凱旋と旅立ち9
「やったな」
「ああ」
巨大な甲羅から降りると、ようやく構えを解いたリンに迎えられる。
「よくあんなことしようと思ったな」
「腹が弱点って言ったのはリンだ」
言いながらも、それが照れ隠しであることなど誰より自分が一番よく分かっている。
剣の加護と、いわゆるコンバットハイという奴だろうか、こうして戦闘を終えた今冷静に――記憶的な意味と実際的な意味の両方で――振り返ってみると、この巨大な殺人蟹の甲羅に飛び乗って注意を自分に向けるなどという途方もなく危険な賭けに出ていたということを実感する。
「全く、無茶をする」
そのリンの評価には俺自身言い返せる点は何もない。
「だけどお陰で助かったよ。ほら、これで体を拭いて」
そう言って差し出してくれたタオルで、俺は全身が泥まみれなことに気づいた。
「ああ、すまない」
受け取ったそれで体を拭いていく。泥臭さが残っているような気がして入念に。
「後で洗って返すよ」
ロマリーに着いたら、宿屋で水をもらって洗濯しよう。
新たに増えた目標と共に、俺たちは人食いガザミが塞いでいた対岸への橋を渡って元の岸に戻った。ロマリーがもうすぐだということは、そこからほどなく現れた分岐と、そこに立つ看板が教えてくれていた。
「ここを右か」
古ぼけて、文字も消えかけているものの、まだ辛うじて見える矢印とロマリーの文字。それに従って渓流を後にし、旧街道と同じような狭くて緩やかな上り坂を進んでいくと、生い茂った木々の向こうに石塁と、その上に築かれた木製の防壁が姿を現した――その向こうに見切れている民家の屋根も、また。
「ロマリーだ!」
その屋根を指さして声を弾ませるリン。
どうやらこのルートを通ってくる旅人は滅多にいないようで、その石塁の切れ目に設けられた門にいた衛兵が、珍しい生き物でも見るかのように俺たちを出迎えた。
「こっちから人が来るなど久しぶりだな」
俺のギルド証を改めながらそう感心したように呟く衛兵。
村よりいくらか栄えているとはいえ、まだ田舎町で、加えてこの辺りは山賊なども少ないのだろう、俺の身分が明かされれば、同行しているリンについては俺の証言と、この門の通行料だけで中に入ることが出来た。
「あの、一つよろしいですか?」
と、門をくぐったところでリンが衛兵に尋ねる。
「この町にバティスという鍛冶屋さんがいると聞いたのですが」
「ああ。バティス親父の店なら、ここをまっすぐ行って、街道に出たら右へ。それからしばらく進んだ道沿いにあるよ。すぐ横に町の北に続いている小道があるから、それを目印にすれば分かりやすいはずだ」
教えてくれた衛兵に礼を言って門を後にする。思えば俺にとってはこっちに来て初めてあの村以外の市街地だ。
「ここがロマリー……」
門の向こうには、外から見えた背の高い建物が入ってすぐの衛兵の詰め所の横に一軒。これがどうやら宿屋のようだが、少し見た感じであまり儲かっていなさそうなのは分かった。
どうやらこの辺りは町の南の端に位置するようで、中心部は町を東西に貫通する街道沿いなのだということを、その宿屋に並ぶ数軒の古い民家の向こうから聞こえて来る喧噪や物売りの声で何となく察する。
「ともあれ、まずは宿屋を探すか……」
まずは寝床の確保だ。見知らぬ町で宿もなく放り出されるのは悲惨だ。
先程の流行っていなさそうな宿屋でもいいのかもしれないが、もし街道沿いにもっと安い場所があればそちらへ足を延ばしてもいいだろう。いずれにせよ道端でテントを張って野宿という事態は避けたい。
――だが、鍛冶屋に用がある張本人はそうではないようだ。
「いや……先に鍛冶屋に行かせてもらえないか?」
そう告げる彼女の表情は、逸る気持ちを抑えているというよりも、不安と緊張で強張っているようだった。
何かある――特別勘のいい方ではない俺でさえわかるほどに、彼女は焦っている。
「……どうかしたのか?」
速足で教えてもらった鍛冶屋の方へと向かうリンを、同じように速度を上げて並びながら訪ねる。
「いや……」
最初はそう口にしたリンだが、その答えは無理があるというのはその言葉以外の態度全てが物語っている。
「……胸騒ぎというか……予感がするんだ。すごく嫌な」
さびれた南側からメインストリートと思われる街道へ。
やはり街道の途中にある町だけあって、我々と同じような冒険者や、どこかに向かう途中の行商人や巡礼者など、様々な人間が往来を行き来していて、村にはなかった活気を見せている。
そんな道行く人々のすき間を縫うように足早に進む俺たち。旅人を相手にした商店や酒場なんかを通り過ぎていくと、先程の衛兵の言葉通り道が二つに分岐している場所が見えてきた。
まっすぐ進めばこの街道沿いに町の西の端に達し、もう一つの道=北に向かう小道が雑木林の中に向かって伸びている。
その丁字路の手前、ハンマーの絵の描かれた看板の掛けられた古い家。
この世界で鍛冶屋を表すその看板といい、先程の話といい、おそらくそこが探していた鍛冶屋だ。
「幾らかかるかな……」
足を動かし続けながら財布の中身を確認。
トロール討伐の報酬と、かき集めたなけなしの旅費で足りなければ、リンには申し訳ないが少し金策を待ってもらわなければならない。
だが、その現実的な問題は鍛冶屋の扉を叩いた瞬間にひとまず棚上げになった。
「ああ、お客さんですね」
静かに開かれた扉の向こう、現れたのは年配の女性。
リンのそれと同じぐらい険しい表情をした彼女は、俺の腰に下がっている剣を見るや一言。
「申し訳ないですけど、今はご注文を受けられないんです」
「えっ……」
「それって、鍛冶屋さんに何かあったってことですか!?」
予感が当たった――そう言わんばかりに食いつくリン。
普通なら面食らうだろうその言葉と態度だが、その女性の反応はしかし、そんなものを気にしている余裕はなさそうだった。
「バティス……夫は、帰っていないんです。昼頃に北の遺跡に向かっていったきり……」
予感的中――俺と顔を見合わせたリンの顔には、確かにそう書かれていた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




