第1話 最強生徒会長の華麗なる日常と、塩対応な妹
ダム、ダム、ダムッ!
体育館の床を叩くバスケットボールの音と共に、俺の視界が高速で流れていく。
敵チームのディフェンスが二人掛かりで前を塞ごうとするが、遅い。遅すぎる。
「悪いな、その速度じゃ俺は止められねえよ」
重心を低く沈め、クロスオーバーで一人を抜き去る。
もう一人が慌てて手を伸ばしてくるが、俺はその脇を風のようにすり抜けていた。
ゴールネットが、遥か彼方で俺を呼んでいる。
スリーポイントラインの手前。俺はステップを止め、しなやかに身体をバネのようにしならせて跳んだ。
「──っせぇい!」
指先から放たれたボールは、完璧な放物線を描いて空を舞う。
体育館の空気が一瞬止まったような静寂。
次の瞬間、スパァン! というこれ以上ないほど小気味よい音が響き渡り、ボールはリングに触れることすらなくネットを揺らした。
「キャアアアアアッ! 今の見た!? 会長よ!」
「翔くーん! こっち向いてぇー!」
「かっこいいー!」
隣のコートでバレーをしていた女子たちから、耳をつんざくような黄色い歓声が爆発する。
俺は額に浮いた汗を手の甲で拭うと、チームメイトへ向かってビシッとガッツポーズを決めた。
「っしゃあ! やったぜ!」
興奮を隠さず全身で喜びを体現する。
さらにボリュームを増す歓声。ああ、生きているって感じがする。
「おーい翔、ナイスシュー! 相変わらずお前はすげーよな」
チームメイトの男子が駆け寄ってきて、パチンとハイタッチを交わす。
俺は満足げに頷きながら、呼吸を整えた。
「おう。完璧な軌道だったろ?」
「ああ。つーか、成績トップで顔も良くて運動神経も抜群って……お前、逆になんならできないんだよ? 神様は不公平すぎるんだけど」
呆れたように笑う友人の言葉に、俺は少しだけ考えるふりをして、ニッと白い歯を見せた。
「うーん……そうだな。無いな! だって俺、最強だからな!」
「はいはい、出た出たナルシスト発言。でもお前が言うと事実だから腹も立たねぇわ。変に謙遜されるより良いのかもな」
友人は苦笑しながら俺の背中をバンと叩く。
そう、俺こと一条翔は、自他共に認めるハイスペック男子にして、この私立高校の生徒会長だ。
天は俺に二物も三物も与えた。
あとはそれを無駄にしないように誠心誠意努力するだけだ。
俺は俺が大好きだし、そんな俺を好きでいてくれる皆も大好きだ。
これが俺に課せられたノブレス・オブリージュ(高貴な者は義務を負う)というやつである。
ふと、コートの端でドリンクボトルを持ったまま立っている人影が目に入った。
黒髪のロングヘアに、透き通るような白い肌。
ジャージ姿ですら隠しきれない気品を漂わせている少女。
「お、見てたか? 姫子〜!」
俺はタオルを首にかけながら、小走りで彼女のもとへ向かった。
俺の双子の妹、一条姫子だ。
「さっきのシュート! どうよ、兄の勇姿は! 少しは尊敬してくれても良いんだぜ?」
期待に満ちた眼差しで問いかける俺。
しかし、姫子は俺を見るなり、まるで汚物を見るようなジト目を向けてきた。
「……はいはい。凄い凄い」
「棒読み!?」
「近寄らないでください兄さん。汗臭いです」
シッシッ、と手で追い払うジェスチャー。
その冷徹な眼差しは、実の兄に向けるものとは思えないほど冷たい。
俺はガーンと衝撃を受け、思わず後ずさる。
「あ、汗くさくなんてねーし! 俺の汗は爽やかなシトラスの香りがするはずだし!」
「病院に行きますか? 頭の」
「うぐっ……!」
冷たい。あまりにも冷たい。
昔はあんなに可愛かったのに。
幼稚園の頃なんて「お兄ちゃん、お兄ちゃん」って俺の後ろをついて回って、夜も怖がって俺の布団に入ってきたりしていたのに。
いつからだろうか。中学生に上がったあたりから、姫子は急激にクールになり、俺への扱いがぞんざいになってしまった。
反抗期が長引いているだけだと思いたいが、この塩対応は兄のガラスのハートには結構くる。
(見てろよ……いつか絶対、昔みたいに「お兄ちゃん素敵!」って言わせてやるからな!)
