魔素の正体
「続けろ」と言われた瞬間、少しだけ困った。
理論の入口はある。仮説もある。だが、それをこの世界の言葉へ置き換える作業が圧倒的に足りていない。元の世界の知識をそのまま持ち込んでも意味はないし、むしろ混乱を増やす。何より、自分自身がまだ確信していない。空の帯と魔素低下が関係している可能性は高い。だが、“何故そうなるのか”の説明が弱い。
主任は机へ肘をつきながら待っている。紺色の外套も隣で黙っている。他の研究員たちも、表向きは別作業をしているふりをしながら、半分ほど耳をこちらへ向けているのがわかった。
つまり、もう後戻りはできない。観測記録を並べながら、まず前提から整理することにした。
「確認ですけど、魔素って“何”なんです?」
その瞬間、数人の視線がこちらへ向く。
主任が眉を寄せた。
「今さらそこか?」
「そこです」
むしろ、そこが一番気になっていた。
魔法文明というものは案外曖昧だ。使える人間ほど感覚で済ませる。元の世界でも、毎日使う技術ほど原理を説明できる人間は少ない。電気を使う全員が発電原理を知っているわけではないのと同じだった。
主任は少し考えたあと、机へ古い教本を引き寄せる。
「一般理論では、自然界へ満ちる力だ。術式はそれを取り込み、形を変える」
「燃料みたいなものですか」
「近いが少し違う。流れに近い」
北方都市側の研究者が会話へ加わる。
「地脈説では、大地から循環しているとされてる」
「地域濃度差もある」と港町側が続けた。
「だから昔から学院は地脈測定をしてる」
話を聞きながら、違和感が少しずつ輪郭を持ち始めるが曖昧すぎる。
自然エネルギー、循環、流れ。どれも現象説明にはなるが、“正体”ではない。つまりこの世界も、魔素を利用はしているが、本質までは理解しきれていない可能性がある。
それは少し意外だった。
高度な魔法文明なら、もっと体系化されていると思っていた。だが考えてみれば不思議ではない。元の世界だって、使えている技術の全てを完全理解していたわけではない。現象先行の技術はいくらでもある。
だからこそ異常へ弱い。仕組みを知らないものほど、壊れた時に脆い。
「もしですけど」
紙へ簡単な図を書き始める。
世界、空、流れ。そして、その上を通る帯。
「魔素って、“ある量”を使ってるんじゃなくて、流れてるものなんじゃないですか」
主任が黙る。研究員たちも少し静かになる。
「水路みたいに?」
紺色の外套が小さく聞く。
「近いです。流れが弱くなれば、全部の出力が落ちる。完全停止じゃなく、“何となく弱い”状態にもなる」
今起きている現象と合う。
街灯は点く、暖房も動く、保冷設備も機能する。
ただ、全部少し足りない。それは“無くなった”ではなく、“流量が落ちた”と考える方が自然だった。
そして、もし空の帯がその流れを邪魔しているなら。
地域差
時間差
帯の移動と不調拡大
全部説明がつく。
主任が腕を組み直し、低く唸る。
「魔素そのものが減ってるんじゃなく、流れが阻害されてる……か」
その言い方が、一番近かった。
消滅ではない、衰退でもない、循環不良。
元の世界で言えば、電力不足というより送電障害に近い。エネルギーはある、ただ届かない。
その方が、今までの症状へ妙に合っていた。
窓の外では夕方の灯りが少し弱い。以前なら気づかなかった程度の変化だ。だが今は、その頼りない光を見るだけで、世界全体の流れが少しずつ滞り始めているように思えてしまう。
そして、その沈黙を破るように、王都側から届いた最新観測資料へ新しい一文が加わっていた。
――高高度観測にて、帯内部の星明かり減衰を確認。
部屋の空気が少しだけ変わる。空が何かを遮っている。
その仮説が、またひとつ現実へ近づいていた。




