第53話 星を掬う
青白い光は、まだ同じ場所で瞬いていた。
「もう少し右だ!」
ルカが水面を指さす。
「見えてるよ。慌てなくても逃げないって」
ノックスはそう言いながらも、身を乗り出して光を追っていた。
「いや、逃げるかもしれないだろ?」
「それもそうだ!」
「おいおい、二人とも落ち着け!」
オーウェンが笑う。
調査艇は光から少し離れた場所で速度を落とした。
周囲には小さな青い光が漂っている。その中で、問題の光だけがひときわ明るく輝いていた。
「さっき魚が消えたのは、あそこです」
フィンが記録装置を確かめる。
「ほとんど動いていませんね」
「流されないように泳いでるのかもな」
ルカが言った。
ノックスはうなずき、ダリオの方を向いた。
「水中カメラを下ろそう。少し離れたところから近づけたい」
「了解。ただし、最初から光に突っ込ませるなよ。魚が逃げたら何も撮れなくなる」
「分かってる!」
「本当か?」
「今度はちゃんと待つよ!」
ダリオは苦笑しながら、船べりの装置を動かした。
細いケーブルの先に取り付けられたカメラが、水中へ沈んでいく。
ルカは画面を覗き込んだ。
暗い水の中に、小さな光が幾つも流れていた。
「おお……水の中から見ると、もっとすげえな」
カメラがゆっくりと向きを変える。
遠くの光が画面の中央へ入った。
「あれだ!」
青白い光は、水中でも鮮やかに輝いていた。
だが、その周囲は暗い。
魚の輪郭らしいものも見えない。
「もう少し近づける?」
ノックスが尋ねた。
「近づけられるが、横から回り込むぞ」
ダリオが装置を操作する。
画面の端に、細長い小魚が現れた。
一匹、二匹。
光を見つけたように、向きを変えて近づいていく。
「来た……!」
ルカが声を落とす。
小魚の一匹が、光の手前で止まった。
尾鰭を細かく動かしながら、少しずつ距離を詰める。
あとわずか。
そう思った瞬間だった。
画面の中で、何かが跳ね上がった。
「うわっ!」
光が揺れ、小魚が消えた。
カメラの映像には、一瞬だけ灰色の影が映っていた。
「今の!」
「撮れたか!?」
ルカとノックスが同時に叫んだ。
「撮れてる。ちょっと待て」
ダリオが映像を戻す。
フィンが隣から画面を覗いた。
「ここです。光の下に、何か……」
映像がゆっくりと再生される。
小魚が近づく。
青白い光が揺れる。
その下から、灰色の影がせり上がった。
だが、次の瞬間には画面の外へ消えてしまった。
「……口?」
ルカが呟いた。
「今、何かが口を開けなかったか?」
「僕にも、そう見えました」
フィンが画面を指さした。
「ただ、光が強くて輪郭がはっきりしません」
「魚が魚を食ってるってことか」
ギルが言った。
「だとしたら、あの光が怪しいな」
ルカは水中を見た。
小魚を集めるほど明るい光。
そのすぐそばで、魚が消える。
「……なあ、ノックス」
「うん?」
「あれ、餌を呼んでるんじゃないか?」
ノックスの目が輝いた。
「僕も、そう考えてた!」
「じゃあ、もう一回見ようぜ!」
「もちろん!」
ノックスはすぐにダリオへ顔を向けた。
「今度はもっと横から――」
「待て」
ダリオが遮った。
「カメラの位置を変える前に、周りを見ろ」
「え?」
ルカが水中へ目を向ける。
さっきまで光の周囲にいた小魚が、ほとんどいなくなっていた。
「……逃げちゃったか」
「そりゃ、目の前で仲間が消えたらな」
ギルが腕を組む。
ノックスは少し考えたあと、うなずいた。
「じゃあ、しばらく離れようか。ほかにも調べたいものがあるしね」
「えーっ、今いいところなのに!」
「光は逃げないかもしれないよ?」
「さっきは逃げるかもしれないって言ったじゃん!」
「あはは! そうだった!」
オーウェンが大笑いした。
「まったく、お前らを見てると飽きねえな!」
◇
調査艇が次に向かったのは、青い光の帯がゆっくりと流れている場所だった。