俺は心の中でリベンジを誓いつつ、すごすごと男子更衣室へと退散するのだった。
あれ? そもそもお兄ちゃん素敵なんて言われたことあったか? いやあった! ……多分!
*
着替えを終えた休み時間。
次の移動教室へ向かうために廊下を歩いていると、遠くの教室の窓から視線を感じた。
他クラスの女子たちが、こちらを見てヒソヒソと話している。
「あ、生徒会長だ!」
「キャーッ、一条くーん!」
目が合った瞬間、俺はすかさず手を振る。
途端に上がる黄色い悲鳴。
隣を歩いていた友人の佐藤が、やれやれと首を振った。
「お前、本当モテるよな……。廊下歩くだけでそれとかアイドルかよ」
「当然だろ。応援してくれる子には応える。それがスターの務めだ」
「スターじゃなくて生徒会長な」
「だって俺、かっこいいからな! お前もキャーキャー言ってくれてもいいんだぞ!」
俺は胸を張って断言する。自分の魅力を正しく理解し、肯定する。これぞ自己肯定感の極み。
だが、佐藤は半眼になって俺を見つめ返した。
「まあ、顔が良いのは認めるけどさ。お前の中身、たまに残念だよな」
「なんだと? 俺のどこが残念だ」
「その『無駄に高いナルシズム』と『方向性のズレ』だよ」
俺はポケットからスマホを取り出し、待ち受け画面を佐藤に見せつけた。
そこに映っているのは、筋肉隆々のハリウッドアクションスターが、マシンガンを片手に咆哮している姿だ。
「見ろよこれ。俺が目指す『かっこいい男』の完成形はこれなんだよ!」
「……いや、無理だろ」
「なんでだよ! 俺だって毎日プロテイン飲んで筋トレしてるんだぞ! なのに全然太くならないんだよ……!」
俺は袖をまくり上げ、貧相ではないもののアクションスターには程遠い、しなやかな筋肉がついた腕を見せる。
俺の最大のコンプレックス。それは、どうあがいてもゴリマッチョになれない中性的な体質だ。
男ならやっぱり、厚い胸板と丸太のような腕で『圧倒的雄力』を誇示したいじゃないか。
「いやいや、お前は今のままがいいんだよ。その王子様フェイスでゴリマッチョになったら、女子たちが泣くぞ」
「くそっ、わかってないな皆……本当にかっこいい男の姿を」
「わかってないのはお前だよ……」
佐藤は呆れたように溜息をつく。
そして話題を変えるように、少し声を潜めて言った。
「そういやさ、お前の妹の姫子ちゃんも超美人だし、お前ら一条兄妹ってマジで遺伝子どうなってんの? チートすぎだろ」
「ん? まあな。姫子は俺の自慢の妹だからな! 身内から贔屓目で見てもあいつ以上の美人は見たこと無い」
「……その自慢の妹さん、『白雪姫』って呼ばれてるの知ってるか?」
「白雪姫?」
初耳だ。演劇部でもないのに主役でもやったんだろうか。
俺が首を傾げると、佐藤は神妙な顔つきで説明を始めた。
「昨日もさ、隣のクラスのバスケ部のエースが告白して撃沈したらしいんだよ。なんでも『鏡を見てから出直してきなさい。視界に入るだけで不愉快です』って切り捨てられたとか」
「うわ、きっつ……」
「今まで何人も告白してきた男子を、心をへし折るような言葉で断ってきた、美しい難攻不落のお姫様……だから『白雪姫(毒リンゴ付き)』ってあだ名がついてるんだよ」
