38、森の隠居所と、夜明けの別れ
【2026/5月改訂】
森の空き地に、何の前触れもなく家が現れた。
しかも、けっこう立派な二階建てだ。
無から生えた、としか言いようがない。
さっきまで何もなかった場所に、どしんとログハウスが建っている。
見慣れてきた気もしてたけど、やっぱり毎回おかしい。
いつものより、ひと回りどころじゃなく大きい。
統、こんなのまで持ってたんだ。
アリアさんたちはそろって固まっていた。
口を開けたまま、しばらく誰も何も言わない。
「……な、何だい、これは」
やっとアリアさんが声を出した。
「家だ」
統が即答する。
いや、そこはみんな分かってる。
「家なのは見れば分かるよ! なんでこんなものが急に出てくるんだい!」
「ただの次元収納だ」
「そういう話じゃない!」
うん、それはそう。
でも、統にそこを説明させようとしても、たぶん無理だ。
なので、わたしはちょっとだけ先輩ぶることにした。
「アリアさん。考えすぎると迷う。そういうやつです」
「ドレミちゃん……あんた、だいぶ慣れたんだね……」
慣れたというか、諦めたというか。
異世界で生きるには、納得より先に飲み込む力がいる。
中に入ると、そこはもう普通に住める家だった。
暖炉には火が入っているし、ソファもあるし、テーブルも広い。
何度見ても思うけど、これを“道具”扱いしてる統の感覚がおかしい。
わたしたちはテーブルを囲んで、オーミで手に入れたものを広げた。
帳簿、書き付け、受領書、押収品。どれも重い。
「……これが、全部かい」
アリアさんが帳簿の山を見て息を呑む。
「全部ではないが、致命傷を与えるには十分だろう」
統は淡々と言って、書類の束をアリアさんの前に置いた。
代官所とエチゴヤの裏帳簿。
人の売買の記録。
賄賂の受領書。
紙なのに、机の上の空気まで重くなる。
「よくまあ、これだけ一晩で集めたもんだ」
長身の男が低くうなる。
「警備が甘かった」
統がそう言ったので、思わず横目で見た。
嘘でしょ。
警備、全然甘くなかった。
ただ、侵入した側がおかしかっただけだ。
「アリア。これはお前に託す」
統が言う。
「使い方は任せる。正義のために使うもよし、脅しに使うもよしだ」
「……いいのかい? これだけあれば、街どころか国まで揺らせるかもしれない」
「興味がない」
ばっさりだった。
でも、そのあとで統の声が少しだけ低くなる。
「ただし、やるなら徹底的にやれ。半端に残せば禍根になる。相手は権力者と商人だ。息の根を止めるか、二度と立てないようにするか、どちらかを選べ」
アリアさんの顔つきが変わった。
軽口の混じる冒険者の顔じゃない。獲物を見据える人の目だった。
「わかった。……こっちだって、仲間を殺されて黙ってるほど甘くない。落とし前はきっちりつけるよ」
その言葉で、少しだけ胸のつかえが下りた。
次に、統は別の包みを取り出した。
「ゲルト」
呼ばれて、ソファの端に座っていたゲルトさんが顔を上げる。
「これは、お前の仲間の遺品だ」
部屋の空気が変わった。
ゲルトさんは震える左手で包みを受け取る。
中に入っていたのは、ローデリヒさんの上着と、ディルクさんの工具袋だった。
使い込まれた革の匂い。
かすかに残った血の匂い。
「……あいつらの……」
ゲルトさんはそれを胸に抱いた。
壊れやすいものを抱えるみたいに、ぎゅっと。
「すまない……俺だけが……」
嗚咽がこぼれる。
何も言えなかった。
ここでかける言葉なんて、たぶん何を選んでも薄い。
統も黙っていた。
冷たいんじゃなくて、たぶん、口を出さないのが礼儀なんだと思う。
しばらくして、ゲルトさんが顔を上げた。
目は真っ赤だったけど、泣く前よりまっすぐな顔をしていた。
「……ありがとう。これがあれば、あいつらが消えた気がしない」
「そうか」
統は短く返す。
「ゲルト。お前はどうする。怪我が治るまで、私たちと来るか」
ちょっと驚いた。
統の方から、こういうふうに言うのは珍しい。
