エリス=ハイロン
エリス=ハイロンの家系は世間的に見れば裕福で、魔術的な権威も持つ言ってしまえば上流階級だった。
その家で過ごしてきた彼女にとって、魔術は絶対であり、家柄もあってか一族全員が魔術に自信を持っていた。
末妹である彼女を除いて。
エリスは魔術の扱いがどうにも上手くなく、しばしば兄たちと比べられて育ってきた。挙句の果てには一族の恥だとすら言われてしまう始末で、憲兵隊として働いた方が世のためになると、半ば強制的に家を追い出されてしまった。
そうして訪れたのが、このカルキノス第三憲兵隊。若くして隊長を務めるラキシィ=カランを含めて優しい人ばかりで、こんなにも暖かい世界があったのかと嬉しくなったことを、今でも覚えている。
剣の才能は、ボロボロだったが。
『ウェゼン=セイラスだ。今日は対魔術師の戦闘訓練を見てくれと頼まれてきた。よろしく頼む』
転機が訪れたのは、ウェゼンが訪れたその日。名目としては憲兵隊の対応力の底上げと兵士のやる気を出させるためだったはずだった。
ウェゼンの名前は前々から知っていた。ハイロン家でも彼を讃えている者は多く、エリス自身もその一人。
そんな憧憬の対象を遠くから眺めていたのだが、不意に彼がこちらへと近づいてくるではないか。
『あ、あの……?』
何事だろうか。周囲の視線もこちらに向けられて非常に気まずいことこの上ない。もしかすると知らない内に何か失礼なことでもしてしまったのかもしれない。
ひとまず謝っておこうと頭を下げようするよりも先に、魔術師は首を捻って言葉を発した。
『お前さん。何故剣を握っているんだ?』
『へぁ……?』
思わず、変な声を出してしまっていた。思考が停止してしまっていると、すぐにカラン隊長がやってきて、話し始める。
『ウチのエリスがどうかしましたか?』
『ああ、お前さんがこの子の隊長か。何故この子に剣を握らせている?』
『え? それは、彼女自身が魔術には自信がないと、そう言っていたからで……』
『ふむ……』
その瞳が、じっとエリスを覗き込む。深紅の瞳。その彼が向ける視線の意図を読み取れず、戸惑っていると、まるでそぐわない優しい声が降り注いだ。
『お前さん、名はなんと言う?』
『え? え、エリス=ハイロン、です』
『ほう! もしかしてハイロン家の人間か! あのいけ好かない爺は息災か?』
『あ、お爺ちゃんなら凄く元気です』
『そうかそうか。やはりあのハイロン家の娘さんか。しかし、魔術には自信がないとはな。……私の目からはとてもそうは見えんがな』
『え――?』
思ってもみない言葉。あるいは、人生で一番欲しかった言葉なのかもしれなかった。
言われ慣れていないこともあり反応できないでいると、それすらも無視するように彼はその場を離れていく。
『また来よう。今度は仕事ではなく、私用でな』
それがウェゼンと出会った最初の日だった。
その後、本当に彼は度々この城へと訪れていた。内容は魔術の修行。主にエリスを鍛えるためだけに、時間を割いてくれていた。
『お前さんは魔道具に頼った方がいい。魔道具は技量をサポートするためにあるからな。お前さんの場合、練った魔力でそのまま魔術を放とうとするから、暴発する』
そう言って杖を貰ってから、彼が来る日も来ない日も、魔術の修行に明け暮れた。
彼の言葉の通り、魔術のコントロールも安定してきた頃、ふとエリスは彼に尋ねる。
『あの……。ウェゼン師匠?』
『なんだ?』
『その、私なんかのために、良いんでしょうか?』
『気にするな。私が好きにしていることだからな』
朗らかに笑って、彼はそう言ってくれる。
魔術師としてあれほど自由な人を、エリスは知らなかった。その温もりに浸っていると、しかし、と。彼は言葉を続ける。
『もうしばらくは、来れなくなってしまうかもしれん。今日は、それを伝えに来た』
『……そう、ですか』
いずれはその日が来る。そう覚悟していたとしても、耳を塞いで聞かなかったことにしたかった。
しかし我が儘も言っていられない。彼は世界的に偉大な魔術師。こんな自分なんかのために、時間を奪われていい存在ではない。
本当はもっと、修行をつけてもらいたかったし、一緒に過ごしていたかった。
その想いをぐっと堪えて、彼を見送ろうと決める。
『なに、心配するな。今生の別れでもない。また、次に会った時にでもお前さんの魔術を見せてくれ』
『……はい! 分かりました!』
そう言って立ち上がった彼は、しかしそのまま立ち去らずに、その場で結んでいた荷物を解いた。
出てきたのは白い杖。装飾も何もない、ただ持ち手に布が巻かれただけの簡素なモノだったが、何とも言えない物々しさは感じ取れる。
それを手に持ったかと思えば、ほれ、と。軽々しくエリスの方へと放り投げた。
『わわっ――』
なんとか落とさずに受け取れたが、落としてしまっていたらどうしていたのだろうと、エリスは肝を冷やす。
『あの……、これは?』
『私が編んだ杖だ。お前さんの杖ももうボロボロだったからな。修行を頑張った褒美として受け取ってくれるか?』
『……っ! もちろんです!』
『私の編んだ杖は、自分で言うのもなんだが価値がある。……売るなよ?』
『う、売りませんよ!』
大金を積まれても手放すはずがない。エリスが大事にそれを抱えながら反論すると、ウェゼンはそうか、と。そう笑って踵を返し、彼女はいま一度胸に抱くその杖に力を込めて、それを見送った。
その日が、エリスがウェゼンと出会った最後の日。
今でも彼女は、自分の道を示してくれた師を待ち続けている。
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