8 番付の裏側
看板と中身が違う――
そんな違和感から始まる一話です。
さて、水絵はどこまで辿り着けるでしょうか。
板橋宿で、蕎麦の屋台はすぐに見つかった。けっこう繁盛しているらしく、水絵たちがついた時は、客がふたりいた。板橋宿の飯盛女のようだった。ふたりを見て、鏡之介がひどく気まずそうな顔をする。
「飯盛女みたいですね」
水絵がさらっと言うと、鏡之介が驚いたように振り返った。
「もう子供じゃありませんよ。あの人たちがどういう商売なのかは知ってます。もしかしたらそうじゃない人もいるかもしれませんけど、どちらにしても、楽な仕事じゃないんでしょうね」
鏡之介はまじまじと水絵の顔を見つめ、そんな自分に慌てたように視線を屋台に戻した。
飯盛女が帰った後も、駕籠かきや馬喰、宿の下働きなど、ひっきりなしに客が訪れる。
「あいつが売っているのは、蕎麦じゃないな」
「え? だって」
客は、丼から麺をたぐっているし、最後に汁も飲み干している。どう見ても蕎麦だ……と、そんな水絵の心を読んだように、鏡之介が言った。
「看板と中身が違うんだ。あいつが売ってるのはうどんだよ」
言われてみれば、麺の色が白すぎる気がした。
「夜鷹蕎麦の屋台で、夜鳴きうどんを売ってるってわけだ」
一刻ほどで、うどんは売り切れたらしい。男は屋台を片付け、巣鴨のほうに戻っていく。鏡之介と水絵は、その跡を付けた。
長屋の手前で、水絵が男を呼び止めようとすると、鏡之介が袖を引いてそれを止めた。何故、と問う水絵に、鏡之介はひそめた声で言った。
「あいつの正体、おまえにゃ、もう分かってるはずだ」
さっぱり意味がわからない水絵に、鏡之介は、謎解きをするような口調で言う。
「昼間、料理番付を見ておかしいっていってただろ?」
たしかに、『浅葱屋』の急な格落ちにはなにかわけがありそうだと思った。だが、それが、このこととは関わりがあるとは思えない。水絵がそう言うと、鏡之介はにやりと笑った。
「まあ、調べてみるんだな。『浅葱屋』のことをさ、袖切り冬三譲りの岡っ引きの腕、試してみちゃどうだ?」
水絵はのっぴきならない用事で寺子屋を休むって、祐光先生には伝えておいてやるよ、とまで言われてしまえば、もう引き下がれない。
「わかりました。明日、必ず謎解きして見せます」
水絵は、そう宣言するしかなかった。屋台に銭を残して立ち去る男を見届けたあと、水絵も自宅に戻った。水絵が部屋に入るのを見届けてから、鏡之介は立ち去ったようだった。
家では、志津が縫い物をしながら待っていた。寝てて良かったのにと言おうとして、やめた。水絵が帰ってこないうちは、志津が眠れないのを知っていたから。
「遅くなって、ごめんなさい」
頭を下げると、志津は寂しそうに笑った。
「仕方ないわね、捕り方の血筋だから」
「ごめんなさい」
もう一度謝ると、今度は少し明るい顔になった。
「それで、謎は解けたの?」
「……たぶん。きっと、明日にはなにもかもわかるわ」
そうだといいのだけれど……と思いながら、水絵はそう答えた。
翌日、すべてを調べ終えた水絵が眞性寺を訪れた時には、寺子たちはすでに帰ったあとだった。寺子屋には、鏡之介と祐光が水絵を待っていてくれた。
「さてと、それでは水絵師匠の謎解きを聞くとしようか」
「事情は、賢木殿から伺いました。屋台を借りていた人の素性は分かったのですか?」
にやにや笑いながら尋ねる鏡之介とは対照的に、祐光師は不機嫌さを表に出さないように努めている様子だった。水絵が岡っ引きのまねごとをしたことを怒っているのか、それをそそのかした鏡之介に腹を立てているのか――おそらく両方だろうと思ったが、ひるんではいられなかった。
水絵が浅葱屋に行ったのは昼前だったから、まだ暖簾も下がっていなかった。そこで、水絵は近所の店の使用人にさりげなく、浅葱屋のことを聞いてみた。
