世界の寿命
「過去記録に類似事例なし」
王都側から届いたその一文は、短いわりに妙な重さがあった。
古い記録との一致が見つかった時、少なくとも心のどこかで安心していた部分がある。以前にも起きた現象なら、世界は一度乗り越えている。被害はあったとしても、文明が終わるほどではなかったのだろう、と。だが、その前提が少し揺らぎ始めていた。
もちろん完全に違うと決まったわけではない。観測精度の差かもしれないし、古い資料が欠けている可能性もある。ただ、帯の広がり方、移動速度、魔素流量低下の規模――王都側の分析では、少なくとも過去記録より進行が速いらしい。
世界そのものが変わり始めている。そんな考えが、少しずつ冗談ではなくなっていた。
その頃になると、学院市の生活にも変化が増えていた。市場では保冷設備を信用しきれず、以前より小分け販売が増えている。暖房効率の良い宿は予約が埋まりやすくなり、工房街では熱量不足を見越して昼間中心の稼働へ切り替える場所も出始めていた。
誰も口にはしない。だが、街全体が少しずつ“減った状態”へ慣れ始めている。
それが逆に怖かった。
人間は適応する、良くも悪くも
元の世界でも、大規模障害ほど日常化が早かった。不便はやがて基準になる。節電が習慣になり、物流遅延が前提になり、いつしか「前の普通」を忘れていく。
ただ、今回の違和感はそこでは終わらない。
もし本当に空の帯が魔素流量へ干渉しているなら。
もし魔法が“世界環境”だったなら。
ひとつ、どうしても避けられない問いが出てくる。
――終わりはあるのか。
気づけば、その言葉を紙へ書いていた。
紺色の外套が隣から覗き込み、小さく首を傾げる。
「何の終わり?」
「この現象です」
少し迷う、言葉にしたくない。ただ、考えないわけにもいかない。
「通り過ぎるなら終わります。でも……もし終わらなかったら」
そこまで言うと、向こうも黙る。理解したのだろう。
もし一時現象でないなら。
もし長期変化なら。
文明そのものが前提を失う。暖房も、輸送も、保冷も、工業も。
今の豊かさは、全部魔法依存で成立している。その土台が痩せるなら、都市構造そのものが変わる。 元の世界にも似た話はある。
資源枯渇、気候変動、人口減少。
人類は何度も“前提の終わり”へ直面してきた。ただ、どれも共通しているのは、終わりは突然来ないということだった。
少しずつ悪くなり、少しずつ慣れる。そして気づけば、戻れなくなる。
主任は資料を整理しながら、疲れた顔で言う。
「世界の寿命、ってやつか」
冗談みたいな言い方だった。だが誰も笑わなかった。
寿命
言い得て妙だった。
永遠だと思っていた仕組みにも終わりはある。元の世界でも、文明も資源も環境も有限だった。この世界だけ例外だと考える方が、むしろ不自然なのかもしれない。
ただ、そこまで考えた時、妙な違和感が残る。寿命にしては、変化が急すぎる。もし世界規模現象なら、何故“今”なのか。何故この速度なのか。
そして、何故空を移動しているのか。そこだけが、まだ綺麗に繋がらない。
夕方、観測塔から届いた追加資料を見ながら、その違和感へ目が止まる。
帯の移動速度が微妙に変化している。一定ではない。ほんの少しだけ、速くなっている。
嫌な予感がした。
もし本当に通過現象なら、まだ途中なのかもしれない。
そして、今見えている被害は
――始まりに過ぎないのかもしれなかった。