近づくにつれ、その正体が少しずつ見えてくる。
「……魚だ!」
ルカが声を上げた。
小さな魚たちが、数え切れないほどの群れを作っていた。
青白い光をまとった細長い体が、同じ方向へ流れていく。
一匹が向きを変えると、その周囲の魚も続いた。
やがて群れ全体が大きく曲がり、長い光の帯が湖の中でゆっくりと形を変えた。
「すっげえ……!」
ルカは水中を見つめた。
「近くで見ると、本当に魚の群れなんだな!」
「天河魚〈ミルキーウェイ〉だよ」
ノックスが言った。
「この湖では、よくああして大きな群れを作るんだ」
「ミルキーウェイ……」
ルカは光の帯を目で追った。
「ぴったりの名前だな!」
フィンは群れの動きを記録していたが、不意にカメラを少し下へ向けた。
「ルカさん、見てください。群れの下にも何かいます」
「下?」
天河魚の群れの下に、もっと細かな光が散らばっていた。
一つ一つは針の先ほどの小さな点で、水中を漂う光の粒に紛れている。
だが、その一部は急に向きを変えたり、短く走ったりしていた。
「あれも魚か?」
「うん。星屑魚〈スターダスト〉だね」
ノックスが答えた。
「大きくても三センチほど。小さいものは一センチくらいしかないんだ」
「一センチ!?」
ルカが目を丸くした。
「あの光の中に、そんな小さな魚までいるのか!」
「いるよ。水中の小さな生き物を食べて暮らしているんだ」
「へえ……!」
ルカは改めて光の粒を見つめた。
水流に乗って漂うものと、自分の力で泳いでいるもの。
遠くからでは、ほとんど見分けがつかない。
「……近くで見てみたいな」
「僕もです」
フィンがうなずいた。
「いくつか採集して、体のつくりを確認してみませんか?」
「いいね!」
ノックスがすぐに賛成した。
ギルが船尾から目の細かな採集網を取り出す。
「じゃあ、俺の出番だな」
「頼む!」
網を水中へ入れ、細かな光の集まる場所をゆっくりと通す。
水から引き上げた網の中で、小さな青い光が幾つか瞬いた。
「……おっ。入ったぞ」
「見せて!」
ルカが駆け寄る。
ギルは網の中身を、湖水を満たした透明な観察容器へ移した。
小さな魚が数匹、青い光をちらつかせながら泳ぎ始める。
「うわ、ちっちゃい!」
ルカが覗き込む。
体長は二センチほどだろうか。
細い体の側面に、小さな光が点々と並んでいる。
一匹が向きを変えた。
すると、それまで見えていた光の一部が隠れ、別の光が浮かび上がった。
「……あれ?」
ルカは顔を近づけた。
「向きによって、光り方が違うぞ」
「体の側面に発光する部分が並んでいるんだ」
ノックスが言った。
「だから、泳ぐ向きによって見え方も変わるんだよ」
「へえ……!」
フィンは容器の横から魚を観察し、記録装置を動かした。
「これなら、光る部分の並び方まで記録できそうです」
「一匹じゃ、こんなに小さいんだな」
ルカは容器の中を見つめた。
指先ほどの魚が、幾つもの青い光を瞬かせながら泳いでいる。
「なのに、あんな広い湖で、あれだけたくさん光ってるんだもんな」
「ええ」
フィンがうなずく。
「しかも、ただ光っているだけじゃありません。泳ぎ方も、群れ方も、一匹ずつ違うはずです」
ルカはフィンを見た。
「生きた魚類図鑑、だろ?」
「はい」
フィンは微笑んだ。
「この魚がどこで暮らして、何を食べて、どんなふうに泳ぐのか。そういうことまで残したいんです」
「絶対面白い!」
ルカは即答した。
「じゃあ、次は何を調べる?」
「そうですね……」
フィンが周囲を見渡した。
少し離れた場所で、紫と橙の光がゆっくりと混ざり合っていた。
「あちらが気になります」
「よし、行こう!」
「おい、まだ採集した魚がいるぞ」
ギルが呆れたように言った。
「あっ、そうだった!」
ルカが振り返る。
フィンは笑いながら、観察を終えた魚の状態を確かめた。
小魚たちは容器の中を元気に泳いでいる。
