15. 最後の呪い②
暗闇の中に現れたのは、懐かしい輪郭だった。
「シティ」
分かってる。ここは敵の術の中。本物のゾゾアなわけ――
「あんりゃ。なにもないんだねぇ」
懐かしい声。すっかり最強ババアの話し方が染み付いて、でもオフのときは長閑な師匠。
拒絶しようとする理性とは裏腹に、暗闇の中で目を凝らしてしまう。
「眩しっ」
「おっと、ごめんよ」
何をしているのだろうか。恩師はいつのまにやらカンテラを用意していた。それだけじゃない。小さな机、ロッキングチェアにクッション、ひざ掛け。挙句の果てに、シューシュー音を立てるヤカンとマグカップ。
「何突っ立ってるんだい? こっちに座りな」
呆気にとられて見ていると、ゾゾアはシティの分まで丸椅子を用意した。早く座れと目で示す。
(ここは敵の術の中。騙されては――)
「そうさね。まやかしだよ」
ゾゾアの声が、心の声を上書きした。厳しい表情でこちらを見つめる師匠は、だけど目だけはとっても優しくて。
「――一体なんなの?」
警戒しつつ、示された椅子へと腰掛けた。
ガラス器具へ珈琲粉とお湯を入れ、軽くかき混ぜ蓋をする。砂時計をひっくり返したゾゾアは、頬杖をつきこちらを見た。
「背、伸びたねぇ」
師匠だ。声も、仕草も、なによりこのマイペースさ。
「ハチは……いないのか」
キョロキョロと見回した師は、残念そうに肩をすくめると、シュシュっと指先で空をかき混ぜた。淡い銀文字が宙で煌めき、たちまち茶菓子が載った皿が現れる。
カリッとひとつ摘みながら、「ハチがいれば、ツマミでも作らせたんだけどねぇ」と笑っている。
「私の記憶? 呪いが私に干渉して――」
「そうさね。それにしちゃあ"精度が高い"だろ?」
茶目っ気たっぷりの瞳で、ゾゾアがこちらを見つめている。この試すような視線、絶対状況を楽しんでる。
「まあね。おまえが解くのをじっくり待っててやりたいところだけど――」
時間がない。そう話す師は、びしりとこちらを指さした。シティが身につけるゴシックドレス。
「おまえが解いてきた呪いたち。最強ババアを暴こうとする敵の術。それとあたしの遺志が、いい具合に混ざってね」
確かに、自身の記憶だけでは腑に落ちない。あまりに目の前の師匠は、"師匠らしすぎる"のだ。
「だから――コラッ」
「痛だっ」
バシッと手を叩かれた。拍子に摘んだナッツがテーブルの上を転がっていく。
「ばかなのかい!? 敵の術中で出されたものを食べるなんて」
ゾゾアは手をついて立ち上がり、眉を吊り上げ怒鳴りつけた。つい反射で縮こまる。
「だって、ゾゾアのカラメリゼ――」
「だってもなにも――まったく。伸びたのは背だけかい」
盛大にため息をついた師は、ストンとロッキングチェアに腰を下ろした。ちょうど、砂時計が落ちきったのに気づいたのだろう。ゆっくりプレスの蓋を押し下げると、ご丁寧に温め直したカップへ珈琲を注いでいく。
黙って様子を眺めていたシティは、ふと閃いた。
「見てて、ゾゾア!」
空いてるマグを引き寄せると、魔力を込めた両手で包み込む。直に爽やかで仄かに甘い香りが立ちのぼる。カップは薄茶色の液体で満たされていた。
「おや……ミルクティーかい」
「ふふん。なかなか美味しいわよ」
差し出したマグをゾゾアは受け取った。一口飲んで「美味いじゃないか」と目を細めている。
「でしょう? けど、ルンが淹れたのはもっと――あ」
嬉しくて、つい余計な言葉が口に出た。カンテラが照らす小さなテーブル。その周りで、闇がざわりと蠢いた。
「――忘れやしないとは思うけどね」
「敵の術中。呪いの中、でしょ」
ことりとマグを下ろしたゾゾア。中身は残り半分ほど。隣の珈琲は既に空だ。
「なら、分かってるね」
カツ、カツ、と闇の中から、冷たい足音が近づいてくる。よく知った自分を呼ぶ声に、びくりと肩が跳ねかける。
「シティ! やっと見つけたんさ」
息を切らせた青年が、ほっと安堵の色を浮かべる。
「いきなり仕事場に真っ黒な奴らが押しかけてきて――」