ゲルトさんは少しだけ目を伏せて、それから首を横に振った。
「いや……誘いは嬉しい。だが、俺は残る」
「残って、どうする」
「見届ける」
ゲルトさんの視線が、アリアさんの前の書類に向く。
「あいつらがどう裁かれるのか。この街がどう変わるのか。それを見たい。生き残った俺が、そこから逃げるわけにはいかん」
その言い方は、復讐というより弔いに近かった。
「それに」
彼は空になった右袖へ目を落とした。
「今の俺じゃ、足を引っぱる」
「足手まといにはならん」
統が即座に言う。
「だが、意志は固いようだな」
無理には引き留めなかった。
「ただし、街には戻れん。お前は死んだことになっている。顔を出せば、また狙われる」
「ああ。だから森で暮らす。もともと、そういう生き方はできる」
「なら、餞別だ」
統が立ち上がって、窓の外を指した。
「森の奥に、別の家を用意する」
「……は?」
ゲルトさんが固まった。
わかる。
わたしも最初はそうだった。
「今夜使うここよりは小さいが、一人で住むには十分だろう。生活に必要な道具も入れておく。結界も張る」
「い、いや……そこまでしてもらう理由が……」
「受け取れ。私の気まぐれだ」
家を一軒、気まぐれで渡すな。
そう思ったけど、口には出さなかった。
「……すまない。恩に着る」
ゲルトさんは深く頭を下げた。
その肩が、少し震えていた。
翌朝、空が白み始めるころ、アリアさんたちは出発した。
「じゃあね、ドレミちゃん、スバルくん。またどこかで」
アリアさんはいつもの調子で手を振る。
でも鞄の中には、この街をひっくり返せるだけの火種が入っている。
「気をつけて、アリアさん」
「あんたたちこそね。……まあ、そっちは大丈夫そうだけどさ」
ベルロウさんも、長身の男も、小さく手を上げた。
三人の背中が朝霧に溶けていく。
たぶん、あの人たちはやる。
オーミの街に、ちゃんと落とし前をつける。
……結局、長身の人の名前、聞きそびれたな。
そのあと、統は言った通り、森のさらに奥にもう一軒のログハウスを置いた。
“もう一軒”って表現もだいぶおかしいけど、もう突っ込まない。
今度のは少し小さい。
とはいえ、一人で暮らすには十分すぎる。
家具もあるし、生活道具も揃っているし、たぶんわたしが住んでも普通に快適だ。
「……夢みたいだな」
家の中を見回して、ゲルトさんがぽつりと言った。
「食料も当分困らんようにしてある。近くに川もある。好きに使え」
「ああ……本当に、何と言えばいいか……」
「礼はいらん。達者でな」
統はそっけない。
でも、こういうところで長く言わないのが統なんだろう。
わたしはゲルトさんの前に立った。
「ゲルトさん」
「ドレミ」
「無理するなです」
うまい言葉は出てこなかった。
でも、それでいい気がした。
「寂しくなったら、いつでも呼ぶがいいです。……聞こえないかもだけど、心の中で返事するから」
ゲルトさんがふっと笑った。
「ああ。そうさせてもらう」
残った左手が、わたしの頭をくしゃっと撫でる。
大きくて、あったかい手だった。
「ありがとう、ドレミ。お前が生きていてくれて、本当によかった」
「わたしも。ゲルトさんが生きてて、よかったです」
それだけで十分だった。
統が隠蔽の術をかけると、ログハウスは森の景色に溶けた。
見ようとしない限り、たぶん誰も気づかない。
「行くぞ」
統が言う。
振り返ると、もうただの森にしか見えなかった。
でも、あそこにゲルトさんがいる。
そう思うと、少しだけ胸の奥があたたかくなる。
「うん」
わたしは頷いて、前を向いた。
朝の光が木々の隙間から差してくる。
新しい一日だった。
別れたばかりの気持ちは、まだ少しだけ胸に残っている。
でも、それごと持って進けばいいんだと思った。
サコッシュの中には物資がある。
胸の中には、置いてきた人たちのことが少しある。
隣には、相変わらず生意気で、規格外で、たぶんちゃんと保護者をやる気のあるやつがいる。
だから、まだ行ける。




