グラフィアケーン③
とは言え、本当に目の前にいる存在が実兄なのかはシリウスの目をもってしても判断できていない。
先刻、ミスティージャを襲っていた魔獣たちのことを思えば精巧なコピーである可能性もあるものの、目の前に佇む記憶の中で生きる兄の姿と同一なそれを見て、ただのコピーであると即断できなかった。
あるいは、したくなかったのかもしれない。
もしかすると、兄が生きていることを、心のどこかで望んでいたのだろう。そんなはずはないと分かっているというのに。
近づくシリウスに四つ足の魔獣が警戒し威嚇してくるものの、統率するグラフィアケーンが手を翳しそれらを制止させた。
そうして労せず、シリウスはそれと対峙する。
「――お主が、魔王の子を名乗る魔獣か?」
空を見上げるように、髭を蓄えた大男へと尋ねる。
彼はその瞳を、眼下に向けるものの厳めしい顔つきを崩さない。
「如何にも。俺は魔王の子、第九子。名をグラフィアケーンという。そういうオマエは、何者だ? ここは小娘が遊びで来るような場所ではないが」
語る瞳はシリウスがよく知るものと同じだった。
色彩、目つきに至るまで全てが等しい。見かけだけならば、ほとんど同質と言える出来だろう。
ただ、双眸に光が宿っていないことを除けばの話だが。
「……余の情報は、知らぬようだな」
誰にも聞かれないように、そう呟いた。
吐き出された言葉は、いつも通りのものだったかもしれない。口調や声音は、少なくとも大きく変化はなかっただろう。
しかしそこに込められた感情は、シリウス自身上手くコントロールできるものでもなさそうだった。
薄暗い闇の中、僅かに惑わす小さな灯。
それが作為的に創り出された人形で、当時の記憶すら持たないもぬけの殻で。
道具としてしか扱われていないその肉親の姿に、混ぜ返すほどの沸き立つ激情が胸を締め付ける。
痛いほどに。
悲嘆に暮れる、余白も塗り潰すほどに。
シリウスの思考は染まり上がる。
――これほどの怒りは、あの時以来だな。
父を喪って、兄姉を喪って、日常を喪ったあの日。
暴走する体を、ぐちゃぐちゃに掻き乱れる思考を。
その時のことを思い出す。
一通り暴れれば、気も済むだろうか。いや、決してそんなことはないことをシリウスは知っている。それをしても虚しいだけだということも。
シリウスは、その蒼い双眸を閉じる。
今の彼女には、守るべきモノがいる。成すべきことがある。
感情は何も生まない。全てを捨てろ。どうしても必要なら利用しろ。
「……生憎と、お主に名乗る名などない」
再び開かれた瞳は、碧空を映したかのように、美しく輝いていた。
「シリウス……――」
背後で様子を見ていたシャーミアのその声が、途中で息を呑んだモノへと変わる。その動揺は、なにも彼女だけが起こしたものではない。
その隣にいるルアトも、周辺を取り囲む多くの魔獣たちも、同じように気圧される。
あるいは、恐怖か。
シリウスを中心として流れ出る魔力が、蝕むようにその一帯を覆う。
「これは、まるで毒のようですね……」
苦しそうな声を出しながら、口元には笑みを作っている。そんなルアトに、シャーミアもまたその身を捩らせていた。
場全体が、殺気立つ。
シリウスの瘴気に充てられた魔獣たちは、今にもその発生元へと襲い掛かろうと身構えている。
「……大したものだ。オマエのような小娘が、それほどの魔力を持っているとはな」
「黙れ。次に兄の姿で適当なことを言ってみろ。命乞いすらできぬと思え」
身を貫くほどの鋭い眼光を飛ばし、シリウスは一喝する。
それに対して、グラフィアケーンはただ不敵に笑うだけ。きっと彼が生きていたならば、そうしたのだろう。仕草や言葉遣いは記憶のモノと合致してしまう。
その様子が、逆にシリウスの思考を冷やさせた。
「……シャーミア、ルアト――」
振り返らずに、言葉だけを乗せる。
それまで息を荒くしていた二人だったが、その声と同時に少し落ち着いたようだった。もっともそれは、シリウスが魔力の放出を止めたからだろうが。
二人に語る声音は、既に落ち着いており、柔らかいものとなっていた。
「いらぬ世話を掛けさせたな。もう、安心してよい」
彼女はそう言って振り返り、紅蓮の髪を揺らした。
シャーミアとルアトを見つめる瞳は、慈母のように穏やかで、深い敬意すら彩られているように見えた。
「すまぬが、雑魚は任せた」
彼女のその言葉に、二人が何を感じ取ったのか。シリウスには分からない。それでも、視界には大きく頷く二つの表情が映った。
「任せなさい!」
「お任せください!」
勢いよく叫んだ二人が、戦闘態勢に入ったと同時、グラフィアケーンもまた言葉を放った。
「精々楽しませて貰おう! 紅蓮の小娘!」
その声に弾かれたように、周囲にいた数体の魔獣がシリウスへと飛び掛かる。
だが、シリウスはそれを一瞥すらせず、魔力の風で吹き飛ばす。
「紛い物に、楽しむ暇など与えるわけがないだろう。――精々、情けない姿を見せてくれるなよ? 偽りの王の子よ」
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