最初で最後のドライブ(寅三・勇真)
ヒロ君も子供のころはあんなに可愛かったのに。どうして人は、大人になると余計なものを抱え込んで、馬鹿になってしまうのだろうねぇ。そう言う私もそんな馬鹿な大人のひとりだけれども。
私は、私の膝を枕に眠っている勇真の顔を見下ろした。
呼吸は安定している。顔色も悪くない。もう大丈夫だろう。なにしろ私の血を飲ませたのだから、回復しない訳が無い。
「さて、と……」
と、つい声が出てしまう。何かするたびに、無意識に掛け声をかけてしまう。さてと。ええっと。よいしょ。どっこいしょ。せーの。
肉体は若く元気で掛け声などなくともスムーズに動くはずなのに、擦り減って草臥れて色褪せた心が、行動の前に小さな決意を必要としている。まったく。生きることはしんどい。
勇真のズボンの尻ポケットからスマホを抜く。ダメだよユウ君、こんなところに入れてるとうっかり壊してしまうよ。街中を歩いていて掏られたらどうするのかね? 危機管理がなっていないねぇ。誰に似たんだか。
ふ~ん、ユウ君はAndroid派なんだねぇ。なるほど、当然ロックぐらいはしてるよね。いい子だ。この機種の指紋認証は……ああ、ここだね。
勇真の右手を持ち上げて、見つけた箇所に親指を押し当てる。
ロックが解除された。オッケー、いいね。思わずにまりと笑ってしまう。ユウ君は単純で分かりやすくていい。
用が済んだ右手をそっと下ろすと、画面右下の四角いマークをタップして、待機中のアプリを表示する。
時刻表……地図……ブラウザは……諏訪湖周辺の検索……予約してるホテル……レンタカーのアプリ……いいねぇ。ログインしたままだねぇ、いい子だねぇ。
最近は、なんでもアプリで完結して便利だ。
偽造免許証を撮影して、レンタカーの運転者を追加する。
支払いは現金にするつもりだったんだね。クレジットや電子マネーは信用しない現金派なのかな? まさかカードが作れないわけじゃないだろうねぇ。そんな信用がない子に育てた覚えはないよ。いや、私が育てたわけじゃないけれど。
利用期間を念のため一週間ほど延長して、神護家の法人クレジットカードで支払いを済ませた。一週間で返却できればいいけれど。正直このあと何が起こって、どうなるか何ひとつ分からない。夏樹なら知っているのかもしれないけれど、残念ながらあの子が細かな予言や具体的な予言をすることはない。
確認のためのメールで承認し、準備完了。スマホを勇真のポケットに戻した。
***
「ユウ君、ユウ君。起きたまえよ」
体を揺すると、勇真は目を開けた。
「もうじき駅に着くよ」
ぼんやりとこちらを見たあと、慌てて体を起こした。
「誰だ……」
不快そうに眉を寄せ、私を睨みつけてくる。
私が曾祖叔父の寅三だと名乗っても、勇真は警戒を緩めない。いいね。そうだよ。簡単に人を信じちゃいけない。でも、キミにそういう顔をされるのが、私はちょっと悲しいよ。五歳の時のキミは、「とらおじちゃん」って私のことを呼んで、ちゃんと懐いてくれていたんだよ。忘れてしまっているだろうけれど。そう、あの頃のキミの記憶を消したのは私だ。
「そんなに睨まないでくれたまえ。博貴がキミを殺そうとしていたから、私が助けてあげたんだ。感謝と信頼を寄せてくれてかまわないんだよ?」
そうだよね。そう言われて、はいそうですか、信頼します、とは思えないって顔をしているね。実にわかりやすい。キミは分かりやすすぎるよ、ユウ君。
電車が上諏訪駅に到着し、通路側に座っていた私は先に立って出口へ向かう。
荷物を持った勇真があとからついてくる。
途中乗車(駅ではない)なので、きっぷを失くしたと説明して、一駅分の料金を支払う。
改札を出た時には勇真の姿はなかった。
行き先は、分かっている。
レンタカーの営業所へ行き、車の前で勇真を待つ。
私を発見したユウ君は、いかにも嫌そうな顔をしたけれど、鍵を開けたのでそのまま運転席に乗り込んだ。
車は一度も運転したことがない。一応オートマの動かし方と、現代の交通法規はざっと頭に入れてある。血種の運動能力でなんとかなるだろうと信じてはいるが、ここは慎重に運転する。車が動き出した途端、わくわくする。これはいいな! 運転は楽しい。こんな金属の塊が、自分の操作にしたがってスムーズに動くというのが、ガジェット好きにはたまらない。
穏やかに晴れ渡った秋空の下、車を転がす。窓を開けて入って来る風が心地よい。
諏訪大社を巡る。
四社全部は時間がかかりそうなので、上社本宮へ行く。
たくさんの店が並ぶ賑やかな参道を進み、大鳥居をくぐる。温泉が流れる手水舎で手をすすぎ、一之御柱を仰ぎ見てから、幣拝殿まで歩く。
神に祈るような存在ではない私は、そのまま何もせずに立っていたけれども、ユウ君は何やら一生懸命祈っている。悪霊退散でも祈ってるのかもしれないねぇ。
本宮を出ると、諏訪湖をぐるりと半周して、下社春宮と秋宮へ行く。こちらでもユウ君は何かを祈っていた。キミの祈りが叶うといいなと、私も思うよ。でも、キミの神は残念ながら建御名方でも八坂刀売でも八重事代主でもない。
社めぐりのあとは、蕎麦屋に入った。
蕎麦屋に入るのは久しぶりだよ。嬉しいねぇ。
わりと近くに住んでいるとはいえ、観光なんてできないから。今日はキミと一緒にドライブできて、私はとても嬉しかったよ。いい思い出だ。このあと何年生きることになるかは知らないけれど。一生の思い出のうちのひとつにはなると思う。
さて。
じゃあ、行くとするかい?
これからキミの運命を大きく変えるであろうあの屋敷に。
神護家の人間の運命を狂わせてきたあの男の元へ。
信じてはもらえないかもしれないけれど、本当は、キミを連れて行きたくないという気持ちもあるんだよ。今まで何も知らずに生きてきたキミには、このまま何も知らずに、ただのあたりまえの人間として生きていて欲しいという思いもあるんだよ。
でもね、残念ながら忌王がそれを許さない、博貴がそれを許さない。そして尸皇がそれを許さない。
ごめんよユウ君。
館は森に囲まれ、今日も乾いた血の色をして陰鬱に佇んでいる。
さあ、ここが私たちのいるべき場所なのだ。神護家の運命からは、キミも逃れられない。
私は、勇真に微笑む。
「ようこそ、われら尸族の館へ。今日から、ここがキミの家だよ」