マジかよ。
家では無口で俺のそばでスマホばかりいじっている姫子が、学校ではそんな恐ろしい2つ名を轟かせていたとは。
兄として、これは教育的指導が必要かもしれない。
家族の俺には良いけど、もっとこう他人には優しく接しないと。
人に優しくすれば、それだけ人からも優しくしてもらえる。
世の中というのは人と人の繋がりが大事なんだ。
他人に悪い印象を与えてしまえば、きっと不幸な人生しか待っていない。
「あ、噂をすれば」
渡り廊下の向こうから、資料を抱えた姫子が歩いてくるのが見えた。
俺は佐藤を置いて駆け寄る。
「なあなあ、姫子!」
「……何ですか、兄さん。廊下は走らないでください」
「そんなことよりお前、『白雪姫』って呼ばれてるんだって?」
俺が真剣な顔で尋ねると、姫子の足がピタリと止まった。
長い睫毛に縁取られた瞳が、ゆっくりと俺を見上げる。
無表情だ。能面のように感情が読めない。
「……」
「いやー、しかしすげえあだ名だな! 毒リンゴ付きってなんだよ、お前そんなに男子に厳しくしてたらだ」
むにっ。
「ふぐっ!?」
突然、俺の視界が歪んだ。
姫子の白魚のような指が、俺の両頬をがっちりと掴み、左右に思いっきり引っ張ったのだ。
「ひ、ひへこ!?(姫子!?)」
「そんなしょうもない噂、誰から聞いたんですか?」
声のトーンは変わらない。だが、その瞳の奥には、シベリアの寒波のような冷たさと、何やら得体の知れない熱量が渦巻いている。
痛い! ヤダこの子ったら力が強い!
「いひゃい、あいひゅ!あいひゅ!(痛い、あいつ!あいつ!)」
俺は涙目で、背後にいる佐藤を指差した。
姫子は俺の頬を掴んだまま、佐藤を見る。
――ギロリ。
その瞬間、佐藤の顔色がサッと青ざめた。
姫子はヒットマンがターゲットの眉間を狙う時のような眼差しで佐藤を睨む。
お……おっかねぇ……。
「ひっ……!」
佐藤が小さな悲鳴を上げ、後ずさる。
「余計なことを吹き込まないでいただけますか? 兄さんの脳みそはただでさえ筋肉と自己愛で容量不足なんですから」
「お、おい! 誰の容量が不足してるって!?」
「近くで叫ばないでください。暑苦しい」
姫子はパッと俺の頬から手を離すと、その手をこれ見よがしにハンカチで拭き始めた。
そして「失礼します」と一礼し、佐藤には一瞥もくれず、颯爽と去っていった。
残されたのは、真っ赤になった頬をさする俺と、寿命が縮んだ顔の佐藤だけ。
「……なぁ佐藤、あいつ絶対俺のこと嫌ってるよな?」
「いや……嫌ってる……のか? いらんこと言ったせいでブチ切れてたけど、お前が声をかけたときは嬉しそうな顔に見えたんだが……」
佐藤が震え声で言う意味はよくわからなかったが、俺はヒリヒリする頬を撫でながら溜息をついた。
スキンシップにしてはハードだし、言葉のナイフも鋭利すぎる。
やっぱり、昔みたいな可愛い妹に戻ってもらうには、もっと俺が「頼れるマッチョな兄貴」になるしかないようだ。
「見てろよ……いつか絶対デレさせてやるからな!」
俺の決意が空回りしているとも知らず、運命の歯車は、とんでもない方向へと回り始めようとしていた。




