測るということ
翌朝、目が覚めた時には寝不足特有の鈍さが少し残っていた。
窓際へ向けた椅子には昨夜のまま望遠鏡が置かれており、机代わりの木箱には走り書きの紙が散らばっている。眠る前、思いつくまま空の特徴を書き留めていたらしい。恒星の位置関係、目立つ帯状構造、月らしき天体の周期予測。それほど精度のある観測ではないにせよ、何も記録しないよりはずっと良い。
工学を学んでいると、感覚だけで終わらせることへ妙な不安を覚える。
気になった現象は記録する。違和感があれば比較する。再現性を探す。
研究者というものは、案外その積み重ねだけで出来ている。もっとも、昨夜見た靄のような帯については、正直自信がなかった。
望遠鏡の精度が低い。視界も歪む。
疲れ目だった可能性もある。
それでも、頭のどこかへ引っかかっている。説明できない違和感というものは、大抵後から意味を持つ。
無視して良い勘と、残しておくべき勘があるなら、昨夜のそれは後者だった。だからこそ、朝食を済ませながら紙へ簡単な観測計画を書いていた。
数日単位で同じ時間に確認する。角度を固定する。
見える星の位置関係を簡単に記録する。
雑でもいい。継続すれば何か見えるかもしれない。そう考えながらパンを齧っていると、向かい側から少し呆れた視線を感じた。
「また何か始めたな」
店主が紙を覗き込む。
「趣味です」
「趣味って顔じゃない」
確かに、自分でも少し真面目になりすぎている自覚はあった。空を見ている時だけ、妙に研究者へ戻る。
異世界で生きる現実や商売のことを忘れられるからかもしれないし、逆に、この世界を理解したい欲求が強いからかもしれない。
いずれにせよ、観測だけは続けるつもりだった。
「星なんて見て何になる」
問われ、少し考える。
説明は難しい。
「安心します」
自分でも意外な答えだった。ただ、少し考えると納得もできた。
星は法則で動く。
人間関係みたいに急に裏切らないし、商売みたいに駆け引きもいらない。位置があり、周期があり、予測できる。だから安心するのだろう。
店主は少し不思議そうな顔をしたあと、興味を失ったように肩を竦めた。
「変わってるな、お前」
最近よく言われる言葉だった。
*****
その日の仕事は、思っていた以上に忙しかった。試験販売へ回した筆記具が、意外にも好評らしい。
特に役所勤めの人間や商人からの反応が良いという。羽根ペンより手間が少なく、書類整理が楽になる。地味だが、毎日使う道具ほど改善効果は積み重なる。
問題は、生産が追いつかないことだった。
一本なら作れる。
ただ、同じ品質を何本も揃えようとすると急に難しくなる。木材の硬さ、削り方、内部構造、インク保持量――少し違うだけで書き味が変わる。
規格化。
頭の中へ自然とその言葉が浮かぶ。工業化以前の世界では、職人技が強い。だが逆に言えば、ここを仕組みにできれば強い。
ふと、学院の工作設備が頭をよぎる。
精密加工器具。術式刻印用の工具、これらは使えるかもしれない。ただ、あまり学院へ寄りかかりすぎるのも避けたい。
研究は研究。商売は商売。
混ぜすぎると、大抵面倒になる。
元の世界でも、共同研究と事業化が絡んだ案件ほど厄介だった。利益配分、特許、所有権。揉める未来しか見えない。だからこそ、少しずつ独立基盤を作る必要がある。
店を持つほどではない。ただ、仕事場くらいは欲しい。
そんなことを考えながら昼を回った頃だった。
学院から呼びが来た。
嫌な予感しかしない。
研究者に「少し来てほしい」と言われた時ほど、ろくなことがない。
案の定、研究棟へ入った瞬間、何となく空気がおかしい。
静かなのに落ち着きがない。誰かが紙を抱えたまま歩き回り、机には壊れた魔導具が増えている。
嫌な予感が強まる。
これは、何か見つかった時の空気だった。
「来たか」
主任の顔を見る。少し寝不足気味だ。
目だけ妙に元気なのが危ない。面白い研究を見つけた時の研究者の顔である。
「君の反応、少し見えてきた」
嫌な予感と興味が半分ずつ混ざる。
どうやら、また少し状況が動くらしい。




