3-3 クーの憂鬱
「すまねぇな、農作業の手伝いを頼んじまって。騎士って言えば階級社会ではそれなりに偉いんだろ」
大男がクロトの隣で畑を耕している。
クロトはクロトで、鍬を振り上げ畑を耕している。腰に力が入っており、へっぴり腰ではない。
「いや、気遣いは無用。自分を含めて隊のほとんどが本来農民だ。提供された農作物と村の備蓄、気にしていた」
クロトは隊からも騎士数名を選りすぐっており、各自が土をつついている。剣を握るよりも手馴れた仕草には苦笑する他ないだろう。
「むしろ、モルド殿が進んで畑を耕しているのが不可思議だ」
強敵だったモルドを評価した言葉だ。
てっきり、クロトはモルドを隠れ里の防人か門番でもしている戦士だと思っていた。体格もそう思わせる一因であるが、戦闘時に素人臭い動きが見えなかった事が大きい。マチカは生来の力に頼ってばかりいたが、モルドには過信や驕りといった隙が少なく、攻め入り難かったのだ。
見上げる必要のあるモルドのしかめ面は、過大評価だと訴えている。
「クロトが本来農民のように、俺の本業は農地開拓と運営だ。ここも俺が森を掘って作った土地だ」
今は人に化けているので面影はないが、土竜の姿をしたモルドならば森を切り開く事ぐらい造作もないだろう。岩石だろうと深く育った木の根だろうと、半魔の掘削能力を用いれば簡単に取り除ける。
「まぁ、いざって時に動けるよう普段から体は鍛えてはあるけどな。守りたい奴ぐらい自分で守れねぇと、昔みたいになっちまう」
「……モルド殿は過去に人間と戦った事があるのか」
「いや、里が攻められたのは半世紀も前、俺がまだガキの頃だ。実際に戦って今も生きている奴はいるけどな」
だから多少の不便と多大な殺気は許してくれ、とモルドは深く謝罪した。
妙な気分にクロトは陥る。しかしそれは、ハーフデモンであるはずのモルドに謝られたからではない。
モルドの顔を凝視してから、クロトは畑に向け鍬を一振りする。直後、モルドの顔を再度見上げ直し、首を傾げる。
クロトの脳裏に浮かんだ疑問は、土地のように耕されてはくれない。
「モルド殿は、その、今の人間の姿を限定してだが……容姿が若すぎないか?」
「そりゃぁ、生まれてまだ半世紀だからな」
モルドの歳は、クロトの年齢を二倍にしてもまだ足りない。王国の平均寿命近くで若人と言い張るとは、スローライフにも限度があった。
「ちなみに……クーは俺やマチカより年上だぞ」
クロトが振り上げた鍬を明後日の方向に飛ばさなかったのは、日頃の精神修養の成果だった。
農作業を行いながら、モルドは世間話口調で次々と里の特殊性を明かす。
いわく、寿命で死んだデモンはいない。隠れ里最高齢の長老は三百歳前後だが、過去に千年生きたハーフデモンもいたらしい。
里に純血の人間がいない理由も寿命が関係している。人間とデモンの混種の里であれば片親となった人間がいるはずであるが、現在、人間は全員他界しているとの事だ。
「俺は人間の母とデモンの父の一期ハーフだが、母は十年前に病死してな。里最後の人間だった」
「すまない、悪い事を聞いた」
「俺はマシなんだよ。マチカの両親は里が攻められた時に殺された。和平を持ち掛けに出かけて、人間に斬られた。……それ以来だな、マチカの人間嫌いは」
血筋的には己以上に人間に近い癖に、とモルドは複雑な表情を見せる。
「里ではマチカのような心情の者が多数派だ」
「他人事に聞こえるが、モルド殿は次代女王暗殺未遂の実行犯だろ?」
「クロトに言われると耳に痛い。ま、俺も外界の人間が信用ならない事は認める。……とはいえ暗殺は本意ではなかった」
モルドの弁明は酷くあっさりとしていた。自己弁護や保身は皆無だ。
暗殺は彼にとって不本意な行動だったが、最善ではあったとモルドは自負しているのだろう。行為そのものに後悔はしているようだが、何をしても、しなくても、後悔すると最初から諦観している。
言葉は軽く、体は大きいが、モルドは里の雰囲気に辟易している。クロトはそう感じ取った。
「結果は予期せぬ展開を里にもたらしたが。これからどーなっちまうんだろうな」
「自分にも分からぬが……。ふむ、一つだけ断言できる」
不安そうに空を望むモルドの姿にクロトは教えられる。
「すべてはガーネット様次第だ」
一般的なハーフデモンの思考は人間と変わらない。悩みもするし、間違いも犯す。
つまり、クロトの主は特異な存在だから特異なのではなく、性格や思考はガーネット固有のものである、と。