よく見ると、所々に小さな怪我が目立つルシニウス。縦に裂かれたような右足の切り傷が痛々しい。
(私の記憶を読んで……いえ、もしかしたら現実も)
幻影だと分かっていても、彼の傷に、ぎゅうと体の中で軋む音がした。そろそろここから出なくては。
「シティ。一緒に逃げよう」
無視を決め込むつもりだった。だけどあまりに想定外の言葉に、思わずぽかんと青年を見る。
「だって、皆酷いだろ……王様も、この国の人たちも。ほかの術師たちだって。みんなみんな、シティに全部押しつけて」
彼の声で、彼の顔で、いったい何を話すのだろう。
「ずっと頑張って、こんなにボロボロになって――もう、いいんさ。シティ」
一歩。距離を詰めたルシニウス。
「一人で背負わなくていい」
いつか、想像したことがある。ありのままの自分。19歳のシティを彼に見せたとしたら――
ちらりと後ろを振り返る。静かにこちらを見守る師匠がいた。
「まだいるさね」そう言って、手の中のマグを傾ける。
「大事な弟子が淹れてくれたんだ。最後まで飲まないとね」
その姿に安心し、シティはもう一度前を見た。
「シティ、行こう」
ルシニウスの形をした何かが、シティに手を差し伸べた。
「ゾゾア……逃げたいと思ったこと、ある?」
前の青年を見つめたままに、シティは背後の師に問うた。しばらくの沈黙。ことりとマグが置かれる音に、シティは固唾を呑んで待った。
「……あるよ。あるさね。いつだって――お前とタタン、3人で遠くに逃げ出したかった」
すとんと何かが自分のなかに。あるべき場所に収まった。
(一緒に――ゾゾアは私と、ずっと一緒にいたかったんだ)
「もう十分だよシティ。逃げたって、ゾゾアさんも責めたりしない」
片手を差し出した姿のまま、さらに訴えかけてくるルシニウス。
「そうなの?」と軽く後ろに問いを投げてみる。背後で師が頷く気配がした。
「もちろんさ。あたしゃ、お前が逃げても構わない。むしろ逃げてほしいぐらいさね」
ゴクリと飲み下す音が、やけにはっきり耳に届いた。もう残りが僅かなのだろう。味わうようにゆっくりと、ゾゾアは言葉を紡ぎ出す。
「けどね。お前が何を選んでも――あたしはお前を応援するよ」
ふっと張り詰めていたものが緩んだ。ようやく、自分のことが分かった気がする。
……私、ずっと怖かった。
14歳で、ひとりぼっちになったとき。
誰もいない魔女の小屋。喋れなくなったハチ。
ある日、しつこいカメラ青年が現れて。
「格好良い」と言ってくれた。
「可愛い」とも。
いつの間にか、賑やかになった魔女の小屋。
ハチはウザいし、キュウちゃんは主人に妄信的。しつこく「弟子」を自称するカサブランカ。
騒がしい毎日に、でもふと不安が襲ってくる。
――あのとき、ゾゾアは私よりも、最強ババアを選んだのかもしれない。
――一生懸命やってるけれど、自分は"最強"なのだろうか。
――19歳の私を見て、彼に「か弱い女の子」と思われないだろうか。
被った仮面を脱いでしまえば、壊れてしまわないか恐れて。いつのまにか心にまで、仮面がこびりついていた。
……弱くてもいい。
弱いまま、だけど前を向いて、「最強ババア」を演じてきたんだ。
暗闇の中でぽつり、シティの手に光が宿る。
――先代のだれかも言ってたわね。
『私は格好良い私の明日を想像できる』
ルシニウスが撮るシティは、いつだって最強に格好良い。手のなかで1枚の、輝く紙片が浮かび上がった。
長い白髪とゴシックドレスをたなびかせ、空を駆け抜ける自分の姿。
力強く美しい。
「私は、偽物の言葉は信じない。本物が撮ってくれた、この写真を信じるわ!」
目の前の偽物は、残念そうに微笑むと、水に映った影のように、波紋を残して消え去った。
どうっと強い風が吹く。
闇の一部が裂けて、眩い光が差し込んだ。
「良い人に、出会えたみたいだね」
瑞々しい花の香りが、風とともに流れてきた。
崩れる空間の中、最後に師の方を振り返る。
「ルシニウスって言うの!」
笑って頷いてみせる。
そのまま、師の笑顔を胸に、柔らかな風に包まれた――




