54、クリア後の世界
【2026/5月改訂】
お祭りのあとの街には、独特の静けさがある。
騒ぎが終わったあとにだけ降りてくる、妙に澄んだ空気だ。寂しいような、でもやっと息ができるような、あの感じ。
テンペタ・フロップスをひっくり返した一件から、数日が過ぎた。
街の空気は、目に見えないのに、はっきり軽くなっていた。
裏路地にあった変な緊張が消えた。市場にはちゃんと笑い声が戻って、子どもが走る音がする。もちろん、全部が一晩で綺麗になったわけじゃない。けど、膿んでた場所に刃が入ったのは確かだった。
ロンリコ男爵とその一味。バウンス商会の幹部。セシール修道院の院長と、そこにぶら下がっていた連中。まとめて拘束されて、商会の資産も差し押さえと整理が始まっているらしい。被害を受けた人たちへの補填も、侯爵府が順に進めていくらしい。
街はようやく、まともに呼吸し直しているところだった。
わたしたちは、ブンザさんの手配で宿を移っていた。
白の風車亭はいい宿だったけど、あそこにこれ以上長居するのは、さすがに目立ちすぎる。
新しい宿は街はずれにある小さな宿で、窓の外に見えるのは賑やかな広場じゃなくて、静かな石畳と低い屋根ばかりだった。
「……平和だねぇ」
窓枠に肘をついて外を眺めていると、部屋の隅で荷をまとめていた統が、振り向きもせずに返した。
「平和ボケするにはまだ早い」
「ボケてないよ。しみじみしてるだけ」
「同じだ」
失礼な弟である。
でも、しばらくそうして街を見ていたら、どうしても引っかかっていたことがまた浮かんできた。わたしは窓辺から離れて、荷造り中の統を見た。
「ねえ、統」
「なんだ」
「あの夜、侯爵が来たタイミング、良すぎなかった?」
言うと、統の手がぴたりと止まった。
あれはどう考えても、偶然にしてはできすぎていた。地下の証拠も、兵の踏み込みも、ぜんぶぴたりとはまりすぎていた。
統は少しだけ黙ってから、小さく息をついた。
「前夜に、ひと押しはしておいた」
「ひと押し?」
「侯爵側も、もともと男爵と商会の動きは怪しんでいた。そこへ、確証に近い情報を流しただけだ」
「……寝室に忍び込んで?」
「まあな」
「やっぱりやってるじゃん!」
思わず声が裏返った。
こいつ、ほんとにそういうところだぞ。
「でもよく信じたね」
「上位者としての力を少し解放した」
統は悪びれもせず、荷を包み直す。
「最短だった」
「最短だった、じゃないのよ」
「結果として、被害は最小限で済んだ」
「それはそうだけどさあ……」
文句を言いながらも、最後まで言い切れない。
こいつがそうやって裏で動いていたから、最悪の形を避けられたのも事実だった。
「……まあ、助かったのは助かったけど」
「ならいい」
「よくない。心臓に悪い」
統はそこでようやくこっちを見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「お前の心臓は、一つや二つ驚いたところで止まらんだろう」
「そういう意味じゃないんだよなあ」
深いため息をつく。
でも、こうして軽口を叩けるくらいには、もう終わったのだと思うと、少しだけ胸が軽くなった。
「出る準備はできているな」
「うん。いつでも」
わたしたちは宿を出て、街の外れへ向かった。
救出された子どもたちと職人たちは、いま一時的に、侯爵府の管理下で空き倉庫を改装した保護施設に移されている。
立派な建物じゃない。
でも、少なくとも鍵をかけられる側じゃなく、自分たちで扉を開けられる場所だ。
中へ入ると、誰かがすぐに気づいて声を上げた。
「来たぞ!」
そのひと言で空気がぱっと変わる。
あちこちから顔が上がって、何人もの目が一斉にこっちを向いた。前よりずっと、みんなの顔色がいい。
その中を、カコちゃんが駆けてくる。
「お姉ちゃん!」
勢いのまま抱きついてくる体を受け止める。
前より軽くない。ちゃんと食べてるんだろうな、と思って、ちょっと安心した。
「元気そうじゃん」
「うん。めっちゃ忙しいけどな」
そう言って笑う顔が、前よりずっと年相応だった。
カコちゃんはここに残ると決めた。
年下の子たちの面倒を見たり、職人さんたちのところへ飯を運んだり、できることを片っ端から引き受けているらしい。
「うちがやらんと、落ち着かへんのよ」
肩をすくめるその仕草が、もう少しだけ“姉ちゃん”だった。
「わたしたち、明日この街を出るよ」
そう言うと、カコちゃんは一瞬だけ目を伏せた。
でも、すぐに顔を上げて、ちゃんと笑った。
「そっか」
その笑い方に、寂しさがちゃんと混じっていた。
「……寂しなるなあ」
「一緒に来る?」
半分冗談で聞いてみる。
カコちゃんは困ったように笑って、首を横に振った。