木壁の向こうより不敬な思念を感じる。こめかみから生える私の角が受信している。
「ようこそ、と申すべきかのう。次代女王陛下」
心当たりは多いが、まぁ、クロト辺りが無礼な事でも考えているのだろう。
「陛下は余計。誕生日を過ぎるまでは私、市民権すらない少女なの」
「なれば次代女王、まずは隠遁の長として来訪を歓迎しようぞ」
「歓迎してくれるのは良いけど、謝罪が先じゃない? それとも刺客を迎えに寄越すのはハーフデモンなりの持て成しかしら?」
目前のエセ老人――ハーフデモンの外見年齢など当てにならず、ハーフデモンでありながら人の姿をしている時点で信用ならぬ――は好々爺の顔で私の挑発を受け流す。長老というだけあって神経が図太く成熟しているようだった。
他の、集会所に物見遊山気分で集合した若者共は青く憤っているようだが。私の人を食ったような態度が、物語上人食のハーフデモンとして許せないのだろう。
奥に長く、壁でのみ屋根を支えている村の集会所には大勢ヒトがいるのに、親しい人間は一切いない。人間の姿をしている奴等がそもそも少ない。
私は孤立無援状態だ。
……そんなの生まれた瞬間からずっと続いているので、全然気にならない。
「若人の独断と暴走だったとはいえ、王族の暗殺は大罪じゃ。しかし、この度の無礼千万、どうか慈悲の心で特赦をいただきたい」
「そっちから仕掛けておいて、許して欲しいんだぁ。私を殺した後の混乱に乗じて、王国に内乱起こすつもりだったんでしょ?」
「信じてはもらえんかもしれんが、暗殺は里の本意からかけ離れておる」
「あくまで一部若者の暴走という事かしら。なら、首謀者を捕らえなさい。躾の悪い子供はきちんと処罰しないと」
背後の群集の片隅で、尻尾を固まらせてダラダラ冷や汗を掻く少年の気配がする。なかなか高度な気配の発し方だ。
「そこをどうか、容赦していただきたく」
「ああ、なるほど。同種の好で許せと?」
「寛大な処分を!」
床に額を密着させる勢いで、長老は必死に私の同情を誘う。
長老の殊勝な態度を目撃した列席者は、心で思うだけではなく、ヒソヒソと動揺を口にし始めたので集会場内が騒がしくなる。
長老以外のハーフデモン共は、事の重大さと私の権威の重さにようやく気が付き始めたらしい。それだけ、少女に許しを請う老人の図というものは特異なのだろう。土下座を続ける老人の姿は実に悲しい。
だが、私は周囲の状況に興味を持っていられない。長老が私に懇願している事と懇願の仕方とのギャップに首を傾げていたからだ。
火災消化に油を用いるような。
新雪たんまりの山肌に向かって大声で登頂祈願を行っているような。
……この長老は誰に許しを得ようとして、見下されたいのか考えあぐむ。
「そうね、同じデモンと人間の混種ですもの。それはもう家族のようなもの、そして、家族に土下座までされては居心地が悪くなってしまう」
仕方なく、寛大な次代女王たる私は長老の願い通り、事件当事者を家族のように扱う事に決めた。
そう、私の家族と同列にだ。
ただし、国を衰退させた暗愚な母、路傍で惨めに死んだ育児放棄の父と同列に扱うには過ごした日数が足りない。親族扱いするにしても死罪は難しい。ならば、ペットぐらいが丁度良いか。
「でも、お咎めなしってのは人間に悪いわ。だから、実行犯の代表、クーを私の側近として貰うから。期限は……とりあえず五十年ぐらい。気分で延長」
一瞬だけ和んだ集会所の空気が掻き乱れる。
下げていた顔を素早く上げた長老も、あんぐりと口を開いたまま硬直してしまう。クーの口ほど大きくは開いていないが。
「無償の奉仕者として、がんばりなさい」
「おおおお、恐れながらっ! 暗殺の件は里に招く事で帳消し、とガーネット様御自ら提案されていましたが!?」
哀れなクーが果敢にも私に楯突く。
「あれはマチカに言っただけよ? 仮にそうだったとして、私に仕えるのが不満な訳?」
「ノミの命にも劣る僕の魂魄と虚弱体質ではお役に立てません! ほら、フサフサの尻尾なんてデモンらしくないでしょっ! この耳の可聴域なんて人間と同じぐらい狭いんですからっ!」
「あらそう、大変ね。苦労なさい」
悶えるクーは敗退し、代わりに長老が言葉を引き継ぐ。
「次代女王。なりと性格は幼くとも、このクーは里の管理を担う家系の者。里から奉公に出すのは容赦していただきたい」
