30、並んで歩く
行こう。
夜のうちに。
統と、二人で。
そう決めてから、しばらくするとゲルトさんが眠った。
浅いが規則的な寝息だ。
あのファイトな一発!効きすぎじゃない? さすがは文明の力。っと思っておこう。ちょっと気になることがいろいろあるけど、統に聞いても、今は教えてくれなさそう。
まぁ必要ならきっとあとで話してはくれると思う。
小屋の外に出る前に、わたしは一度だけ足を止めた。
布の仕切りの向こうから、規則正しい呼吸音が聞こえてくる。
ゲルトさんの呼吸だ。
さっきより、少しだけ深くなってる。
それだけで、胸の奥がほんの少し緩んだ。
布をそっとめくると、焚き火の明かりが届かない暗がりで、ゲルトさんが目を開けていた。
起き上がろうとはしていない。
でも、眠ってもいない。
──待っていた目。
「……行くんだな」
声は低くて、少しかすれてる。
それでも、はっきりしていた。
わたしは一瞬、言葉に詰まった。
引き止められるかもしれない。
危ないって言われるかもしれない。
子どもだ、って言われるかもしれない。
だから、先に言った。
「……うん」
それだけ。
理由も、覚悟も、説明しなかった。
説明したら、戻れなくなりそうだったから。
ゲルトさんは、少しだけ目を伏せる。
「……そうか」
否定もしないし、肯定もしない。
それだけで、十分だった。
でも、わたしの方が口を開いた。
「ごめんです……本当は、朝まで待つべきは、わかってる」
「わかってる顔じゃないな」
即答だった。
声に、ほんの少しだけ苦笑が混じる。
「……似てる」
「え?」
「フィーネに、だ」
胸が、きゅっと締まった。
「止まるべき時に、止まれないところがな」
焚き火の向こうで、木が小さく爆ぜる。
「……俺は、行くなとは言わん」
ゲルトさんは、ゆっくり言った。
「止める立場でもないし……止めたところで、お前は行くだろう」
図星だった。
「ただ……無事で帰れ」
それは命令でも祈りでもなくて、
“条件”みたいに、静かに置かれた言葉だった。
わたしは、深く頷いた。
「うん。帰る」
言い切ると、胸の奥の“深い心臓”が、静かに鳴った。
ゲルトさんは、その音を聞いたわけでもないのに、じっとわたしを見る。
「……もう、守られるだけの子どもじゃないんだな」
その言葉に、少し怖くなった。
でも同時に、ちゃんと“見送ってもらえた”気もした。
布を下ろして、小屋を出る。
焚き火のそばで、統が待っていた。
何も聞かない。
何も言わない。
それが、もう答えだった。
アリアさんたちは、少し離れた暗がりで作戦を詰めている。
笑い声と、低い声が混じって聞こえる。
ここから先は、別の道。
わたしは一度だけ、振り返った。
小屋の奥。
闇の中。
「……行ってくるね」
誰に向けたわけでもなく、そう言って、統の隣に並んだ。
夜の森が、口を開ける。
(行くんだ)
逃げるためじゃない。
知るためでもない。
──取り戻すために。
わたしたちは、音もなく闇の中へ踏み出した。
焚き火のそばには、もう誰もいない。
火は小さくなって、赤い芯だけが残っている。
夜の空気はひんやりしていて、昼とは別の森の匂いがした。
湿った土、葉、遠くの獣の気配。
しばらく、並んで立ったまま、何も言わなかった。
統が焚き火を一瞥してから、口を開く。
「……行くか」
質問でも命令でもない。
ただの確認。
わたしは少しだけ間を置いた。
「……うん」
声は、思ったより落ち着いていた。
「怖くないのか」
統は、こちらを見ずに言う。
正直に答える。
「……怖いよ」
「でもね、怖いのに、止まれない感じもする」
統は何も言わなかった。
その沈黙が、否定じゃないことだけは分かる。
「……統は?」
「怖くはない」
やっぱり即答。
まあ、そうだろうなと思う。
「でも」
珍しく、言葉が続いた。
「お前が、どこまで見えるようになるのかは……少し、気にしている」
「それって……」
「良いことでも、悪いことでもない」
統は、ようやくこちらを見る。
「変化だ」
わたしは少し笑った。
「そっか。じゃあさ……見えすぎたら、止めてね」
「止める」
「即答だね」
「保護者だからな」
その言葉に、胸の奥がじんわり温かくなる。
でも同時に思う。
(守られるだけじゃ、だめなんだよね)
深呼吸をひとつ。
「……統」
「なんだ」
「わたし、ちゃんと歩くから。引っ張ってもらうんじゃなくて」
統は一瞬だけ目を細めた。
「……分かっている」
そう言って、先に一歩踏み出す。
でも、歩幅はわたしに合わせてあった。
夜の森が、静かに口を開く。
わたしたちは並んで、その闇の中へ踏み込んだ。
胸の奥で、“深い心臓”が、確かに一度、強く脈を打った。