「ううん。うちは、ここにおる」
「そっか」
「まだ、うちがおった方がええ子もおるし。……それに、ここ、好きになってきた」
それを聞いて、ああ、大丈夫だなと思った。
この子はもう、“逃げるしかなかった子”じゃない。自分で残る場所を選べるようになったんだ。
「はい、これ」
わたしはサコッシュから小さな包みを取り出した。
「餞別。っていうか、お守り」
中には、髪留めと、統が作った小さな護身用の魔道具を入れてある。
カコちゃんはそれを両手で受け取って、しばらくじっと見ていた。
「……ありがとう」
声が少し掠れていた。
「大事にする。ほんまに」
「大事にしすぎて使わないのはナシね」
「わかっとる」
「危ないときはちゃんと使うこと。いい?」
「うん」
素直に頷く。
それだけで、ちょっと泣きそうになるから困る。
「お姉ちゃん」
「ん?」
「うち、今度はちゃんと生きるわ」
その言葉に、喉の奥が熱くなった。
わたしは笑って、カコちゃんの頭を軽く撫でた。
「うん。そうして」
ブンザさんにも挨拶した。
商会の立て直しというより、まずは被害を受けた職人たちの受け皿作りに回るつもりらしい。
「商売というのは、結局、人がいなければ成り立ちませんからな」
いつもの穏やかな口調だったけど、前よりずっと芯があった。
チナちゃんは、今度はちゃんと笑った顔で手を振ってくれた。
「お姉さん、また会える?」
「会えるよ」
わたしはしゃがんで目線を合わせる。
「こういうのって、忘れた頃にまた会うんだよ。物語のお約束だから」
チナちゃんは、意味がわかったようなわからないような顔で、それでも嬉しそうに頷いた。
保護施設を出たあと、わたしは統の袖を軽く引いた。
「最後に、もう一箇所だけ寄りたい」
「時計塔か」
「うん」
統は何も言わず、そのまま歩幅を合わせた。
広場へ出る。
あの夜、街じゅうを光で満たした時計塔は、今日は何事もなかったみたいな顔で立っていた。大きな文字盤が、淡々と時を刻んでいる。
統が封をし直したから、もう誰も中には入れない。
タカシくんの遺したものは、また静かに眠っている。
わたしはサコッシュから携帯ゲーム機を取り出した。
電源を入れる。
いつもの画面が出るかと思ったら、黒い背景に、小さなドット絵が浮かんだ。
笑っている少年。
そのまわりに、仲間らしい小さな人影。
そして画面の隅に、短い文字がひとつだけ出る。
『THANK YOU』
たったそれだけだった。
ノイズ混じりで、少し揺れていて、永遠に残る感じでもない。だからこそ、変に作り物っぽくなくて、胸にきた。
「……クリアしたよ、タカシくん」
画面に向かって、小さく言う。
「そっちが思ってたのと同じ終わり方じゃないかもしれないけど。でも、ちゃんと届いた」
少し黙る。
「君の空、すごく綺麗だった」
風が吹いて、髪が揺れた。
時計塔は何も答えない。
でも、それで十分だった。
「行くぞ」
統の声に、わたしは頷く。
「うん」
ゲーム機の電源を切って、サコッシュへ戻した。
これはわたしが持っていく。タカシくんの冒険の証であり、こっちの世界で確かに生きた誰かの残り火として。
わたしたちはそのまま西門へ向かった。
「次はどこ?」
「南西だ。港町があるらしい」
「海かあ」
思わず顔が上がる。
「いいね。海鮮丼あるかな」
「酢飯が存在する保証はない」
「そこ大事なんだよ」
門をくぐる。
街道へ出る。
振り返ると、時計塔の影が夕闇の中へゆっくり沈みかけていた。
短い滞在だった。
でも、ずいぶん長くいた気もする。
悪党を引きずり下ろして、子どもたちを助けて、空をひっくり返して。
だいぶ濃かった。
それでも、街はわたしたちがいなくなっても続いていく。
カコちゃんたちの生活も、ここから先の方がずっと長い。
それが少し寂しくて、でも嬉しかった。
「ねえ、統」
「なんだ」
「わたし、この世界に来てよかったかも」
統がちらりとこっちを見る。
「……死んだくせに、現金なやつだ」
「死んで生まれ変わったからこそ、わかることもあるんですー」
「妙なところで前向きだな」
「長所って言って」
言い返して、少し笑う。
胸の奥で、あの深い心臓が、とくんと鳴った。
不安が消えたわけじゃない。先のことなんて何ひとつわからない。
でも、足はちゃんと前へ出る。
隣には、生意気で手のかかるくせに妙に頼れる保護者がいる。
ポケットの中には、タカシくんのゲーム機と、ちょっとした勇気もある。
だったらまあ、なんとかなる気がした。
「行こう」
わたしは前を向いた。
道はまだ続いている。
どこまで行くのかは知らない。
でも、終わりじゃないことだけは、もうわかっていた。
以降、順次修正します。




