28、生命の階層
焚き火の音が、外からかすかに届いていた。
ぱち、ぱち。木が爆ぜる音が、遠慮がちに夜へ溶けていく。
布で仕切られた小屋の奥は薄暗くて、焚き火の揺らぎが布越しに影を落としてる。
その影が、壁や床をゆらゆら這い回ってて、見てると落ち着くような、逆に落ち着かないような。
「私たち、明日以降の作戦を詰めるから向こうに行ってるわね。子どもたちは早く寝なさいよ」
アリアさんがいつもの軽い調子で言って、ベルロウさんたちを促した。
軽いけど、軽すぎない。
“ここから先は、あんたたちの話ね”っていう線引きの声だ。
布が揺れて、足音が遠ざかる。
この場所に残ったのは、わたしと統と、ゲルトさんだけ。
途端に、空気が重くなる。
焚き火の音自体は変わらないのに、さっきまでと違う。
音が「背景」じゃなくて、「沈黙を際立たせるもの」になっちゃった感じ。
ゲルトさんは布の上に横たわったまま、首だけ少し動かして統を見ていた。
目線は強いのに、身体は動かせない。
瀕死を越えて、まだ戻りきってない人の目。
さっき口にした一言が、ずっと胸に引っかかってる。
──「真祖様」。
あれ、ぜんぜん笑えないやつだった。
「……ゲルトさん」
思ったより小さい声になった。
夜に吸われるみたいに、すぐ消えそう。
「さっきの……その……」
続きを探してもたついてるうちに、統が先に口を開いた。
「七色。説明する」
短い言葉。
でもいつもより少し低くて、余計な飾りが削ぎ落とされてる。
統はわたしじゃなく、ゲルトさんを見た。
「先ほどの発言は誤認だ」
言い切り。
曖昧さゼロ。
ゲルトさんは目を見開いて、次の瞬間、力の抜けた笑みを浮かべた。
「……そうだな。そうだろう。だが……あの気配は……」
言葉が途中で切れた。
続けようとしても喉が拒否してるのがわかった。
理屈より先に、獣人の本能が反応した。
そういう“詰まり方”。
統は一歩も近づかないまま、淡々と続ける。
「お前が知っている“真祖”とは別物だ。この世界の系譜とも、血脈とも、関係がない」
「……では……なぜ……」
ゲルトさんの声はかすれて、弱々しい。
統はほんの一瞬だけ目を伏せた。
考えてるというより、言葉を選んでる感じ。
「近い“位置”にいるだけだ」
「位置……?」
疑問が、今度はわたしの口からこぼれた。
統はこっちを見る。
「生命の階層。存在の重さ。言葉にすれば、それくらいしか説明できん」
わたしは無意識に胸の奥へ手を当ててた。
あのとき感じた“安心”。
怖いのに、逃げたくならない。
巨大な山とか海の前に立ったときみたいな、圧倒される感じ。なのに、そこにちゃんと体温がある。
思い出しただけで、胸の奥がじんわり温かくなるのが、ちょっと悔しい。
「……じゃあ……ゲルトさんは……」
「本能で反応しただけだ」
統の声は静かだった。
「理性でも知識でもない。恐怖ですらない。“逆らえないと知っている感覚”に、言葉が引きずられただけだ」
ゲルトさんは目を閉じて、長く息を吐いた。
「……恥ずかしい話です」
「いや」
統が即座に否定する。
「正しい反応だ。生き延びてきた者ほど、そうなる」
その言葉、妙に重かった。
長く生きた人が、さらに長く生きた人を評してるみたいな響き。
「……やはりドレミも、この世界の“人”ではなかったんだな」
ゲルトさんが静かに続ける。
「国が違うだけでは説明がつかない。ディルクが、あそこまで興奮する“モノ”は……」
「ごめん……」
わたしは俯いた。
「アレのせいだよね……」
「何度も言うが、それは違う」
統の声が、少しだけ強くなる。
「七色のせいでは、絶対にない」
焚き火がぱちりと音を立てた。
その小さな音が、張りつめた空気にひびを入れる。
わたしは恐る恐る聞いた。
「……統は……真祖、じゃないんだよね?」
「ああ」
って即答。
「その呼び名は、こっちでは使うな。今後もだ」
「……うん」
胸の奥が少しだけ軽くなる。
でも、全部は晴れない。
「じゃあ……統は……なに?」
統は少し考えてから答えた。
「七色の保護者だ」
「え?」
思わず声が出た。
ゲルトさんが、かすかに笑う。
「……それは……確かに、そうだな」
統はそれ以上、何も言わなかった。
説明しないこと自体が答え、ってやつだ。ずるい。
ゲルトさんが、わたしを見る。
「ドレミ……さっきは……すまなかった」
「え?」
「余計なことを口にした。あれで、お前を危険に近づけたかもしれん」
わたしは首を振った。
「ううん……ありがとう」
「……何がだ?」
「……ちゃんと、守ろうとしてくれたから」
胸の奥で、“深い心臓”が静かに鳴った。
統はその様子を黙って見ていて、区切るみたいに言った。
「この件は、ここまでだ」
命令じゃない。
でも、終わりの合図。
ゲルトさんはゆっくり頷いた。
「……わかりました。この胸に、しまっておきます」
その言葉で、わたしもようやく深く息が吐けた。
「てか、なんで統には敬語なのさ!?」
つい口に出た。
答えはわかってる。たぶん。
でも言わずにいられなかった。
「いや、いい。わかってる。でも──統。お姉ちゃんはわたしだからね!」
「なんのこだわりかわからんが、まあいい」
「よっし。言質いただき!」
少しだけ空気がゆるむ。
「そういえばゲルトって何歳なの? まさか何百歳とか言わないよね」
「八歳だ」
「はぁーー!? 八歳!」
その顔、その体格で、八歳。
世界がバグってる。
「八歳の子どもが腕を無くすような大怪我を……ご両親、悲しむわね……」
「いや、狼人族の成人は五歳だから、十分独り立ちしている。ギルド登録時の公文書などは、但し書きに年齢掛ける三倍で記されている。メスど……いや、女性たちはそれを見てぎゃーぎゃー騒いでたりするが」
七千歳以上の十歳児、おっさん顔の八歳児……。
見た目とのギャップが一番少ないの、たぶんわたし。
うん。この世界、外見だけで判断するのはやめよう。
どこに地雷が埋まってるかわかったもんじゃない。




