1.転生したら……
意識が浮上した時、私は床にいた。
四肢の感覚も体幹もない。指先一つ動かすことすらできない。
眼球も瞼もないはずなのに、不思議と世界を視認することはできた。
ここは玄関ホールのようだ。
石造りの高い天井。左手には大階段があり、正面には重厚な樫の両開き扉。その脇の壁には狩猟画が掛けられ、真鍮の燭台が鈍く光っている。
一言で表すなら、中世ヨーロッパ風の建築様式だった。
では、そんな空間にいる私は一体『何』なのか。
まず、私には確固たる形がある。
四隅の感覚が明確にあり、辺と辺が直角に交わっている。
材質はおそらく繊維だろう。撫でれば肌が擦り切れそうなほどの剛毛が、私という面をびっしりと覆っている。
そして決定的なのが、この配置。
樫の扉から一歩分。ちょうど、外から入ってきた人間が最初に足を下ろす場所……。
…………ふむ。
つまり、ドアマットだ。
私はどうやら、ドアマットに転生したらしい。
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ふと、重々しい音を立てて樫の両開き扉が開かれた。
「あー疲れた。でも今日のドレス、本当に素敵だったわね」
「ええ、あのお店の生地は格が違うもの。……次はあの宝石店にも行かないと」
玄関の敷居を跨いだのは、上質なドレスに身を包んだ二人の女性だった。
豪奢な羽飾り付きの帽子を被った、厳格で神経質そうな顔立ちの夫人。その後ろには、いかにも甘やかされて育ったことが窺える、ふわりとした縦ロールの令嬢が続いている。
二人は当然のように、何の躊躇もなく、私の上に体重を預けた。
ぐっ。
ぶ、ぐぅ、あ。
繊維が。押し潰されて。踵が、抉る、ように、体重の全部を、一点に、っ、あ、
夫人が履いているのは恐ろしく鋭利なヒールだ。細い細い踵が、私の織り目の一点を貫くように、突き刺すように、全体重をそこに集めて。
もう一人の令嬢が続く。こちらは底の平たい靴だ。しかし二人分の重さが、私という一枚の面に、同時に遠慮なく……っ……。
更に泥が押し込まれる。外から持ち込まれた、街路の、馬糞の、雨上がりの土の、彼女たちが踏んできた全ての汚れが、私の毛の奥に擦り込まれて……。
「こら、ちゃんと足を拭きなさい」
「拭いてるってばぁ」
ガシガシと、容赦なく靴底を左右に擦りつけられる。剛毛の繊維が根元からねじ切れんばかりに蹂躙され、泥がさらに奥深くへと圧着されていく。
「ちょっと! 早く買った荷物を運び込みなさい! グズグズするんじゃないわよ!」
「きゃっ……! す、すみません……!」
ふと、夫人のヒステリックな怒声が飛び、続いて、幾つもの真新しい箱や包みを抱えた三人目が滑り込んできた。
みすぼらしい衣服を着た、侍女と思しき若い娘だ。大量の箱を無理やり抱え込まされており、罵声を浴びたせいもあってか、その足取りはふらふらと覚束ない。
重い荷物の重量も加わり、前のめりになった彼女の擦り切れた靴底が、私の真ん中で激しくつんのめった。
ドン、と、今日一番の衝撃が私を襲う。
逃げ場のない硬い床の上で、私は彼女たちの体重と、押し付けられる泥と、荒々しい足の動きをすべてその身に受け止めるしかなかった。
「何をしているの! 汚したら承知しないわよ」
「うわぁ、どんくさーい」
やがて、二人の靴音が奥の部屋へと遠ざかっていく。
遅れて、荷物に押し潰されそうな少女が、呼吸を荒くしながらトボトボとついていく足音が続く。
楽しげな母娘の声。不条理な叱責の声。
誰も、足元のマットのことなど一瞥もしない。ただ泥をなすりつけるためだけにそこに敷かれ、名前も存在も認識されない。
私は敷かれたまま、三人分の泥を抱えて……。
ぁあ、あ……ああ……はァ……。
あ……ありがとうございます!!!!
ひどく興奮していた。