「大丈夫そうですね」
ギルは容器を水面近くまで下ろし、湖水を少しずつ入れ替えてから、魚たちを静かに放した。
小さな青い光はすぐに周囲へ散り、ほかの光に紛れていった。
「……帰っていったな」
ルカが呟く。
「うん。あの光の一つが、今の魚かもしれないね」
ノックスが言った。
ルカは少し嬉しそうに笑った。
◇
次に近づいた光は、青い帯とはまるで違っていた。
紫、橙、淡い緑。
さまざまな色がゆっくりと揺れ、暗い水中で大きな霞のように広がっている。
「……うわあ」
ルカが思わず声を漏らした。
「今度は何だよ、あれ」
「彩雲魚〈ネビュラ〉が集まっているんだ」
ノックスが答える。
「一匹一匹の色も違うの?」
「違う個体もいるし、光の見え方が変わることもあるよ」
「へえ……!」
ルカは目を凝らした。
青い光の帯とは違い、こちらは群れの輪郭がはっきりしない。
光の濃い場所がゆっくりと移り、時折、色の重なり方が変わる。
まるで、湖の中に雲が浮かんでいるようだった。
「綺麗ですね……」
フィンも見入っていた。
その時、彩雲魚の群れの端で、光がぱっと散った。
「……あっ!」
ルカが指さす。
紫と橙の光が、急に二つに分かれた。
その間を、何か細長い影が走り抜ける。
「今、何か通ったぞ!」
ギルが水面を見た。
「速かったな」
光の群れはしばらく乱れたままだった。
やがて、散った魚たちがゆっくりと集まり始める。
「……あれも、魚を狙ってたのかな」
ルカが呟く。
ノックスは水中を見つめていた。
「その可能性はあるね。ここには、小さな魚を食べる魚もたくさんいるから」
「そっか……」
ルカはもう一度、色とりどりの光を見た。
綺麗な景色の中でも、魚たちは追い、追われながら生きている。
「……じゃあ、さっきの光も」
ふと、ルカは顔を上げた。
「ノックス! あの青い光、もう一回見に行こうぜ!」
ノックスがぱっと振り返る。
「僕もちょうど、そう言おうと思ってた!」
「本当か!?」
「うん! 今度こそ正体を見つけたい!」
オーウェンが笑った。
「よし、分かった! 戻るぞ!」
◇
調査艇が先ほどの場所へ戻ると、青白い光はまだそこにあった。
「……いた!」
ルカが声を上げた。
小魚たちも、再び周囲へ集まり始めている。
ノックスは水中を覗き込んだ。
「よし。今度は横から見よう」
ダリオがカメラの位置を調整する。
「さっきより少し低いところから近づける。光の下まで見えるはずだ」
画面に、青白い光が映った。
その周囲を、小魚が数匹泳いでいる。
一匹が光に近づいた。
「……来た」
ルカが呟く。
カメラがゆっくりと動く。
光の下に、灰色の影が見え始めた。
「……あれ?」
ルカは画面へ顔を近づける。
「魚だ」
そこには、一匹の魚がいた。
大きさは七十センチほどだろうか。
頭が大きく、太い胴に比べて尾の方は細い。
暗い水の中でじっとしているため、光がなければ見逃してしまいそうだった。
その魚は、口を大きく開けていた。
「……え?」
ルカが目を丸くする。
青白い光は、魚の頭の上でも、体の横でもなかった。
開いた口の奥にあった。
「口の中が光ってる!」
フィンが思わず声を上げた。
魚の口腔の奥で、青白い光が明滅している。
小魚たちは、その光に向かって泳いでいた。
「……そういうことか!」
ルカが叫んだ。
その瞬間、一匹の小魚が口の前まで近づいた。
大きな魚の頭がわずかに動く。
ぱくっ、と口が閉じた。
小魚の姿が消えた。
「食った!」
「撮れました!」
フィンが声を上げる。
大きな魚は再び口を開いた。
その奥で、青白い光が静かに瞬き始める。
「……すげえ」
ルカは画面を見つめた。
「あいつ、光で魚を呼んでるんだ!」
「そういうことだね!」
ノックスの声が弾んだ。
「ランタンヘッドだ!」
「ランタンヘッド……!」
ルカが名前を繰り返す。
「頭じゃなくて、口の中が光るんだな!」
