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魔法の終わる空  作者: 国産狂人
街で生きる術

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9/60

研究対象という立場

 壊れた魔導具へ触れた際、再び青白い火花が起きてからというもの、研究棟の空気は少しずつ変わり始めていた。


 劇的な変化ではない。誰かが急に親切になったわけでもなく、逆に露骨な警戒を向けられるようになったわけでもない。ただ、視線が増えた。


 それも、妙な視線だった。


 話しかけられることは以前と大差ない。資料室へ行けば挨拶をされるし、研究棟では相変わらず誰かが紙束を抱えて走り回っている。だが、その合間に、ふと気づくのである。会話の途中でこちらをちらりと見る者。何気ない顔で壊れた魔導具を近くへ置く者。雑談を装いながら、さりげなく体調や感覚を聞いてくる者。


 悪意はない。それはわかる。


 ただ、好奇心が勝っている。


 研究者という人種は、未知を前にすると少し理性が緩む。相手を人として見る前に、まず「どういう現象なのか」を考え始めてしまうところがある。


 地球でも同じだった。


 共同研究先で偶然に近い実験結果が出た時など、普段は時間に緩い教授が朝一番で研究室へ現れ、目を輝かせながらホワイトボードを埋め始めることがあった。未知の結果というものは、研究者にとって一種の麻薬なのだろう。


 今の自分は、おそらくそれに近い。


 少し居心地が悪い。だが、責める気にもなれなかった。自分でも気になるからだ。


 測定器具には一切反応しない。魔法も使えない。にもかかわらず、壊れた魔導具だけは反応する。それも偶然では片付けにくい程度に、二度。


 もし本当に何かがあるなら、それは生活に直結する話だった。


 この世界では魔法が生活基盤だ。灯り、暖房、保存、運搬、通信に近いものまで、少し調べただけでも、生活のあらゆる場所へ入り込んでいる。そこで自分だけ使えないとなれば、不便では済まない。


 だから理由を知りたかった。使えないのか。使い方が違うのか。あるいは、自分そのものが理論の外側にいるのか。答えが出ないまま考え続けるのは、性に合わなかった。


 問題というものは、正体不明な状態が一番厄介だ。設備故障でも同じで、壊れている理由さえわかれば修理方法は見えてくる。逆に、理由がわからない不調ほど長引く。


 だから今日も資料室へ足を運んでいた。


 高い天井まで本棚が並ぶ空間は、学院の中でも特に落ち着く場所だった。窓は小さいが、天井近くを漂う光球が静かな青白い明かりを落としており、薄暗さは感じない。古い革装丁の匂い、乾いた紙、少しだけ埃を含んだ空気。その全てが、不思議なほど心を落ち着かせた。


 知識がある場所は安心できる。知らない世界だからこそ、なおさらだった。


 最近は魔法理論だけではなく、歴史や地域差についても読み始めている。そこで少し意外だったのは、魔法文明が思っていたほど均質ではないことだった。


 魔素には濃度差がある。


 地域によっては魔導具の効率が落ち、都市部ほど魔法依存が進んでいる。寒村では古い機械技術や人力へ頼る場所も残っているらしく、土地によって生活水準に差がある点は、地球とそれほど変わらなかった。


 便利な技術ほど、地域格差を生む。それは歴史が証明している。


 ならば――と自然に考え始める。


 魔法が使えない人向けの技術は需要になるのではないか。あるいは、魔素濃度が低い地域向けの代替手段は。思考が自然と商売へ向かうあたり、自分でも少し可笑しかった。


 元の世界でもそうだった。研究をしているつもりが、いつの間にか量産性や採算を考え始める。理想だけでは終われない癖は、社会人を長くやるほど抜けなくなる。


 そんなことを考えていると、机の上へ紙束が置かれた。


 顔を上げる前から、誰かは何となくわかる。足音が少し静かで、目的がある時ほど迷いなく近づいてくる。


「また考え込んでる」


 覗き込むような声に、小さく笑う。


「癖です」


 本を閉じる。


「魔法半分、商売半分ですね」


 少し意外そうな顔をされた。


「そっち考えるんだ」


「生活があるので」


 帰れる保証がない以上、この世界で稼ぐ方法を考える必要がある。理想だけでは飯は食えないし、研究は資金が尽きれば止まる。それは地球でも嫌というほど経験していた。


 しばらくこちらを見ていたあと、小さく息を吐かれる。


「本当にぶれない」


 その言葉に、少し考える。ぶれていないのだろうか。正直、自分ではよくわからない。


 夜になると地球を思い出すことは増えた。コンビニの明るさや、自販機の温かい缶コーヒー、意味のない会議ですら、妙に懐かしく思える時がある。


 それでも止まれない。少なくとも、今は生きる方が先だった。


「主任が呼んでる」


 続く言葉に、少し嫌な予感がする。研究者に呼ばれる時ほど、ろくなことがない。


 研究室へ入ると、その予感は半分ほど当たっていた。


 机の上には透明な板、刻印入りの金属、分解された魔導具、例の測定球が並び、部屋の空気は妙に熱を帯びている。誰かが徹夜したのか、冷め切った飲み物が隅へ放置されていた。


 これは本気だ。そんな気配がある。


 主任は机越しにこちらを見ると、静かに口を開いた。


「君の仮説を試したい」


 身体構造の違い。以前、こちらが口にした仮説だった。


 正直、流されると思っていた。だが、どうやら本気で検証するつもりらしい。


「もし君が魔素を取り込めないのではなく、“別の反応”をしているなら、既存理論では説明できない可能性がある」


 部屋が静かになる。皆、理解より期待の顔だった。


 未知の理論、新しい現象、前例のない発見――研究者が最も好む類の話である。


 少し嫌な予感はした。こういう時、人間扱いが少し雑になる。


 ただ、それ以上に気になっている自分もいる。もし本当に使えないのではなく、違うだけなのだとしたら。それは、この世界で生きる前提を変えるかもしれない。


 しばらく考えたあと、小さく頷いた。


「何をすればいいですか」


 その瞬間、研究室の空気がわずかに明るくなった。


 研究者という生き物は、実験が始まる瞬間だけ少し子供っぽくなる。

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