「長老、勘違いしてないかしら。クーは貢物としてではなく、里の大使として王宮に駐在するのよ。里にとっての重要人物なら尚更適任じゃない」
それに、と私は後ろに振り返って様々な外見の同種を睥睨する。
どいつもこいつも人外の力を持っている癖に、辺境村の純朴青年の目をしていて気色が悪い。その無垢な瞳の色は、すべての罪悪は里外から到来するとでも言いたげで腹が立つ。
では、クーに女王のペット程の価値があるのかというと、今現在の彼にそんな高い価値はない。ただ、私が知っているハーフデモンの中で、里に最も影響力がありそうな人物がクーだったという話である。
こんなショボイ理由と、フサフサの毛を毟りたい欲求が二大勢力となり、心の内で混合されている。クーの用途と安月給は、雇用してから考えれば良い。
「今回の事件は里という小さな世界が疑心暗鬼を許容できなくなった結果起きたもの。来ない台風に怯える前に、明日の天気を知るために空を望むぐらいの事、そろそろ覚えてみてはいかがかしら?」
周りを見渡してはっきりする。
手段と目的は悲惨だったが、暗殺に出向いた三人は里の中ではマシな人材だったのだ。被害者少女ぶっているマチカも、あれで里の将来を憂いていたのだろう。
他人事で私は長く溜息を吐く。
己の目論見の甘さに落胆し、ハーフデモンの実態に失望してしまいそうだ。
「えーと、不承不承の嫌々。倦怠感に溺れて苦しいので仮病したいですが……あ、駄目ですか。そうですか。……はい、ガーネット様の滞在中のお世話係となりましたクーです」
「クーに泣き付かれたマチカだ。ああッ、翼にしがみ付くな馬鹿クー」
集会場を後にして数時間、チームワークに欠けた二人組が訪問してきた。
クーの雇用宣言をした直後、里の者だけで話し合うと会合から締め出され、夕食時なって現れた結論がコレか。やる気のないクーに、失望感しか浮かばない。
気分を少しでも紛らわせよう。と、数百年物の赤ワインを垂らした色の地毛を、人差し指にクルクル絡める。
「で……クーは私に仕えると決めた訳?」
「断じて、それはもう巨大大根を輪切りにするぐらい断じて違います」
「なら、何の用事? 私、デザートにベッコウ飴が付かないと夕食は食べないわよ」
「仕える云々《うんぬん》の話は長老会議で続行中です。ただ、里に滞在されている間のお世話だけは泣きながらやらせていただきます」
「弄る相手が宛がわれたのは喜ばしくても、家事一つ命じる前から泣かれるのは鬱陶しい。私の世話ぐらい私の騎士がするわよ」
目元に涙を溜めてクーは台所へと向かった。夕食の支度を開始したのだろう。
マチカは里への道中、自分で狩った魚を新鮮なまま咀嚼していた記憶がある。味にうるさくないつもりだが、生のまま食する悪食でもない。マチカは大黒柱に背中を預けたままでいてくれた方がありがたい。
「騎士? 冗談じゃない。人間を野放しにできるか」
「人間ねぇ。そんなに憎らしいものかしら」
私の率直な感想を聞いたからだろう。マチカは元々不機嫌だった顔色を濃くして、問い掛ける。
「ガーネット、人間の土地で育ったお前なら人間の汚らしさを体感しているだろ」
「そこを愛でてやらなくて、他にどんなチャームポイントが人間にあるのよ。自ら生み出した悪意に溺れて死ぬ様は、壮絶な自虐芸じゃない」
「ならどうして、女王になろうとする!」
第一印象が悪かったのか、マチカが私を嫌っている事は察している。
だから……マチカが遠まわしに私を里に誘っている事を理解した瞬間、愉悦の笑いが噴出しそうになってしまった。
大笑いしてマチカを弄ってしまいたい衝動に駆られる。が、もう一つの衝動が心の淵から押し寄せてどうにか止まる。
「……何故って、面白そうだからよ。それ以外の魅力的な理由、思いつかないわ」
私は隠れ里に対する失望を少しだけ撤回する。
せっかくだから、クー以外にも数人貰おうかしら。
私の目の色が変化した事に気付いたマチカは、危険な視線を避けるため屋外に出て行く。やはり彼女は私が苦手な様子だ。
世話係りという名の弄り相手を失った私は、もう一人の弄り相手に訊ねてみる。
「それで、クー。長老会議ってのはいつ終わる予定なのよ?」
「個人的には永遠に踊り続けて欲しいです。客観的な見方ですと数日は掛かるかと思います。なにぶん事が事、僕の人生の方向性が決まっちゃいますからねぇー。僕としては里で残りの余生を過ごしたいという希望を存分に押し出したいと――」
「悠長なものね……」
私の誕生日まで、日はないわよ。




