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100.エルフの先生が来た ②

 お兄さんが今まで住んでいた家と、これから住むことになる絵描きギルドの親方の家を二回ほど往復して荷物を運びました。彼らは一旦グレアムの家に戻り、立ち話をしています。当面の間必要なものは全て運び終え、残りの大きな家具などは後日馬車を呼ぶことになりました。


「お前、今日はどうするんだ」


 お兄さんが女エルフに尋ねます。


「うーん。飲み友達のところへいこうかな」


「そうか。迷惑かけるなよ」


「それは保証できないかなあ」


 女エルフが歯を見せてからかうようにいうと、お兄さんの顔が僅かに曇りました。


「大丈夫だって、元々そんなに迷惑かけて無いもん」


 その表情で心中を察した様子でしたが、お兄さんは手で頭を抑えて、大きくため息をつきました。


 桃とサムはグレアム達に別れを告げ、帰路につきます。ところどころ欠けた石畳の道がしばらく続く通りを歩き始めました。石と石の間には苔のような草が生えてきています。それを踏みしめると、靴越しに柔らかい感覚が伝わってきました。肌寒い空気の中に微かな春を感じます。人がまばらに歩いている往来に、長い影が三つ伸びていました。エルフの女性も二人と同じ道を歩いていたのです。


 急にスキップを始めたかと思えばちょこちょこと小股で歩き始め、時折スカートにたっぷり空気を含みながらその場で一回転。奇怪でありながら優雅に振る舞っていたかと思いきや、軒先に止まっている鳥を威嚇したり、露店のものを物色して追い払われたり。ただ目的地に向かっているだけなのに随分とせわしない様子です。今日はいつも以上に周囲の視線が冷たく感じられます。近くにいるというだけで仲間だと思われてしまったのでしょう。それに耐えかねたサムがエルフに向かって問いかけました。


「なんでついてくるんですかね?」


「ついてってないよ。飲み友の家がそっちにあるだけ。うん確かそうだよな、絶対そうだ。ヒラヒラふわふわした服を着ている人の店の近くだった。店が燃えかけて出禁にされちゃったもん」


「え?」


 サムが未だかつてないほど濁った声を発します。エルフの女性は曇りのない瞳でサムを見つめています。


「うん」


「あ、左様ですか」


 サムはくるりと向きを変え、桃が着ている服の袖を引っ張りながら足早に進みはじめます。通りの左右に立ち並ぶお店と女エルフの姿がぐんぐん遠ざかっていきました。



 家に帰った後、厠から戻り階段を上っていると、二階の玄関扉が僅かに開きリンが顔を覗かせました。相変わらず肩の上くらいの長さをしたボサボサの髪に、けだるそうな表情をしています。前髪で目が隠れていましたが、どことなく視線が向けられているのを感じ取った桃は彼女の元へ駆け寄りました。


「リンちゃん。どうしましたか?」


「お帰り」


 リンは足元に視線を移しながら囁きます。


「ただいま」


 そして、開いた戸の隙間から滑り混ませるように石板を差し出しました。蝋のような質感のある柔らかい石で字を書いたり、布で消したりすることのできる道具です。話すのが苦手な二人は時々これを使って文通のようなものを行っていました。


「ありがとう」


 その場でリンの字を読むことができない桃は明日、仕事場であるグレアムの家に持って行こうと心に決めます。職業柄なのか、今のところグレアムだけはこの字を読むことができるのでした。


 その時「あぁぁぁー。居たあああああ」という素っ頓狂な声が響き渡ります。ついさっき聞いた覚えのある声に驚いた桃が手すりから身を乗り出して下を見る頃には、もうドタドタという階段を上る音がしていました。リンは部屋の中に引っ込んで戸を閉めてしまいます。勢いよく階段を駆け上がってきた女エルフは何故か水くみの桶を頭に被っており、頭から水を被ったかのように体が濡れていました。髪の毛先から雫が落ちています。しかし気にも留めることなくリンの部屋の扉を開け放ちました。


「Crad faty micolf hoca! Izukoy.(先生が帰ったぞ。喜べ)」


(え、faty(先生)? この人がリンちゃんの先生?)


