16.最期
それから、どれほどの時が流れただろうか。
クラリッサは当主としてどれほど多忙を極めても、毎朝欠かさず私を外へ運び出し、自らの手で丁寧に土を払ってくれた。
その短い掃除の時間の中で、彼女は私に色々なことを語ってくれた。昨日あった出来事、今日の予定、そして時には他愛のない冗談も。
私の授けた知識と彼女自身の才覚により、疲弊していた領地は徐々に回復に向かい、領民たちとの間にも確かな信頼関係が築かれているという。
そして、ある時のこと。
私は自分の感覚が、酷く鈍くなっていることに気がついた。
クラリッサの足音も、あの極上の踏み心地も、まるで分厚い布越しのようにぼんやりと遠くに感じるのだ。
ああ、と、私は静かに理解した。
形あるものは、いつか壊れる。
毎日、数え切れないほどの靴に踏まれ、泥を擦り込まれ、叩かれてきた。
私の繊維はもうすっかり擦り切れ、限界を迎えていたのだ。
だが、不思議と悔いはなかった。
ある朝の掃除の折、私は彼女に告げた。
「お嬢さん。……どうやら、もうすぐお別れのようです」
パンッ、と私を叩く手が止まった。
クラリッサの顔からサッと血の気が引き、彼女は信じられないものを見るように私を見つめた。
「え……? なにを、言っているのですか?」
彼女は震える手で、すり減ってボロボロになった私の表面をそっと撫でた。そして、私の言葉の真意を悟ったのか、ポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。
「い、嫌です……っ。嘘でしょう、マットさん……! まだあなたに教えてもらいたいことがたくさんあるのに……っ。もっともっとお話したいのに……!」
すっかり立派な当主になったというのに、今の彼女はまるで子供のように泣きじゃくっていた。
私は、そんな愛おしい主君を優しく諭すように語りかけた。
「いいえ、お嬢さん。もう私が教えることは何もありません」
「マット、さん……」
「あなたはもう、ご自分の足でしっかりと立ち、自分の力で生きていける立派な『王』です」
私の言葉に、クラリッサは首を横に振りながら、さらに激しく涙をこぼした。
その一滴一滴が私の乾いた繊維に染み込み、心地よい温もりを与えてくれた。
「あの絶望の底から這い上がり、美しく気高い主君へと覚醒していくそのお姿を見届けることができて……私は、本当に幸せでした」
視界が白く霞んでいく。
私の意識は急速に薄れ、深い、深い眠りの底へと引きずり込まれていく感覚があった。
「ありがとう、ございました……私の、愛しい……主君……」
それを最後に。
私は、何も言えなくなった。
ただの、使い古された繊維の塊へと還っていった。
薄れゆく静寂の中。
「マットさん……っ、マットさん……!」
私を呼ぶ、クラリッサの切ない声だけが、いつまでも響いていた。




