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旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第六章 自治都市ボーダー編

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74、食欲と百均のサコッシュ




「さて、と。時間はたっぷりあるし、早速マタさんおすすめの南の魚市場へ向かいましょうか」


 わたしが元気に宣言すると、背後から亡霊のような声が返ってきた。


「ちょっと待ちなさい……。ここ北区よ。南の魚市場って、この無駄にだだっ広い街を端から端まで縦断しろって言うの……」


 王都からの過酷な乗馬と、ボーダーの複雑怪奇な迷路によって両足の限界を迎えているアリアさんが、壁に手をついて崩れ落ちそうになっていた。

 獣人のベルロウさんも、尻尾をだらりと下げて呼吸を荒くしている。ノッピーニオさんに至っては、もはや自我をどこかの異空間へ飛ばして、肉体だけが惰性で直立している状態だ。


「大丈夫ですよ。ほら、そこを流れている水路を見てください」


 わたしは街を縦横に走る堀を指差した。

 碁盤の目状に整備されたこの街では、道と並行して水路が張り巡らされており、荷物や人を乗せた小型の船が頻繁に行き交っている。いわゆる水上タクシーというやつだ。


「あれに乗りましょう。歩かなくて済みますよ」


「……それなら、許す」


 アリアさんは深く安堵の息を吐き出し、わたしたちは近くの船着き場から水上タクシーに乗り込んだ。


 船は滑るように水面を進んでいく。両岸に立ち並ぶ石造りの倉庫群や、立派な商館の風景を眺めながらの移動は、思いのほか快適だった。


 隣に座る統は、水路の構造や水流を制御する魔道具の配置を無言で観察し、完全に一人で知的探求の世界へ没入している。弟というより、視察に来た都市工学の専門家だ。


 三十分ほど船に揺られ、南区の船着き場に到着したとき、わたしの鼻腔は強烈な潮の香りと、魚特有の生臭くも芳醇な匂いを捉えた。


「着いたわね。さあ、命の洗濯の時間よ」


 船を降りたわたしたちの目の前には、巨大な木造のアーケードに覆われた大規模な魚市場が広がっていた。

 ダイスロープの市場が海上封鎖の影響で完全なシャッター通りと化していたのとは対照的に、ボーダーの魚市場は、生命力という言葉を煮詰めたようなすさまじい活気に満ち溢れていた。


「イワーシや、イワシ。手て噛むイワシや! ボーダーの浜で採れたてのホヤホヤ。刺身でどーですかー」


「はいはい、そこの別嬪さん、タコいらんかータコ。ほーら、この通りイケイケで吸盤が張り付くよ!」


 威勢の良い売り声が交差する中、氷を敷き詰めた木箱の上には、ありとあらゆる種類の海産物が乱舞している。巨大な赤い魚、透き通るようなイカ、そして子供の腕ほどもある太いエビ。

