φ−3: 神話素の組合せ
活動報告の記事に加筆したものです。
前述の「φ−2: いわゆるテンプレものについて」や「4−6: オリジナリティ」に書いたこととも関係しますが、話を簡単にして考えてみたいと思います。
さて、どのジャンルでも構わないのですが、小説の構成について考えてみます。その際に、「神話素」と、「序破急」という3部構成を使うことにします。「破」には実際には「上段、中段、下段」が含まれますが、それは無視します。また、「序破急」という言葉ではなく、おのおのを “A1” などのように表記します。
そのうえで、神話素についてはこのように考えます。
まず、「序破急」に対応しないでもないものを、「A1→A2→A3」のように書くとします。この場合、 “A1” などのおのおのの要素も神話素ですが、加えて「A1→A2」、「A2→A3」、「A1→A3」、「A1→A2→A3」なども神話素であると考えます。
また、 “A1” などに該当するものとして、「よくあるもの」や「よくあると思えるもの」を “A1” のように無標として書きます。対して、「よくあるものではない」とか「よくあると思えるものではないもの」は、 “¬A1” のように有標として書きます。ただし、 “¬A1” ではあっても、たんに “not A1” の意味ではないとします。たとえば、 “A1” が「事件が起きた」であったとしたら、 “¬A1” は「事件は起きなかった」だけを意味するわけではありません。なので、実際には “¬A1” と書くよりも “B1” と書くほうが適切だろうと思えるものも “¬A1” は含みます。
さて、そうするととりあえず “A1” などに対応する要素は、 “A1”、 “¬A1”、 “A2”、 “¬A2”、 “A3”、 “¬A3”の、6つがあります。すると、「A1→A2→A3」に対応するものとしては、おのおの無標と有標のものが3つ、つまり2^3となり8とおりが存在します。これで見る限り、小説の構成の形は8種類しか存在しないという意味です。実際には、無標、有標の2種類で済む話ではありませんが、そこは無視します。
「序破急」という考え方でこれを見ると、「A1→A2」というような「繋がり」も “A1” などが単独で含んでいるという印象があるかと思います。「神話素」という聞き慣れない言葉をわざわざ使っているのは、そのような印象からすこし離れたいという面もあります(神話素は実際には「モティーフ」という言葉に対して、ある分野にてつけれられた訳語です)。
ともかく、 “A1” などは繋がりの情報は持たないとします。であれば、「A1→A2→A3」というならびにこだわる必要もありません。そうすると、冒頭は “A1”、 “¬A1”、 “A2”、 “¬A2”、 “A3”、 “¬A3”の、6つの要素のどれでもかまいません。ここで無標と有標はあくまで組になっている、つまり“A1”が現われるか“¬A1”が現われるかのいずれかだとすると、6 * 4 * 2 = 48とおりとなります(ミスってたらすみません)。この段階で、小説の、構成は48種類しかないということです。
これはちょっと荒っぽいと思われるかもしれません。ですが、北米大陸のネイティブ・アメリカンの「語り」は、これと似ていなくもありません。そちらの分析は、書籍の邦訳があるので、探して参照してください。
ここまでが、前準備です。
おわかりのように、問題は有標である神話素を、「どのように有標であるとするか」が重要になります。この点について言われるのは、「逆転の発想」や「異質なものの組合せ」でしょう。
さて、さらにおわかりでしょう。「逆転の発想」や「異質なものの組合せ」そのものは、有標なものを作るにしても、結局無標であるということです。つまり、結局、「よくあるもの」や「よくあると思えるもの」になるわけです。
おかしな言い方をするなら、独自色を出そうとすればするほど陳腐なものになると言えるのかもしれません。
もちろん、ご存知のように、私はSciFiが好きです。その上で、上記のようなことを書いているのだということは強調しておきます。
ここまでが、準備でした。
では、本題に入りましょう。
本題としては、二点、触れたいことがあります。
一つめはSF風味のラノベについてです。というのも、「神話素」のような視点で見ると、現在話題になっている作品とか評判がいい作品であっても、そのほとんどは「パルプ雑誌系フィクションを焼き直しているだけ」と評するしかない作品だということです。これは、プロ、プロになった人、プロを目指す人、アマチュアの、誰についても言えます。そのような作品は、「パルプ雑誌系フィクション」という場所で、ただ足踏みをしているに過ぎないでしょう。
ただ、そのような足踏みを正当化(?)する理屈もあることはあります。
読者は世代として入れ替わって行きます。つまり、「知らない作品とは比べられない」ですから、パクリか、インスパイアか、オマージュかなどは判断でません。同じ理由で、入り口としてのパルプ雑誌系フィクションはいつであっても必要だとも言えるかもしれません。あまり褒められたことではありませんが、これらと同じことは作者にも言えるかもしれません。
二つめですが、「4−6: オリジナリティ」に書いたことと関係します:
| 元にあるものが透けて見えるようだと、ちょっといただけない
このように書きました。上の「パルプ雑誌系フィクション」も含む話ではありますが、それ以外のものも含みます。これは、プロ、プロになった人、プロを目指す人、アマチュアの、誰についても言えます。スタージョンの法則は90%だったかもしれませんが、現在の日本のフィクションは、あるいは現在の日本のSF周りのフィクションは、フォー・ナインやシックス・ナインくらいの割合で、この理由でクズです。仮に出版社の賞を得た作品だとしてもです。
この二点について補足すると、次の活動報告を、コメントも含めて見てもらいましょう:
http://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/1309599/
これは「あなたがいるこの世界で」の構想メモです。また、コメントをいただいた方を貶める意図はありません。だが、いだいたコメントを読むと、既存の作品の設定を想定しているように思えます。
また、活動報告にはありませんが、ある方から設定についての相談を受けたことがあります。質問は、要は脳の活動を速くする方法についてでした。その方が提示したのは、心拍数を増やすというようなものでした。おわかりのとおり、第一に、心拍数が上がっても脳の処理が速くなるわけではないし、第二に、そういう設定の作品は存在します。仮に処理の速さと心拍数に関係があるとしても、その因果関係は逆でしょう。
これについては、哺乳類の場合、体重というか体積と心拍の関係、心拍と寿命の関係があります。小さい動物は心拍が速く、大きい動物は心拍が遅いという話は聞いたことがあるかと思います。ですが、これは体積や、体積と表面積の関係、ついでに代謝との関係であり、心拍が速ければ脳の処理も速いというわけではありません。それでもあえて言うなら、体積が小さい動物は脳も小さいので、その意味では処理が速い可能性はあるかもしれませんが。
どちらも、コメントをいただいた方や、相談された方を貶める意図はありません。ただ、このお二人に限らず、フォー・ナインやシックス・ナインくらいの割合で、「パルプ雑誌系フィクション」だったり、元にあるものが透けて見えるということは、読者としても作者としても意識する必要があるでしょう。
正直、なんでこんなことを書かないといけないのかとは思いますが、すくなくともこの数年、賞を得た作品であってもフォー・ナインやシックス・ナインくらいの割合の方に含まれているとしか思えないものが目につくので。