帰れない、ではなく
最近、元の世界の夢を見る回数が少し減った。
最初の頃は酷かった。目を閉じれば、見慣れた駅のホームや、大学近くの古いコンビニ、深夜まで明かりの点いていた研究室が浮かぶ。目が覚めた直後ほど現実感が曖昧で、数秒だけ「戻れた」と錯覚することもあった。だが最近は違う。夢そのものが減り、代わりに異世界の街並みが日常側へ寄り始めている。
学院市の石畳の音も、工房街の煤臭さも、宿屋の少し硬いパンも、もう珍しいものではなくなっていた。
慣れるというのは怖い。だが同時に、生きるということなのかもしれない。
工房街では今日も小さな変化が増えている。断熱構造を試した鍛冶場では燃料消費が少し減ったらしく、地下保存庫を改修した食品店では廃棄量が減ったという話を聞いた。劇的な成功ではない。空の帯が消えるわけでも、弱った魔法が戻るわけでもない。ただ、少し生活が楽になる。その積み重ねだけが、今の世界を支えている。
そんな光景を見ていると、最近ひとつ気づいたことがある。
自分は、いつまで「帰るまでの仮住まい」としてこの世界を見ているのだろう。もちろん帰れるなら帰りたい。
元の世界に未練が無いわけではない。研究も途中だったし、連絡もなく消えた人間として扱われているだろう。家族だって居る。急に消えた理由もわからないまま、向こうの時間だけが進んでいるはずだ。
ただ、同時に現実もある。
帰る方法はまだ見えていない、空の異変は進み続けている、そして目の前では人が困っている。
なら、自分は何を優先するべきなのか。学院へ戻る途中、自然と足が止まる。
以前なら気づかなかった程度の弱い灯りが、今でははっきりわかる。それでも街は動いている。弱くなった魔法を補うように、職人が工夫し、商人が調整し、人が生活そのものを少しずつ変えている。
世界は壊れている途中なのかもしれない。だが同時に、作り替わっている途中でもある。
元の世界でもそうだった。大きな変化ほど、人は最初から理解できない。気候が変わり、産業が変わり、技術が変わる。渦中に居る人間はただ必死で、後から「あの時代が転換点だった」と整理されるだけだ。
今、自分はその真ん中に居る。しかも少し厄介なことに、“別の世界の知識”を持ったまま。
その時、不意に後ろから声がした。
「また止まってる」
振り向かなくてもわかる。
紺色の外套だった。最近は本当に、居るのが自然になっている。
「考え事です」
「空?」
「帰る方です」
そう言うと、向こうは少しだけ考える顔をした。
多分、最初の頃なら聞かなかった話題だ。自分が異世界人であることは知っていても、“帰る”という言葉はどこか現実感が薄かったのだろう。
「帰りたい?」
短い問いだった。
ただ、妙に難しい。少し考えてから答える。
「帰れたら、帰ります」
それは本音だ。ただ、その続きが最近少し変わった。
「でも」
言葉が止まる。
空を見る。
帯は相変わらず薄く広がり、以前より少し濃い。
魔法は弱っている。
世界も変わり始めている。
「帰れない、で止まる気はないです」
自分でも少し意外な言い方だった。
諦めではない。受け入れとも少し違う。帰れない可能性があるなら、その前提で生きるしかない。
その間にできることがあるなら、やる。
文明を繋ぐことでも、技術を残すことでも、この世界が少し長く持つ手助けでも。
紺色の外套は少し黙ったあと、小さく頷いた。
「それ、前より良い顔」
思わず少し笑う。
何が変わったのか、自分でもまだ整理できていない。ただ、最初の頃の「生き延びるだけ」とは少し違ってきているのは確かだった。
宿へ戻る頃には、街はすっかり夜になっていた。弱くなった灯りの下でも、人は変わらず働き、食べ、明日の準備をしている。
帰れるかどうかは、まだわからない。
ただ少なくとも、“帰れないかもしれない”だけで立ち止まる段階は、もう少し前に終わっていたのかもしれなかった。




