第1話 おはよう
教室には二種類の人間がいる。陽キャと陰キャだ。
もちろん、実際にはそんな単純な話ではない。陽キャにも一軍と二軍がいるし、陰キャにだって友達くらいいる。
しかし、そんな細かい区別が意味を持つのは、どちらかに分類してもらえる人間だけだと思う。
僕、佐藤順平は、分類してもらえない。
高校二年生。帰宅部。成績は学年の下から数えた方が早く、運動は全般的に苦手。顔については、鏡を見るたびに評価が変わるので、現時点では判定を保留している。ただ、女子から容姿を褒められた経験が一度もないことだけは確かだ。
友達はいない。
正確に言えば、学校に友達がいない。インターネット上には相互フォロワーが何百人かいる。僕が何か呟けば、たまに「わかる」と返してくれる人たちだ。名前も顔も知らないが、学校の人間より僕を理解している可能性は高い。
趣味はソーシャルゲーム。いわゆるソシャゲというやつだ。可愛い女の子がたくさん登場するゲームをいくつか掛け持ちしていて、毎日のログインは欠かさない。新しいキャラが実装されればガチャを回すし、イベントが始まれば攻略情報を調べる。推しキャラの新衣装が発表された日には、SNSで大騒ぎすることだってある。ほかにも、ゲーム実況や配信者の雑談を見たり、流れてくるアニメの話題に反応したりと、暇を持て余すことはあまりない。むしろ、学校にいる時間の方が退屈なくらいだ。
つまり、僕はオタクなのである。
別に胸を張って公言するほどのことではないが、隠すほど恥ずかしい趣味でもないと思っている。今どきゲームもアニメも珍しくないし、オタクという言葉自体、昔ほど悪い意味では使われなくなった。
ただ、学校でその話をする相手がいないだけだ。
そして別に、一人でいることを悲観しているわけでもない。
今の時代、スマホさえあれば一人でも十分に楽しめる。休み時間にはSNSを眺め、昼休みにはソシャゲのデイリー任務を片づける。誰かと話したくなれば、適当な投稿に返信すればいい。わざわざ気の合う人間を探して、面倒な人間関係を築く必要もないのだ。
そもそも、友達がいれば楽しいとは限らない。誰かと昼飯を食べるにしても、食べる速度を合わせたり、興味のない話に相槌を打ったりしなければならない。あれでは食事というより接待だ。
その点、ネットの付き合いは気楽でいい。気が向いたときだけ反応すればいいし、話題が合わなければ黙っていればいい。既読無視を気にする必要もなければ、無理に笑う必要もない。
とにもかくにも、僕は一人でいることを選んでいるのである。
……まあ、誰かに誘われたら普通に行くけど。
それに、無理に友達を作った結果、ああなるくらいなら一人の方がマシだ。
教室の後ろに、眼鏡をかけた男子が三人集まっている。
田野、久我、宮田。
うちのクラスが誇る、三大キモオタである。別に正式な称号ではない。僕が勝手にそう呼んでいるだけだ。
田野は撮り鉄だ。
鉄道オタクの中でも、とりわけ世間の評判が悪いあれである。休日になると朝早くから重いカメラを担ぎ、わざわざ電車を撮りに行くらしい。電車なんて毎日走っているのに、何がそんなに珍しいのだろう。撮ったところで自分の所有物になるわけでもない。他人が運転する乗り物を、他人の敷いた線路の脇で撮影して、満足して帰ってくる。冷静に考えると、かなり高度な無駄遣いだ。もっとも、趣味とは大抵そういうものなのかもしれない。
だが、田野は写真を見せながら車両の形式だの編成だのを早口で説明するので、やっぱり気持ち悪い。
久我は特撮オタク。
高校二年生にもなって、変身ヒーローの話をしている。
大人が子供向けの作品を楽しむこと自体は、否定しない。僕も可愛い女の子が大勢出てくるゲームをやっているし、そんなことを言い始めたら自分の首が絞まる。
しかし久我は、教室で変身ポーズをする。時々、台詞までつける。
僕はゲームの必殺技を教室で叫んだりしない。その一点において、僕の方が社会性に優れていると言えるだろう。
宮田は音ゲーマーだ。
こいつは何もないところで指を動かす。
机の上、膝の上、空中。見えないボタンをたまに叩く。僕が初めて見たときは、何かの病気かと思った。放課後は毎日のようにゲームセンターへ行き、光るボタンを叩くために金をつぎ込んでいるらしい。
スマホで無料音ゲーが遊べる時代に、わざわざ外へ出て金を払う。その上、上達するために練習までしている。ゲームは娯楽だろう。娯楽で苦労してどうする。
僕もソシャゲには毎月それなりに課金しているが、あれは必要経費だから比較にならない。
三人とも眼鏡をかけていて、ガリとデブとガリ。顔だって、少なくとも僕よりは下だと思う。