「そう! 口を開いて小魚を誘い、近づいたところを捕まえるんだ」
「そんな魚がいるのかよ……!」
ルカはもう一度、画面を覗き込んだ。
ランタンヘッドはじっと口を開けていた。
その奥では、相変わらず青白い光が瞬いている。
小魚たちはまだ警戒して近づかない。
だが、少し離れたところで、一匹が向きを変えた。
光を見つけたのだろうか。
その魚は、ゆっくりと近づいていく。
「……おいおい」
ルカは思わず呟いた。
「そっち行ったら食われるぞ」
もちろん、小魚には聞こえない。
小さな体が、青白い光へ吸い寄せられるように進んでいく。
ルカは息を呑んだ。
小魚が、開いた口のすぐ前まで近づいた。
ランタンヘッドの頭が、わずかに動く。
次の瞬間。
水が引き込まれるように流れ、小魚が口の奥へ吸い込まれた。
「……うわっ!」
ルカが声を上げた。
大きな口が閉じる。
光が消えた。
ほんの一瞬の静寂。
やがて、再び口が開く。
青白い光が、何事もなかったかのように瞬いた。
「……すっげえ」
ルカは、思わず笑っていた。
「綺麗な光だと思ってたら、あんな罠だったなんて!」
フィンは夢中で記録を確認していた。
「光を見せている間は、ほとんど動きませんね。小魚が近づいた瞬間だけ、一気に……」
「しかも、口の中に吸い込むみたいだった!」
ルカが言う。
「もう一度、映像を見たいです」
「俺も!」
ダリオが画面を操作する。
吸い込まれる瞬間を、今度はゆっくりと再生した。
水中の小さな粒が、魚の口へ向かって一斉に動いている。
「……本当だ」
ルカが呟いた。
「口を閉じるだけじゃないんだな」
「吸い込んで捕らえてるんですね」
フィンが答えた。
ノックスは嬉しそうにうなずいた。
「いい映像が撮れたね! こういう瞬間は、なかなか記録できないんだ」
「じゃあ、今日の大発見だな!」
「うん!」
ルカはもう一度、湖を見渡した。
青い星々が流れ、遠くでは緑や紫の光がゆっくりと揺れている。
小さな魚が群れを作り、その魚を追うものがいる。
そして、光そのものを餌に見せかけ、獲物を待ち構える魚までいる。
「……面白えなあ」
ルカが呟く。
フィンが顔を上げた。
「まだまだ分からないことだらけですね」
「ああ。でも、だから面白いんだろ!」
ルカは笑った。
その時だった。
少し離れた場所で、青い光の帯が大きく揺れた。
「……ん?」
ルカが顔を向ける。
天河魚の群れが、一斉に向きを変えていた。
長く伸びていた光の帯が途中で折れ曲がり、無数の光が四方へ散っていく。
「おい、あれ……!」
次の瞬間、群れの中を一本の暗い影が走り抜けた。
速い。
先ほどのヴェイルレイとは、まるで違う動きだった。
「何だ、今の!?」
ルカが叫ぶ。
影はすでに光の向こうへ消えていた。
だが、散った小魚たちはなかなか集まらない。
ノックスが水中を見つめた。
「……今のは」
「知ってる魚か?」
ルカが尋ねる。
「たぶんね。でも、あんなに速く動くところは久しぶりに見たよ」
「へえ……!」
ルカは光の帯から目を離さなかった。
小魚を追いかける魚。
光を使って獲物を誘う魚。
そして、まだ姿さえはっきり見えない魚。
「……よし!」
ルカが振り返った。
「次は、あいつを探そうぜ!」
オーウェンが笑った。
「おいおい! 次から次へと忙しいな!」
「だって、気になるだろ!」
「ははっ! そりゃそうだ!」
ノックスも楽しそうにうなずいた。
「僕も賛成だよ!」
ダリオがため息をつく。
「賛成するのはいいが、どこへ行くか決めてからにしてくれ」
「分かった!」
ルカとノックスの声が重なった。
オーウェンがまた笑う。
その向こうでは、散っていた青い光が少しずつ集まり始めていた。
長い帯がゆっくりと形を取り戻していく。
けれど、その外側の暗闇では、まだ何かが泳いでいるのかもしれない。
ルカはその奥を、じっと見つめていた。




