102.エルフの先生が来た ④
知らない単語があった桃は、すかさず狐に聞きます。
『彼女、毒を盛られたそうだ』
「毒? どうして」
全身揺さぶられるような衝撃を受けます。誰が、何の為に、どうやってリンに毒を飲ませたというのでしょうか。全身に鳥肌が立って、寒気までしてきました。
『毒の入ったもらい物の菓子を食べてしまったらしい』
「まあ、エリが持って来ちゃったんだけどね」
「はい?」
「用意したんじゃないよ、良く覚えてないんだけど、今朝気がつけばそれを持って部屋の中に入ってたんだ
よね。シム坊の家でもらったんだっけなあ。箱には確かにリンへって書いてあって、しかも香りのきつい菓子で、毒が混じっていることに気がつかなかったみたいなんだ」
「そのお菓子は、彼女だけが召し上がったのかしら?」
フランはなお女エルフを疑っているようで、彼女に鋭い視線を向けています。相手は目を伏せました。見るからに血色が悪く、その場で倒れないか心配になるほどです。
「エリも食べたよ。箱には何個か入ってたから。でも、全部に混ざってた訳じゃなかった。すぐに捨てちゃったから確かなことは言えないけど、半分くらいに混ざってたのかな。で、二個目で引き当てちゃったんだ」
『ある程度危機感のある者ならば最初の一口目は疑うだろう。だが、一つ食べて安全だと分かれば安心して食べ進めてしまう可能性は高いだろうな』
「そゆこと」
エルフは顔を棚の上に乗せたまま、狐に人差し指を向けます。
(毒が入ってるかも、って考えながら食べたことなんてあらへんなあ)
桃は後ろめたいような恥ずかしいような気持ちになりました。
「周りに配って回るようなタイプじゃないことはとっくに把握済みだろうしね。下手すりゃエリみたいに一緒に食べる奴がいたら、もろとも殺す気だったんじゃないかな」
「一緒に食べた人も……怖いです」
と桃が呟くと
「怖いよー」
エルフが気の抜けた返しをしました。
「それで、リンちゃんの体はどうですか? お医者さんは? お薬は?」
「そうよ。もしあてがないと仰るなら、私の知り合いを呼ぶわよ」
「すぐに吐きだしたし、解毒薬は飲ませたし、そのうち治るとは思うけど。問題はその手の輩が表立って動き出したってことさ。こうしちゃいられないな」
エルフは一旦背伸びをすると外に出てきました。
「おっ、良いの持ってるじゃん。楽器?」
リュートの袋にエルフが手を伸ばすと、鋭い声で
「勝手に触れないでくださいませんこと?」
と言いながら身じろぎをしました。
「袋じゃん。中身を出してから言ってよ。そういうことはさっ」
エルフはそんな言葉を残して階段を駆け下りていきます。フランは手すりから身を乗り出し、階下のエルフに向かって叫びました。
「ちょっと、リンを置いてどこに行くつもりですの」
「お湯は適当に見ておいて~」
「まるで話が噛み合わないわ。わざと逸らしたのかしら?」
「あ、お湯、本当ですね。お邪魔します」
竈でお湯が沸かしっぱなしになっていたので、桃が急いで薪の調節をしにいきます。寒い上に火をつけるのは大仕事ですから、焚いたままにしたいところ。しかし、リンが動けない間は誰かが火の番をしていなければなりません。
リンは壁に顔を向けた状態でうずくまっており、呼吸も苦しそうにしています。
「具合はいかがですか?」
囁きかけながら顔を覗き込むと寝汗をびっしりかいていました。桃は開けっ放しになっていたタンスから綺麗そうな手ぬぐいをとり、瓶に張ってある水で濡らします。
「あの、お顔を拭いてもいいですか?」
と声を掛けると寝返りを打ちました。うっすらと目を開けて、タオルに向かって腕を伸ばそうとしています。どうやら多少意識はあるようです。自分で拭きたがっているようにも見えましたが、その腕は力なく垂れ下がっています。
「無理しないでください」
そう言って額や首元を撫でるように拭き取りました。彼女はすぐに寝返りを打ってしまいます。外からはフランと丁度家に帰ってきたのであろうサムの話し声が聞こえてきました。
