凱旋と旅立ち8
「リヒト!下がって!!」
先程とは逆に彼女が叫び、俺が従う。
「光よ、我が敵を射抜け!ファイアボルト!」
彼女の叫びが木霊し、飛び退いた俺とすれ違った光球が、吸い込まれるように俺が剣を振り下ろした場所へ。
「ッ!?」
そしてその光もまた、明後日の方向へと弾き飛ばされて消えた。
「こいつ……!」
これまであらゆる敵を倒してきた聖剣フォシークリンと、リンのファイアボルト。
その二つが、目の前の巨大蟹には通じない。
そして、その無敵の装甲を誇るそいつは、どうやらこちらに有効な攻撃手段がないことを理解したようだ。
「クソッ!来るぞ!!」
二つの鋏を振り上げ、防御は不要とばかりにこちらに飛び込んでくる。
――奴と違い、一撃で寸断されてしまうだろう俺たちに向かって。
「くうっ!!」
振り下ろされる鋏を間一髪で躱す。
飛び下がって距離を取り――瞬間、かかとの感触が理解する。
「クソッ!行き止まりだ!」
崖っぷちぎりぎり。これ以上は下がれない。
そしてそれを知ってか知らずか、人食いガザミは両方の鋏を構えてじりじりとこちらに――蟹のくせに――前進して距離を詰めてくる。
「何か手はないのか……!?」
今もう一度鋏を振られれば、今度こそ逃げ場はない。
祈るような気持ちで奴のことを知っていたリンの方に目をやると、どうやら彼女も打開策には至っていないと、その険しい表情が物語っていた。
「奴の甲羅、腹側なら薄いと聞いたことがあるけど……」
「腹じゃここからでは見えないってことか……」
弱点は見つかった。だがそれが打開策かと言えばそうではない。
当然ながら、普通にしていれば地面に向いている腹を狙うことは出来ない。
「だったら……」
頭の中に浮かぶギャンブル。失敗すれば間違いなく命はないだろう――俺も、リンも。
だがどうせこのまま奴が迫ってくるのを待っていれば100%同じ結果だ。
「……よし、なら俺が奴の腹を露出させる」
「出来るのか!?」
「やってみるさ」
そうだ。やってみるしかない。一か八かでも、それに賭けるより他に無い。
人食いガザミは既に距離を詰めてきている。あと少しでもう一度あの鋏の間合いに入る=チャンスは一度きりだ。
「……分かった。私はどうすればいい?」
どうやら彼女も賭けてくれる。
「奴の腹が見えたら、それを破れるような一発を打ち込んでくれ」
それが出来るかどうかは聞かなかった。そんな時間はなかった。
それに、彼女はただ黙って頷いた。なら今は信じるしかない。
「……」
剣を肩に担ぐ。巨大な岩が迫ってくるような相手を正面から睨みつける。
「よし、行くぞッ!」
叫び、それを合図に奴へと突進。目指すは奴の左側の鋏。
「おおおおおっ!!!」
蟹に聴覚があるのかは知らないが、もしあった場合に備えて注意を引きつけるための咆哮。そして何より、己の恐怖心を少しでも軽減するための雄たけび。
「ッ!!」
奴が鋏をテイクバックする。確実に俺を殺すためだろう、甲羅の中心から伸びている二つの触角のような目が俺を見ているのかは分からないが、少なくとも無反応ではない。
「リヒト!!!」
「ここだっ!」
その鋏が振り下ろされ、リンが悲鳴にも似た声を上げる。
剣の加護を最大限信じた突進は、その瞬間を狙って跳躍に変わる。
「ッ!!!」
巨大な鋏が岩場を抉った――俺が一瞬前までたっていたそこを。
「よしっ!!」
そしてその鋏を構成する、二つの爪が重なっている場所へ降りる。第一段階は成功。
「オラッ!」
そして間髪入れずに第二段階=その爪を足場に、奴の甲羅へと大きく飛ぶ。
爪の上の邪魔者を振り払おうと奴が動く、その瞬間にギリギリ間に合った大ジャンプ。杭を突き立てるように逆手に持ったフォシークリンを、二つの目の間に突っ込む。
ギリギリの到達。やはり甲羅には刃が通らないが、それでも奴の上に足をかけるとっかかりとしては十分に機能した。
「うおっ!!っとと」
奴が動き、泥にまみれた甲羅が滑る。
突き立てた剣を杖替わりに何とかこらえ、咄嗟にすぐ横にあった触角のような器官を掴んで耐える。
――それが、奴にとっては許しがたい行為だったようだ。
「うわっ!!」
ぐわん、と地面が隆起する。
いや、奴が動いたのだ。邪魔くさい自分の上の相手を振り落とすために。
「くっ、うおおおおっ!!?」
全ての足を複雑に動かしているのだろう、最早ロデオのような有様で、振り落とされずにいるのが精いっぱいだ。
奴は暴れる。体をゆすり、傾かせ、回転しようと試みる。
「くうぅぅっ!!!」
それに振り落とされないように、俺は必死でしがみついた。落ちれば死。それに比べれば異臭を放つ泥ごと目の前の棒状のものを掴むなど大したことではない。
「うおおっ!!!」
だが、泥ごと掴んだ手は滑りやすい。体ごと抱き着くようにしてさえ、なおもずるり、ずるりと動きに合わせて放されていく。
「クソッ!この――」
もう限界だ――その言葉が頭をよぎり、おそらく奴自身も後ひと踏ん張りだと理解したのだろう、俺を投げ捨てるべくその体を大きく持ち上げた。
「光よ、我が敵を射抜け!ファイアボルト!」
瞬間、その声が意識の外から届いた。
そして俺の握力が限界に達するその直前、がくんという衝撃と共に、足元の動きが収まった。
「うわっ!!」
それを理解した瞬間、今度は傾斜が一瞬で元に戻っていく。
いや、元を通り越した。前方に対する大きな仰角は水平を通り越して俯角へ。
ずしん、という音が聞こえてきそうな衝撃を最後に動かなくなる人食いガザミ。
俺たちを執拗に狙った左右の鋏はだらりと地面に投げ出され、体を支えていた左右の足も全て、その巨体を支えるのを辞めて放射状に広がっている。
そしてその二つの鋏の向こう、ファイアボルトの構えのままじっとこちらを睨んで立っているリンと目が合う。
「「……ッ」」
その交錯が、お互いに理解させた――成功だ、と。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




