凱旋と旅立ち2
ひとまず、村で唯一の宿屋『笑う小人』亭へ向かう。この世界の他の地域がどういう場所なのかは分からないが、少なくとも聞いた話では――定期的に外から行商人がやってくることもあって――この宿屋の質は田舎の村にしては上質とのことだった。
それを示すように、宿屋に入ってすぐの場所に掲げられた料金表は、少なくとも今日のねぐらに困るような無一文相手ではないという値段設定を提示している。
リンにはそこで一泊してもらうことにする。俺はこっちに来てからのねぐらになっている冒険者用の簡易宿泊所に戻ればいい――そう思っていたところで、その一泊する張本人が不思議そうに俺を見て言った。
「私と君が離れてしまっては意味がないだろう?」
「え?」
さも当然とばかりに言う彼女に、思わず間抜けな声が出る。
「私はフォシークリンの精霊だ。そして、聖剣であるフォシークリンを抜けるのは適合者であるリヒト、君だけだ」
すっと、細長い人差し指が俺の顔を示す。
「宿屋に剣だけ置いていく訳にもいかないだろう?」
「いや……でも」
かといって簡易宿泊所にギルドの冒険者以外を泊めることはできない。
「……というか、精霊なんだから姿を消すとかできないのか?」
「生憎、そうそう便利な体じゃない」
まあ、そんなことが出来るのなら今既にやっているだろう。存在しないものとしてふるまえれば、その方が色々簡単だ。
「……なら余計に、リン一人で泊まればいいだろ?二人分ともなれば金だって……」
言いかけて、どうやら相手の言葉に従った方がいいと直感した――併設の、というか村人にはこちらがメインの酒場にたむろしている連中が、興味深げにリンに熱視線を向けていることで。
彼女を一人で置いておけば、まあ面倒な話にはなるだろう――ギルドを訪ねた時点でトロール討伐よりも彼女の方に興味がありそうなのは何人かいたし、正直同じ男として、リンはそれも無理もないと思う容姿だ。
「……分かった。じゃあ俺も泊まろう」
まあ、幸いトロールの報酬にはまだ余裕がある。一泊素泊まりぐらいなら大した影響もあるまい。
そう結論付けてカウンターへ。
「生憎だね、一部屋しか空いてないよ」
「それでお願いします」
「えっ!?」
精霊の即答。翻されては困ると早速宿帳を取り出す主人。一人取り残される俺。
二階の部屋に通され、ベッド――というよりも、ベッドロールを置いた木製の台が一つと、その片隅に丸められたむしろが一枚だけ。
「ちょっと狭いけど……まあ、二人並んで寝られないこともないか……」
精霊本人は気にする様子もない。
姿かたちを人間に似せたところで、中身は別の生物という事か。
「いや、あの……」
「どうかした?」
結局、なんとかして俺がむしろを床に敷いて寝る形に説得し終えた時には、一日の疲れがどっと出たような気がして、まだ夕方と呼ぶべき時間帯だろうに横になりたいような気分だった。
それから簡単に夕食を済ませ、身支度を整えると、まだ下の酒場の騒ぎが聞こえるうちに体を横たえた。
「あしたからよろしくね!リヒト」
「ああ。よろしく」
明日以降、どこかに泊まる時はどうしようか――そんなことを考えながら、そう考えることにも疲れて少しずつ瞼が重くなってきて、やがて脳が擦り切れるように思考が止まった。
「……」
その眠りが謎の質量によって遮られたのは、ちょうど空が白み始めた頃だった。
「……うえっ!?」
何かが体の上に乗っている。
柔らかくて、ほのかに熱を帯びた何か、俺と同じか少し小さいぐらいのサイズの何か。
そしてその何かから発せられているのだろう、静かで規則的な寝息――寝息?
寝ぼけた頭が一つずつ整理していく。
俺は今ベッドの横の床に寝ている。そこに何かが落ちてくるとしたらベッドの上からしかない。そしてベッドの上には――。
「ッ!!?」
電気ショックのように眠気が吹き飛んで、明るくなり始めた部屋の中で、俺に覆いかぶさるようにして寝息を立てているリンの、その白銀の髪の毛が東の空からの光に浮かび上がっているのが見えた。
「……ぅあ」
恐らく転がり落ちたのだろう。その衝撃でもぞり、とその張本人が目を覚ます。
「ああ、おはよう。すまない。落ちてしまった」
昨日よりいくらか低いテンションでそう言うと、もぞもぞと動いて体を起こす――あと少し彼女との密着が解けるのが遅ければ、その一瞬で正直に反応した雄の部分に感づかれていたかもしれない。
今後は気を付けた方がいいだろう。少なくとも俺からわかる範囲では、彼女は俺より遥かにその辺のことについて頓着がない。
とにかく、出発だ。
急いで荷物を纏めると、何やら楽し気な視線を向けてくる店主に見送られて早朝の外へ。
そのままその足で村の東の外れへ向かうと、古い柵と石塁によって区切られた雑木林との境界線に設けられた小さなゲートの前にたどり着く。
この辺には民家もなければ、田畑や施設の類もない。誰もいない村の外れ、かつての街道の名残か、石畳の残骸のようなものが道しるべのように少し残るだけの小道が、そのゲートから伸びているだけだ。
「あれが東の門……門と言っても、たまに冒険者が通る以外には誰も使わないけど」
その小さなゲート指し示してリンに説明。
「その向こうからが例の旧街道って訳だ」
「そういうことだ」
いよいよそこから先は冒険者の領域だ。旧街道とはいえ今ではモンスターも現れる。
「よし……改めてよろしく、リヒト」
「ああ、よろしくな」
その旧街道に続くゲートへ。余程年季の入ったそのゲートの脇にある、同じぐらい老朽化した番小屋の前、そこで眠そうにしている門番にギルドの登録証を見せると、それだけで簡単にゲート通過の許可が出た。リンの方はノータッチだ。意気込んだはいいが、この辺りは名うての冒険者たちが挑むような危険なダンジョンとは比べるべくもない。最下級でも一人の冒険者がついていれば問題ないという判断だろう。
「ロマリーまでかい?」
業務上――というより暇つぶしといった感じの門番の問いかけに首を縦に振ると、彼の視線は最早山林と区別がつかない門の向こうへ。
目指すロマリーの町がその先にある。ここからでは全く分からないが。
「この道を抜けた先で小さな渓流に出る。そこを越えればすぐのはずだ」
「どうも」
ルートを教えてくれた門番に礼を言って先へ。ともあれ、これで準備は整った。
眠そうな門番の横を通り抜けて、俺たちは今や雑木林と一体化しつつある旧街道へと足を踏み入れた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に