「急に下へ降りていってしまったのよ。どう思いまして?」
「多分、毒の出所を探りに行ったんじゃねえの。自分も危ない訳だし。丁度ゲラ……一階の部屋に入っていくのは見えたから」
「だからって今行くことないじゃない」
「必要最低限の処置はしてあるんだろ? なら早いほうが良い。敵の足跡は消えて行く一方なんだし」
「そう……ところで、貴方達って警察には知らせないのね」
「まあな」
板のきしむような音がします。階段を上ろうとしたか、あるいは下ろうとしたのでしょう。しかしそれはすぐに止んで、再びサムの声が聞こえてきました。
「今日は護衛、いないんだな」
「お休みですの」
「護衛って一人しかいないの? 普通そいつが休みなら親とかが絶対外に出そうとしないと思うんだけど」
「それは……貴方にいちいち話すことではありませんわ」
「うん、まあ聞くほどのことでもないな。いい加減お帰りになったらいかがです?」
「突然慇懃無礼になりましたわ。……ところで貴方、まさかレディを一人で歩かせようなんて言いませんわよね」
「何を今更おっしゃるんですかねえ。散々一人でほっつき歩いてる癖に。安心しろ、モモだって一人で出かけているんだ。全く何で一回も刺されていないのか不思議で仕方無い」
「紳士さの欠片もないこと。もう一度伺いますわ。レディを一人で帰らせるつもり?」
「逆に聞きますけど、そんなに俺なんかと歩きたいんですか?」
フランの大きなため息が、部屋にいる桃の耳にまで聞こえてきます。
『若いのに身持ちが固いな。大変結構なことではないか』
「はあ……。もういいですかね」
「これからどこへ行くつもりですの?」
「……あんたには関係ない」
「けれど、関係ある人はいるでしょう?」
フランが桃を手招きしています。それに気がついて玄関先まで戻っていきました。サムは再び階段を降りていこうとしています。ずっと会話を断片的に聞いていた桃でしたが、いざ顔を合わせると気まずい空気になります。
「お帰りなさい」
うつむきがちに言ってみました。
「ちょっと調べ物してくるから。モモは暫くそこにいさせてもらったらどうだ」
「え、良いんですか?」
「さあ。部屋の主次第だろうけど、どうせ戻ったところでいてもたってもいられないんだろ?」
「そう、ですね……。そうします」
「じゃ」
サムは静かに階段を降りていきました。
「私も少しここにいさせて貰おうかしら」
フランもリンの部屋の中に入っていきます。
「お店に行かないのですか?」
「まだ時間はあるもの。それにすぐ下に降りたら気まずいでしょう?」
ウインクしたフランはリュートを下ろして、背の低い箪笥の上に腰掛けました。机のすぐ側にあり、上には丸い形をした布が置かれているので、椅子代わりに使われているようです。
「全く……変な勘違いをされたくないだけなんでしょうけど、不器用な人よね」
彼女はリュートを抱え直して照れくさそうに微笑みました。桃は扉の向こうをぼんやりと見つめていました。
折角だから三人分の夕食をまとめて作ってしまおうと思った桃は、自分達の部屋から鍋と材料、調味料や薪をせっせと持ってきます。持って来た薪を足して、お湯の沸かしてあった鍋を引き上げて冷ましておきます。後で移し替えられるように空の瓶を探し出して洗っておきました。湯気からほんのりと爽やかな香りがするので薬草を煮出していたようです。
一旦井戸で水を汲んで戻ってくると、ポロン、ポロンと弦をはじく音が聞こえてきました。
フランがリュートでゆったりとした音楽を奏でています。その響きに合わせて口ずさむ歌は優しい子守歌のよう。抑える弦が変わる度に、金色の長い睫毛が動きます。決して綺麗とは言えない部屋の中なのに、まるで絵画の中にいるような光景でした。
パチパチと薪の割れる音、野菜を刻む音、リュートの音色、そしてまどろみを誘うような艶やかな歌声。パン粥が完成する頃には、リンの寝息も穏やかになってきました。