それなのに、あいつらは自分の趣味を隠そうともしない。周囲から気持ち悪いと思われるかもしれない、というメタ認知が欠けているのだろう。
その点、僕は違う。
なるべく何も喋らず、何も見せず、他人の記憶に残らないように生きている。
それを臆病と呼ぶ人もいるだろうが、僕は慎重と呼んでいる。
「えー、待って。この写真、もう一回見せて」
聞き慣れた、よく通る声がした。僕はスマホから顔を上げる。
水尾掬
通称、おむすびさん。
初めて名前を聞いたときは、親は子供の名前で遊ぶなよ、と思った。だが本人を見ると、その妙な名前さえ、ブランド名のように聞こえるから不思議だ。
水尾さんは、完璧な女だった。
クリーム色に染めた髪は肩に届くくらいの長さで、毛先がふわりと遊んでいる。小さく整った顔に、柔らかそうな目元。黙っていれば、どこかのお嬢様にしか見えない。
身長は164センチ。すらりとした手足に、制服の上からでも分かる豊かな胸。スタイルも抜群で、Gカップらしい。以前、青年誌のグラビアに載っていたプロフィールで見た。
家も裕福らしく、運動神経は抜群。学校の成績も常に上位、というか大体一位。モデルの仕事もしていて、SNSの総フォロワー数は百万人を超えている。
しかも彼女は、ゲーム実況や雑談配信までしている。
可愛い女の子が出るソシャゲも、流行りのアニメも、僕らが普段話題にしているものを普通に知っている。
ゲームも上手い。どんな作品にも興味津々で、面白いものには素直に面白いと言うし、つまらないものには遠慮なくつまらないと言う。
それでいて視聴者は増える。美少女に趣味を理解してもらえるだけでは飽き足らず、今では厳しい言葉まで求めるらしい。現代のオタクはずいぶん贅沢になったものだ。
僕も何度か配信を見たことがある。
……嘘をついた。正直、かなり見ている。
コメントしたことはない。画面の向こうで彼女に名前を呼んでもらおうと必死になっている連中と、同じ場所に並びたくないからだ。僕は毎日、彼女と同じ教室にいるのだから。
彼女は自分が優れていることを隠さない。
可愛いと褒められれば「でしょー! そんなワタシと友達だって、自慢していいよ」と胸を張る。テストで学年十位になったと喜ぶ男子には「おー、すごいじゃん。まあワタシは一位だけどね」と笑う。
普通なら嫌われると思う。
ところが水尾さんの場合、周りもつられて笑ってしまう。実績のある傲慢は、個性として扱われるらしい。
不公平な世の中である。
そんな彼女が今、あの三人と話していた。
「これ、もう走ってないんだ。へえ、貴重なんだね。でも写真、地味じゃない?」
「いや、水尾さん。この車両は塗装じゃなくて形式が……」
「あー、そういうところが好きなんだ。おもしろいねー」
田野は少し拍子抜けしたようだったが、すぐに別の写真を見せ始めた。
水尾さんはそれにも「へー」と相槌を打っている。
久我が何か言うと、今度はそちらを向いて、特撮の話をする。宮田の音ゲーの話にもついていけるらしい。
何なのだ、あの女は。
人間には一日二十四時間しか与えられていないはずなのに、水尾さんだけ一日七十二時間くらいあるのではないか。
もっとも、彼女が三人に親切なのは営業の一環だと思う。
百万人のフォロワーを抱える女だ。相手の趣味に興味があるふりをするくらい、朝飯前だろう。
あの三人は、可愛い女の子に趣味の話を聞いてもらえて幸せだろう。どうせ家に帰ったら、今日水尾さんと喋った、などとSNSで自慢するに違いない。
気持ち悪い。僕なら絶対にしない。
いや、するかもしれないが、鍵アカウントにする。
ただ、一つだけ納得できないことがあった。
水尾さんは、僕にだけ話しかけない。
朝、教室に入ると、彼女は近くの生徒に「おはよー」と挨拶する。あの三人にもする。目立たない女子にも、やんちゃしてそうな男子にも、名前を呼んで笑いかける。
僕にはしない。
以前、勇気を出して僕から挨拶したことがある。
「お、おはよう」
「うん」
以上、それだけ。
顔も見てくれなかった。
挨拶の返事に特別な演出を求めているわけではないが、せめて人間に向ける程度の反応はあっていいのではないか。
僕は彼女に何もしていない。
嫌われる理由なんてない。
少なくとも、あの三人より気持ち悪いことはしていない。
彼女と付き合いたいなどと、大それたことを考えているわけでもない。
もちろん、付き合えるなら付き合いたい。それは誰だってそうだろう。宝くじの一等が当たるなら欲しい、という程度の話だ。
僕が望んでいるのは、もっと慎ましいことだ。
普通に挨拶して、普通に世間話をして、できれば一度くらい、僕の名前を呼んでほしい。
田野たちにはできて、僕にはできない。
それがどうしても、我慢ならなかった。