すると、しばらく前、急に二、三日休んでしまったことがあるという。そして、その後は、あんまり客の入りがよくない……とも。
聞いて回っていると、浅葱屋の常連だったが最近は行っていないという店の店主に話を聞くことができた。普通なら警戒されるのだろうが、水絵がまだ年若い娘だったので気を許してくれたようだった。店主は言った。
「あの店は出汁が良かった。味付けが上品でな。盛り付けも、雑な江戸風と違って雅で……。気に入ってたんだが、最近は、出汁がなってないんだ。だから、通うのはやめた」
聞くと、この店主は、仕事の関係で大坂方面に出かけることが多く、上方風の味付けが好きなのだそうだ。そして、味が落ちたのは、急に店を休んだ後からだとも、教えてくれた。
しばらくすると、開店の準備のためか、店が騒がしくなった。水絵が裏口に回り、様子を見ていると、使用人が数人出入りを始めた。板前風の男もいたが、聞いても無駄な気がした。だから、下働きをしている年若の娘に聞いてみた。
娘は洗い物をしながら、ちょっと得意げに話し始めた。
「ああ、そのこと。いなくなっちゃったからですよ」
「誰が?」
「板前だった、にわかだん……」
と言いかけた時、通りかかった板前にぎろりと睨まれ、娘はそれきり、口をつぐんでしまった。
その後、暖簾が出てから、出てきた客にも話を聞いたが、誰もが言葉を濁し、これ以上のことは分からなかった。
ただひとつ、近所の人の話から、下働きの娘が言いかけた「にわかだん」の意味は分かった。そこからたどって、ようやく真相にたどり着いた時には、もう日も暮れかかっていた。
水絵は、祐光師と鏡之介の前に四枚の料理番付を並べる。
「格落ちの理由は、やはり板前が変わったからでした。『にわかだん』は、『二若旦那』と言おうとしたんですよ。この人が花板だったんですけれど、突然姿を消してしまったそうです」
『浅葱屋』は、大坂に本店がある料理屋だ。江戸に進出してきたのは享保年間だという。
最近姿を消した花板は、店主の次男で、ずっと板場で修行をしていたという。
水絵は、二枚目の番付を指した。
「この『小結』に上がった時の番付。これが出る少し前に、『二若旦那』が花板になったそうです」
「つまり『二若旦那』は、かなり腕のいい板前だったってわけだ」
鏡之介が言うと、祐光師が続けた。
「花板が『二若旦那』だとすると、『若旦那』と呼ばれる長男――つまり、お兄さんがいるのですね?」
興味が勝ったのか、祐光師の表情から不機嫌さは消えていた。
「でも、『大関』の位を取ったことが、あだになったというか……」
水絵は番付をじっと見つめる。
「おかみさんが、『跡継ぎは二若旦那に』って言い出したそうです。
「長男を差し置いて、ですか?」
「お兄さんは、真面目で優しい人らしいんですけど、料理の腕が今ひとつなんだそうです。だから、板場には立たないで、帳場を預かっていたんです」
「それでも、普通は長男が跡を継ぐものでしょう? 放蕩息子で勘当でもされているならともかく、真面目に帳場で働いていたのなら」
疑問を口にするのはもっぱら祐光師だ。口元にかすかに微笑みを浮かべている鏡之介がなにを考えているのかは、さっぱりわからない。
「お兄さんは、今のおかみさんの実の子じゃないんです。おかみさんは、後添いなんで……」
微妙な話題に、今度は祐光師が口を閉ざす。
かわりのように、鏡之介が言った。
「なさぬ仲の長男より、自分が腹を痛めた次男に跡を継がせたいと思ったってことか」
腹違いでも、兄弟の仲はよかった、と近所の人はいった。
「もしかしたら、自分がいなくなった方が、お兄さんのためになるって考えたんでしょうか?」
水絵の問いかけに、祐光師は、答えなかった。
だが、鏡之介は、微笑みを消した顔で、言った。
謎は解けましたが、消えた者の行方は、まだ誰も知りません。
物語は続きます。




