかけてきた。
「何かご事情がおありで、そのお姿をされているのだと思います。深く詮索するつもりはありませんが、魔導士の情報網は侮れないところがありますので、今後も十分にお気をつけください」
「ご忠告、ありがとうございます。肝に銘じますね」
ソフィアが神妙に答えると、ジラールは満足げにうなずく。
そうして彼は、家が見えてくるまでの間、宣言通りに差し出口をたたくことなく、連れ立ってくれたのだった。
ジラール卿はあの頃と変わらず、真面目でいらっしゃるのね。不器用なほどの親切さに、ソフィアはこっそりと笑みを漏らした。
「おかえり、ずいぶんと遅かったな。……誰だ、そいつ?」
出迎えてくれた兄は、ジラールを見つけると、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべる。
「姉さんのことをナンパしてた兄ちゃん!」
「ああ!?」
ソフィアは急いで荷物を置き、睨みをきかせる兄の前へ割って入った。
「ケビン、変な冗談はやめなさい! すみません、こちらは兄のエリアスです。エリアス兄さん、実はお祭りで、変な人たちに絡まれて。この方に助けていただいたの。ジラール様よ」
息巻く兄をなだめつつ、ソフィアは改めて頭を下げる。深くお辞儀をする妹を見て、兄も事態を受け入れてくれたようだ。
「それはそれは。うちの妹たちが大変お世話になりました」
「初めまして、レオン・ジラールと申します。近衛士官で、階級は大尉です」
エリアスはジラールの差し出した手を、気が進まない様子で握り返す。
「えっ。レオン兄ちゃんって、近衛兵なの!?」
らんらんと目を輝かせる弟を押し退け、エリアスは妹弟の前に立ちはだかった。
「申し訳ありませんが、詳しいお話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」
そうして兄は「もう遅いから」とだけ告げ、妹たちを家の中へ押し込んだあとに、戸を閉めてしまう。
「ええー! まだ兄ちゃんと話したかったのに!」
別れの言葉すら伝えられず、ソフィアも心苦しさを覚えていたが、ステファニーの関係者からようやく離れられたことには、安心もしていた。
「私たちは、ミルク粥でも作りましょう。できあがったら、ケビンが母さんのお部屋へ持っていってくれる?」
ごねながら扉に耳を当てていた弟は、姉の提案を聞いて、顔を綻ばせる。
「わ! いいなあ、僕も少し食べたい!」
「ふふふ。ちょっとだけよ?」
銅鍋にたっぷりのミルクを注ぎ、木べらでやさしくかき混ぜていく。
ふつふつと揺れる鍋肌を見守りながら、ケビンはぽそりと呟いた。
「姉さん。あの兄ちゃん、近衛兵なんだね」
「そうね。いつもは王族の方々をお守りしていると、そうおっしゃっていたわ」
正確に言うと、彼から説明を受けたのは、身代わり令嬢を始めた頃の、未来での出来事になるのだが。
「今日は姉さんを守ってくれたんだよね」
「そうよ」
「やっぱり格好いいな。僕もなれるかな、近衛兵?」
その言葉に、胸がキュッと痛んだ。
私が未来を変えなければ、この子はまた、夢を失ってしまうのよ。
ソフィアは小さな手にそっと触れ、「なれるわよ。きっと」とだけ囁いた。
一方、ソフィアの家を離れ、祭りへと戻ってきたジラールは、合流した仲間たちに取り囲まれていた。
「おい、魔導士たちを追い返したって、本当か?」
「男を引っ掛けたと聞いたぞ、レオン!?」
「女の噂を聞かないと思ったら、そっちの趣味があったとはなあ!」
ジラールはうんざりしながら、賑やかしい同僚たちを押しのける。
「そういうんじゃない。騒ぎが起こっていたから、仲裁に入っただけだ」
トラウザーズのポケットに野草を差し込んでいる青年は、ジラールの話を聞き、あんぐりと口を開けた。
「まさかとは思うが、俺たちがお前を連れてきたのは、町の警備を任せるためだなんて考えていやしないよな?」
その深刻そうな発言を、周りの男たちは盛大に笑い飛ばした。
「さすがに、それはないだろ。今日は非番なんだし」
「しっかりしろよ! こういう時ぐらいしか、可愛い子と出会う機会はないんだぞ!?」
悲壮な声を上げた青年の手には、小さな花輪が握られている。おそらく女性に贈るため、あらかじめ用意していたのだろう。
「そういうのはいいよ、俺は」
騒ぎたてる仲間たちに、ひらひらと手を振って見せると、彼らからは不満の声が上がった。
「整った顔してるからって、気取るんじゃねえよー」
「お前なんか、一生独り身でいればいいんだ!」
恨みがましい言葉の数々に、苦笑いを浮かべながら、一人町中を進んでいく。
もちろんジラールも、異性に興味がないわけではない。しかし、主君と心に定めた王太子ですら、まだ伴侶を見つけていない現状で、己の相手を探すなど、さすがに時期尚早だろう。
それに、今の自分にとっては、近衛兵としての腕を磨く方が、よっぽど大事なことのように感じられた。
先ほどの魔導士たちは、もうこの町を去っただろうか。あたりを見渡しながら、早足に歩く彼の脳裏には、出会ったばかりの少女の姿がちらついていた。