ダイスロープでの飢餓状態に近い芋コロッケ生活を経験したわたしの脳内で、ある種のスイッチが完全に切り替わった。


「……買う」


 わたしは呟いた。


「この目に映るすべての美味なるものを、手当たり次第に買い占める」


「おい、待て。いくらなんでも……」


 アリアさんが制止しようとするのも聞かず、わたしは財布代わりの重い革袋を握りしめ、獲物を狙う鷹のような目で市場の奥へと突撃した。


「おじさん、このヒラメ、箱ごと頂戴!」

「あいよ!」

「そっちのエビも、その籠に入ってる分全部ね!」

「おっしゃ!」

「なんだかわからないけど、そのトゲトゲの蟹みたいなのも三匹ほど包んでちょうだい!」

「おいよ! スベスベの蟹もオマケに持ってけ」


 金貨を惜しげもなく放り出し、次々と新鮮な魚介類を買い漁っていく。


 市場の店主たちは、最初はただの冷やかしの子供だと思っていたようだが、わたしが次々と硬貨を支払うのを見て、一転して上客を扱う揉み手状態になった。


「まいどあり! でもお嬢ちゃん、こんなに大量の魚、どうやって持って帰るんだい? 荷車でも呼ぶか?」


「大丈夫よ。このままもらって帰るから」


 わたしは肩から下げた百均のサコッシュの口を開き、買ったばかりの木箱入りの魚を、次々とその小さな布袋の中へ押し込んでいった。


 物理法則を無視して、巨大な木箱が次々と布製のサコッシュの中へ吸い込まれて消えていく。


 もうサコッシュがなくても次元収納は使えそうなんだけど、このスタイルが定着しちゃったのよね。

 生き物も仕舞える次元収納は、活魚を美味しく保存するには宇宙で最も適した完全無欠のクーラーボックスなのである。


「な……なんだその袋は……噂に聞くアイテムバッグかい?」


 魚屋のおじさんが、目を丸くして後ずさりした。


「さあ、次行くわよ! 貝類も攻めないと!」


 わたしがさらに奥の店舗へ向かおうとした時、首根っこを強い力で引っ張られた。


「いい加減にしなさい、この歩く大食漢!」


 アリアさんだった。彼女の顔には、疲労を通り越した純粋な怒りが浮かんでいる。


「あんたねえ、市場の魚を根こそぎバッグに放り込む子供なんて、目立つに決まってるでしょ! 周囲を見てみなさいよ!」


 言われて周りを見渡すと、買い物客や店主たちが、まるで奇術師のショーを見るような目でわたしたちを遠巻きに観察していた。

 ヒソヒソと「あの袋、高位の魔道具に違いない」「いや、あの娘が空間魔法の達人なのかもしれない」と噂する声が聞こえてくる。


「……あ」


 わたしは我に返った。

 フィーネの悲劇を思い出し、マタの工房でカッターを見せるのを思いとどまったばかりだというのに、魚の魅力に負けて堂々とチート能力を披露してしまっていた。人間の欲望というものは、かくも簡単に理性を凌駕してしまうのだ。


「ご、ごめんなさい。ついテンションが上がってしまって」


 わたしはサコッシュを胸に抱きしめ、小さくなって謝罪した。


「まったく……。これ以上変な目立ち方をする前に、さっさと食事にして宿に向かうわよ。わたしはもう、座らないと死ぬ」


 アリアさんの指示に従い、わたしたちは市場のすぐ隣に併設されている、海鮮料理を専門に出す大型の食堂へと逃げ込んだ。

 木造の広々とした店内は、市場の労働者や買い出しの商人たちで満席に近い状態だったが、運良く一番奥の広いテーブルが空いていた。


 わたしたちは席につくなり、看板メニューである「特上海鮮丼」を人数分注文した。


 運ばれてきた丼は、ダイスロープの女将さんが作ってくれた愛情たっぷりのそれとはまた違う、完全なる「プロの仕事」だった。

 計算され尽くした刺身の配置、芸術的な薄造り、そして宝石のように輝くイクラの乗せ方。酢飯の香りも絶妙だ。


「いただきます」


 わたしは両手を合わせ、木のスプーンでたっぷりと海の幸をすくい上げ、口の中へ放り込んだ。


 魚の脂が舌の上で溶け、濃厚な旨味が脳髄を直撃する。

 美味しい。言葉にするのも野暮なくらいに美味しい。


 わたしは完全に言葉を失い、ひたすら丼と向き合うマシーンと化した。


 隣では、疲労困憊だったアリアさんたちも、一口食べた瞬間に顔色を明るくし、無言で海鮮を胃袋へ流し込んでいる。美味しい食事は、どんな回復魔法よりも確実に冒険者の心と体を癒やすのだ。


 ただし、向かいの席に座る統だけは例外だった。彼は魚の切り身を一枚ずつつまみ上げ、その繊維の構造でも観察するかのような目で眺めてから、義務的な作業として口に運んでいる。この男に味覚というものが存在するのか、わたしは時々本気で疑わしくなる。


「ぷはあ……食った。生き返ったわ」


 アリアさんが空になった丼を置き、満足げに腹をさすった。

 わたしも最後の一粒のイクラを大切に味わい、至福のため息を漏らした。この世界に来てから色々な目に遭ったが、この海鮮丼を食べるためだけでも、転生した意味があったと断言できる。


「すばらしい食べっぷりだ。実に、実に素晴らしい」


 不意に、テーブルの横から芝居がかった男の声が聞こえた。




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