ex.2 ルシニウスくんの山登り
新章「最強ババアのティータイム―新たな弟子編―」が始まる少し前の、ルシニウス青年の小話です。
まだ空が暗い内に、布団から起き上がる。
朝は結構強いんだ。カーテンを寄せて窓を開くと、静かな空が広がっていた。
部屋に流れ込むひんやりとした空気を楽しみながら、湯を沸かし、服を着替える。
リュックを持ってパントリーへ。半地下になった石室から、陶器の器を取り出した。蓋をずらし、中を確認する。白くてツヤのある生地が、ぷっくり丸く膨らんでいた。
(おし。いい感じに発酵してる)
丁寧に、カバンの底に収めて。追加の茶葉、バター、それから干した果物も少し。よし、こんなものかな。
家を出る。町の外れにある自宅から、少し歩けばすぐに山道だ。
山の上にある魔女の小屋。今日の朝ごはんに焼きたてパンが出てきたら、どんな顔をするだろう。
白み始めた空を眺めながら、自分より早く日の出を見るであろう彼女のことを考える。
誰もいない山道を、早足で進んでいく。
「あ、おはようさん!」
枝葉がこんもり広がった、10m程の大木だ。裏面が銀がかった緑の葉を揺すりながら、馴染みのシイの木が待っていた。
ずず……ず……
「いつもありがとな!」
山道横に生えた大木が、ゆっくりと横にずれた。
「あ、去年もらったシイの実ね。あれ、美味しかったんさ〜」
シイの大木が避けた場所に、新たな道が現れた。山道を逸れて、木々の間を進んでいく。
半時ほども進めば、今度は枯葉を残したコナラの木が。
「おおっ」
バサバサと茶色い葉を落としながら、大枝がルシニウスを抱き込んだ。そのままぐんと持ち上げると、崖上へそっと降ろしてくれる。
「え、くれるって?」
黄緑の小さな新芽をつけたコナラの枝先から、石ころサイズの固いものが渡された。
「クルミ!」
土の匂いがまだ残る、殻付きの小さな実。
「リスさんが忘れたやつ? え、それもらっていいんさ?」
そんなやり取りをしているうちに、気づけば木々の密度が薄くなっていた。
視界が開ける。
枝の向こうに、三角屋根が覗いていた。
「うーん、1時間とちょっと? 最高記録かもなぁ……」
片道四時間程の山道。気づけば随分早くなった。
鬱蒼とした森の中、ぽっかり開けた空間で、春の花々が揺れている。
上着の内ポケットから、鍵を取り出した。
のぼり始めた朝の光に煌めいて、手の中で光る鍵が愛おしい。
そっと扉を開き、足音を潜め台所へ。手を洗い、袖をまくる。昨夜から仕込んだ生地を、手早くちぎって丸めていく。
「よーし、それじゃあ焼きますか」
ちらっと覗いた奥の部屋。
扉は閉まったままである。
『毎日山登りで、仕事は大丈夫かい?』
焼きたてのパンを前に、きっと呆れた声で言う。けど、嬉しそうに齧るんだ。
そんな彼女を想像して、膨らむパン生地を眺めながら、気づけば口元が緩んでいた。
大学卒業後、自らの写真工房を構え、フリーのカメラマンとして活動するルシニウスくん。
仕事で忙しいはずなのに、相変わらず魔女の小屋に通っています。
シティ「山登りだけで何時間かかるんだか……」
ルシニウス「最初は大変だったんさ。でも今は、木達が手伝ってくれるから!」
シティ「え?」
ルシニウス「ん?」
魔力もないのに、気づけば常識外れなことをしているルシニウス君でした。