幼馴染にうりふたつの、平民の娘。なぜだか男装までしていた。
一風変わった彼女は、淑女教育など一度も受けたことがないはずなのに。
最後に自宅前で見せた、流れるような仕草がどうにも忘れられない。
「とても美しい、お辞儀をしていたな……?」
ちょうどその頃。ソフィアは、家の中に戻ったエリアスから、こんこんと説教を受けていた。
「だいたいなんで、俺の服を着てたんだ!?」
「それはほら、女子どもが遅くまで出歩くのは危ないし、兄さんのフリをすればいいかなって」
「本っ当に馬鹿だな! 男だと思われたから、変なヤツらに絡まれたんだろ!?」
「あーもー、ごめんなさい! 二度とこんなことしないから、許してよエリアス兄さん。ねっ?」
ちらりと片目でのぞくと、諦めたようにため息を吐かれる。
「来年の祭りは絶対、俺と一緒に回ること。そう約束できるか?」
「もちろんよ! ありがと、兄さん」
頬にキスを落とし、ソフィアは髪の毛をくくり上げた。
「母さんの夕飯は、先にケビンが部屋へ持っていってくれたから、いまのうちに私たちのご飯も用意しちゃうわね」
「おう。それとソフィア、ここになにかついてるぞ」
兄は赤い顔をしながら、自身のうなじを指して見せた。
「やだなあ、こけた時に汚しちゃったのかも。取ってくれない?」
「ああ。……いや、これは傷跡か。まるで、星みたいな形をしてる」
背後から聞こえた兄の言葉に、ソフィアの胸はざわついた。
「どれ? 見せて!」
ソフィアが手鏡を押しつけると、兄は勢いに圧倒されながらも、傷跡が見えるように位置を調整してくれる。
鏡面に映し出されていたのは、首の後ろにできた、小さな痣だった。
まじまじ見つめると、確かに星のように見えなくもない。
そういえば、祭りで絡んできた魔導士たちは、“流星の跡”について話をしたいと言っていたわよね?
この痣が“流星の跡”なのかは分からないけれども、外へ出かけるときは、しばらく首元を隠しておくことにしよう。
それにしても、今日はずいぶんと色々なことがあった。ソフィアはベッドの中で、弟の寝息を間近に感じながら、考えを巡らせる。
謎の男たちには誘拐されそうになるし、十五の誕生日の時点で、本来ならば出会うはずのなかったジラール卿と、接触を持ってしまった。そして幸か不幸か、記憶とは全く違う一日になったのだった。
前向きに考えると、今日の一日を変えられたということは、努力次第でこれからの未来も変えられるのかもしれない。そうすれば、極刑を免れることもできるだろうか。
そのためには、気をつけなければいけない事柄が、きっといくつもある。
まず、今世では絶対に、ステファニーと遭遇しないようにしなければならないだろう。見つかりさえしなければ、彼女の身代わりを託されることはないのだから。
それより注意すべきなのは、アンヌの存在かもしれない。あの頃は彼女の犯した罪が、“悪女”の立場をいよいよ悪くさせた経緯がある。
先王陛下の没日を正確には覚えていないものの、記憶が正しければ、存命中に王位を譲られていたはずだ。私が十五の頃であれば、すでに代替わりもしているだろう。
とすると、先王はすでに亡くなっているか、それでなくても、一刻の猶予も残されていないはずだ。
私が王城へ飛び込んで、先王の死を防げるのであれば、迷わずそうしていた。けれども、体内に蓄積した薬物が、老王を死に導いたのであれば、もはや手遅れの可能性もある。
今動くには、あまりに情報が少なすぎるわ。
これからの出来事を知っているにもかかわらず、事態を見守ることしかできない点には心が痛んだ。けれども、第一に考えるべきは己の身の安全であり、暗殺事件へ無鉄砲に首を突っ込むのが得策ではないことを、ソフィアはよく理解していた。
それにしても、自分とそこまで歳の離れていないアンヌが、本当に暗殺へ携わっていたのだろうか。
にわかには信じがたいが、変に疑いをかけられぬよう、彼女のことも徹底的に避けなければならない。
来年の花祭りでは、男装をすることが難しくなってしまったし、対策については根本的に考え直す必要があるわね。
そして、牢獄でステファニーが話していた、逃亡先のランドサムス帝国について。
あの国になにがあるのか、いくら頭を搾ったところで、心当たりはなにもない。
思い出せることといえば、ステファニーの恋人だった語学教師が、ランドサムスの出身だったということぐらいか。しかし、私が処刑されるよりも先に、彼もまた命を奪われていたはずだ。
手がかりのない状態では、推測しようもない。こちらは気長に探していくことにしよう。
そして、新たに持ち上がった問題が、魔導士たちの残した謎の言葉と、かつては私の体に存在していなかった、星形の痣になる。
“流星の跡”が何なのか、魔導士へ直接尋ねてみれば分かるのだろうが、唯一思い浮かんだ人物はというと、私の首を切り落とした男、マルクス・マーケルだけだった。
そういえばあの人、処刑場で私に向かって『絶対許さない』と言ってたわよね?
生気のない、虚ろな瞳を思い出し、背筋が寒くなる。とにもかくにも、過去に“ステファニー”として交流を持った相手とは、今後出会わないようにしなくちゃ。




