廃都3
「グルルル……」
牙をむいて、低く唸り声をあげるヘルハウンド。
一歩で跳び下がったその距離は、前進についても一歩で行えることは先程の攻撃で証明されている。
「く……っ」
姿勢を低く、尻尾の先端をサソリの針のようにこちらに向けた姿勢の相手にこちらからも剣を向けるが、正直対抗できる気は全くしない。
「ッ!」
だが当然、そんなことは奴にはお構いなしだ。
再度飛びかかった奴の牙。聖剣の刃とあたってガチンと音を立てたそれは、その一本一本に纏わりついた唾液まで見えるような距離に迫っている。
「このっ……!」
渾身の力で突き放して、着地した直後を狙っての薙ぎ払い。
だが、刃は空を切り、奴は再び飛び下がる。
「光よ、我が敵を射抜け!ファイアボルト!」
リンのファイアボルトも当然ながらひらりと躱し、回避動作のまま空中で姿勢を変える――その横やりの方向へ。
「リン!逃げろ!!」
叫んだ俺の声よりも、恐らくヘルハウンドが彼女に飛びかかる方が速かった。
「あっ――」
一瞬だけの声。
飛びかかる巨躯によって見えなくなる姿。
「リン!!」
咄嗟に駆け寄る。
見えてくるのはヘルハウンドの巨大な背中。
そしてその下に組み敷かれ、今まさに首に牙が達しようとしているリンの姿。
「リンから離れろ!!」
叫び、奴の背中に蹴りをくれるが、牛のような巨体は一切動かない。
そしてそのまま、奴の牙はしっかりと獲物を捉えていた――幸いにも、紙一重の所で首を庇った腕を、だが。
「うああああああ!!!」
リンの絶叫が響き渡る。
辛うじて首への一撃は避けた。しかし当然、腕なら耐えられるというものでもない。
「てめえ!」
叫び、奴の横っ腹に剣を突き立てるべく狙いを定め――そこで、先客に気づいた。
「ぐううっ!!うっ……ぐっ……、光よ――」
まだ無事な方のリンの手が、下から支えるように奴の胴体に触れ、そこから撫でるように真っ赤に染まっているもう片方にかじりついているその頭の下に持っていく。
「――我が敵を射抜け!ファイアボルト!」
そしてそこから放たれた文字通り捨て身の一撃は、これまでこちらを翻弄していたヘルハウンドに、初めてダメージを与えた。
「ギャッ!!!」
奴が叫び、弾き飛ばされるようにリンから離れる。
「リン!」
「奴を!!」
反射的にヘルハウンドを追う。
頭に受けた一撃によって、未だにまともに動けないでいる奴を。
まさに千載一遇のチャンスだ。
いや、絶対に逃がしてはいけない最後のチャンスだ。
加護を受けた体が言っている――これを逃せば勝ち目はないと。
「おおおおっ!!!」
叫びながら、剣を構えて突進する。
ヘルハウンドもダメージから立ち直れずとも戦意自体は失われていないのだろう。それどころか、傷を負わされたことで激高しているのかもしれない。
「ウオオッ!!!」
まるで俺を真似るように咆哮して牙をむき、そのままこちらへと突進。迎え撃つという後手の姿勢ではない、近づいてくる敵を殺すという意思が体を動かしている。
「ッ!!」
だが、それは意思の話だ。
体はしっかりとダメージを受けて、動きが鈍っている――聖剣の加護のある俺なら何とか見切れるぐらいに。
「ギッ――」
飛びかかるヘルハウンド。
その攻撃を身を屈めて躱し、上下のすれ違いざまに剣を突き上げてその胴体を引き裂く。
手から剣をもぎ取らんばかりの質量と勢い。そしてその中にあってもほとんど抵抗なく奴の体の中を通り抜けていく聖剣の刃。
「シャァァッ!!!」
渾身の力を込めて振り抜いた一撃は、しっかりと奴を切り裂いた。
その事実が判明したのは、奴の攻撃をかわした=俺が生きていると理解して振り向いた後、着地地点だろう場所で地に伏せるような姿勢のまま動かなくなっているヘルハウンドの姿を見てからだった。
「……やった?」
地面に伏せ、弱々しく硫黄の息を吐き出しながら、しかし時折そこに唸り声を混ぜるぐらいには戦意を残している。
「……」
奴のその首に切っ先を突きつける。
「……終わりだ」
ほとんど抵抗なく入っていく刃。すっと引き抜くと、今度こそ戦いは終わった。
その時、背後から何かを叫ぶ声が聞こえて、思わず振り返る。
「お前……」
ヘルハウンドを解き放った小柄な老人のようなそいつが、何やらよく分からない言葉を俺に浴びせかけている。
状況と、その憎悪に満ちた表情とから考えて、勝利を祝福してくれている訳ではないのは明らかだった。
だが、ここで俺たちと一戦交えるつもりはないらしい。奴は一通り喚き散らすと、踵を返してすぐ後ろの道に駆けていった。
「あっ!待て!」
咄嗟にその背中に叫ぶが、当然そんなもの聞き届けられることも無い。
奴が背の高い石造りの建物の隙間の道に消え、俺は再度振り向いて、今度はリンの方へと駆け寄った。
「大丈夫か!?」
「ああ……少し……痛むけど……」
嘘が下手だ。やせ我慢という言葉の具体例のように弱々しい声。
夥しい出血で噛みつかれた左腕全体が真っ赤に染まり、対照的に血を失った顔は青白く生気を失っている。
――改めて、神殿で補給を受けられたことには感謝しかない。
「回復薬がある。神殿で貰ってきたやつ」
「済まない……ハハ、私も血が出るんだな。精霊なのに……」
これもまた手に取るように分かる、努めて明るく振舞おうとしているその弱々しい笑顔に貰ってきた薬の瓶を差し出して、腕が動かない事を思い出して栓を抜き、そのまま口元に持って行った。
「これを」
「済まない。ありがとう」
こくん、こくんと規則的に彼女の喉が動く。冒険者用の回復薬の即効性は目を見張るものがあるが、今回もその例にもれず、日本で売っている栄養ドリンクの瓶を一回り大きくしたようなそれを空にする頃には、骨に達しているのではないかと思われるほどに痛々しかった傷口は、既にあらかた塞がってきていた。
「まだ痛むか?」
「いや……もう大丈夫だ。それより、奴を追おう」
俺にしがみつくようにして体を起こしながらも、既に立ち上がって動けるぐらいには回復しているようだ。
そして彼女は、先程あいつが逃げていった道の奥をじっと見つめて呟いた。
「奴は恐らくスプリガンだ。……追いかけるのは危険だけど、放置するのはもっと危険な相手だよ」
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