 腰に手を当て得意げにしている女エルフの言葉に、桃は頭が混乱しはじめます。リンは普段から表情があまり変わらないのですが、ほんの僅かに不機嫌そうな顔をしました。そして何も言わずに取っ手を持って扉を閉めようとします。それを女エルフが肘で止めました。扉と枠の間に彼女が挟まっているような構図にな

っています。


「いーきなり閉めるのはどうかと思うな~」


「帰れ」


「帰る場所ないもん。ってゆーか帰って来たじゃんここに」


「出て行け」


「やだやだやだやだ。野宿したくない、温かい所でお酒飲んで、そうだ絵を描こう。なんかさ、ここ殺風景じゃん、つまんない」


 駄々をこねる子どものような口ぶりで無理やり部屋に上がり込もうとするエルフに向かってリンは立て掛けてあった杖を向けます。


「え、やるの、やる気なの? いやあ相変わらず短気だなあ。おっしゃ、返り討ちにしてくれるわ」


「あのう……」


 桃が話しかけても聞こえていないようでエルフは腕を回しています。


「あのっ」


 大きな声で呼びかけると二人が一斉に桃の方を向きました。たじろいだ桃は体をすぼませながら尋ねます。


「その、お二人は、先生と生徒なんですか?」


 リンはばつが悪そうにすぐさま顔を背けました。その時エルフの女性がずぶ濡れだったことに改めて思い至ります。


「あ、その前に手ぬぐいを」


「良いよ別にこれで拭くから」


 といって彼女はおもむろに丈の長いコットの裾をたくし上げます。辛うじて濡れていなかった部分で髪の毛を拭き始めました。膝下丈のズボンがむき出しになっています。やはり手ぬぐいを持って来なくてはと思ったのもつかの間、


「先生ってゆーかもはやお母さん代わりみたいなもんだよね。そう言うと滅茶苦茶嫌がるから先生ってことにしてるんだけど。エリは別に良いんだよ親子ってことにしても、あーでもさあ、なんか本当の親でも無い人に親ですって顔されるのも嫌じゃん。実の親でもうっざいのにさ。先生って教える人のことでしょ。人間の本の読み方を教えたのも、魔法を教えたのも、剣術を教えたのも、植物のこととか動物のこととか算術とか魔物のあしらい方とかチェスのルールとか教えたのも全部エリだかんね」


「へえ。色々教えたのですね。凄いです」


「エリは凄いんだぞ」


 女エルフが桃に向かって得意げに話している間に、戸が勢いよく閉まってしまいました。


「あ、勝手に閉めるな」


 取っ手を引っ張ったり、扉を何度も叩いたりします。しかし固く閉ざされたまま、開く気配はありません。暫くこじ開けようとしていましたがいきなり腕をダラリと下げてしまいました。


「こじ開けるのも飽きてきた。シム坊のところに行ってこよ」


 そう言って階段を降りていき、一階の扉を先ほどと同じように勢いよく開け放っていました。相変わらず桶を頭に乗せたまま。桃はリンの部屋の小窓をぼんやり眺めます。布が掛かっていて中の様子は分りません。


(恥ずかしかったんかなあ)


 いつもよりも頑な態度に心が痛みます。


(それに、ゲラーシムさんは「坊」っていう年やないやろうに……)


 考えを巡らせながら部屋に戻り、サムに先ほどの出来事について話します。


「あの女の人の探し人はリンちゃんです。昔色々と教えていたそうです。リンちゃんは、嫌がっていました」


「ふうん。結局、人付き合いの仕方は教えて貰えなかったみたいだけどな」


「そんな言い方しなくても……」


 言い返す桃をよそに、サムは麦粥の入った器に視線を落とします。水っぽい粥に顔の影が映りました。


「まあ、同情なんかいらないだろうけどさ」


 木の匙で掬ったカブを口に運んだサムの態度はリンを馬鹿にしている風ではありません。哀れみともつかない口ぶりです。


「それであの人、ゲラーシムさんの部屋に行きました」


「あのジジイが例の飲み友達って訳か。碌なことにならないな」


 サムが軽く舌打ちをしました。耳を澄ませば賑やかな笑い声とカップのぶつかる音、そして床が小刻みに揺れそうなほどの足音が断続的に聞こえてきます。階下では大騒ぎをしている人達がいるようです。桃達の夜は喧騒とともに更けていきました。



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