23、カトラリーとアリアの刃
宿へ戻る頃には、村の空はすっかり夕闇に沈んでいた。
二つの太陽はとうに隠れ、長い黄昏がようやく終わる。
この世界、昼が妙に長い。
夕方も明け方も、どこか引き延ばされているみたいで、時間の感覚がまだうまく掴めない。
ウサギなら跳ね回って喜ぶ環境だよね。
わたしたち? 吸血鬼だけど日光に弱いわけじゃないから、別に困らない。
統に「なんで日光平気なの?」と聞いたら、
「知らん」
の一言で切り捨てられた。漂う七千年の雑さ。そこに説明責任という概念は存在しないらしい。
まあ、どっちにしても昼の長さはありがたい。
生き返った身で太陽の下をスキップできるなんて、人生なにがあるかわからない。
そんな脳天気なことを考えながら、横を歩く統を見下ろすと──
「なんだその締まりのない顔は。夕食の献立でも想像しているのか?」
すかさず、いつものトゲつきコメントが飛んでくる。
わたしは思わず頬を膨らませた。天使の笑みを向けていたはずなのに。ひどい。
宿のあたりにはもう、焼き魚とトマト煮込みのいい匂いが漂っていた。
香ばしい煙が夜気に混じり、空腹をぐいぐい刺激してくる。
海が近いのかな? そうだとしたら、いつか見に行ってみたい。
……フィーネたちの無事がわかったら、だけど。
「宿の前で百面相していると邪魔だぞ。顔芸なら部屋でひとりでやれ」
統はそう言って、わたしを置いてさっさと扉を開ける。
背中だけは妙に軽やかで、文句を言う気力がちょっと削がれた。
扉を開けた瞬間、出汁と焼き目の混ざった温かい香りが鼻をくすぐった。
外気とは違う、人の暮らしの温度。ざわめきと食器の音が、ほっとする背景になっている。
「あら、おかえり。すぐ食事できるけど、どうする?」
カウンターの向こうから、宿屋のおかみさんが笑顔で出迎えてくれる。
ぱっと見ただけで、ここで何年も働いてきたんだろうなって手つきだ。
「かたじけ──」
「ありがとうございます。お願いします」
早っや! わたしのにこやかな笑顔と返事は、統の即答に潰された。
そんなにお腹空いてたの?
さっきまで「夕食の献立を想像しているのか」とか言ってたのはどこのどなたでしょう。
食堂へ入ると、視線がいっせいにこちらへ吸い寄せられるのが分かった。
ちらちら、ひそひそ。声は小さいのに、空気の向きがこっちに傾く。
元の世界の街中や、学校の中で慣れた種類の視線なのに、どこか感触が違う。
統がわたしの袖を引いて席へ導く。
椅子に腰を下ろすのとほぼ同時に、湯気の立つ皿が次々と並べられた。
焼いた魚。
トマトと野菜の煮込み(ラタトゥイユっぽい)。
そして山盛りのパン。
……ん? カトラリーが、ない。
「ねぇ統。これってどうやって食べるの? カトラリーくださいって言う?」
とりあえず周りのテーブルをちらっと見回してみるけど、皆それぞれ好き勝手なスタイルで食べている。統は料理には目もくれず、いつもの平然とした顔で言った。
「いや、自分で用意しろってことなんだろうな」
そう言って、統は当たり前のようにナイフ・フォーク・スプーンの三点セットを取り出した。
その動きがあまりに自然すぎて、まるで手の中がが異空間に繋がってるみたいだ。実際それに近いんだけどね。
「ほら、これを使え」
「なんでも出てくるね。便利収納め」
「歴史が詰まっているからな」
「うわ、急にカッコつけた」
「なら使うな。返せ」
「使うわよ」
わたしはフォークを握りしめて宣言した。
手にした瞬間、少しだけ“いつもの世界”が戻ってきた気がする。
そのわたしの仕草を合図にしたみたいに、周囲の“チラチラ”が“ガン見”にランクアップした。
「なんか見られてるわよ……」
思わず声を潜めると、統はパンをちぎりながら小さく答える。
「子ども二人だけなのを心配している者が多い。それと服装に興味を持っている者。……あと、カトラリーだな」
「カトラリー?」
「ここでは手づかみが主流らしい。三点セットは珍しすぎる」
ああ、と納得する。
よく見れば、ナイフを丸呑みする勢いで雑に使ってる人とか、豪快に手づかみで魚を骨ごと攻略してる人とか、食べ方の自由度が高すぎる。
「いやよ、返さないわよ」
フォークをぎゅっと握る。これは文明の証なのだ。
「もう目立っているし、今さらだ。気にせず食え」
「うう……」
肩をすくめつつも、一口食べればもうそれどころではなくなった。
変な顔の焼き魚はほんのり塩気が効いていて、パリッとした皮の下はふわふわだった。
煮込みはほどよい酸味で、トマトの甘さと野菜の旨みが口の中でうまく混ざる。あつあつのパンを浸して食べると、もう幸せの暴力だ。
こっちの世界でも、美味しいものは美味しい。
美味しい食事は、少しだけ胸の重さを軽くしてくれる。
フィーネたちのことを考えると苦しくなる。喉の奥がきゅっと狭くなる。
それでも食べなきゃ進めないし、探しにも行けない。
そう自分に言い聞かせて、わたしはパンをちぎり、煮込みに浸して口に運んだ。
……うん。
がんばろう。
明日からのことを考えながら、わたしは静かに食べ進めた。
そのとき、背後から酒の匂いと、嫌な気配が近づいてくる。
あ、面倒そうなのが来ちゃった──そんな確信が、肌の上をひやっと撫でていった。
「よぉ、旅のガキども」
振り向くと、柄の悪そうな男が二人。
顔は赤く、足取りはふらついているのに、目だけは妙にギラギラしていた。
完全に酔ってる。しかも絡み方に妙な共通点がある、“厄介コンビ”だ。
「珍しいもの使ってるね。どっから来たんだ?」
「親はどうした? まさか二人だけか?」
軽口っぽい声色に見せかけて、目は完全に値踏み。
獲物の重さと値段を測る商人みたいな視線に、思わず背筋が冷える。
統が食事の手を止めた。
その横顔は、見慣れたはずなのに少し違う。何かを切り捨てる寸前の、冷たい静けさだった。
「何の用だ」
抑揚は淡々としているのに、空気が一瞬で冷えた。
さっきまでの食堂のざわめきから、色だけ抜け落ちたみたいだ。
七千年の存在感、おそろしい。
わたしはフォークを持つ手をわずかに引っ込めた。
「そんなに怒んなよ。ちょっと話したいだけだって」
「なぁ、嬢ちゃん?」
こちらに話を振られ、わたしは返す言葉に迷う。
男たちのねっとりした視線が気持ち悪くて、肌が粟立った。喉にさっきまでの美味しさが引っかかって、うまく声が出ない。
その時だった。
「お待たせ。──で、あんたらなんか用?」
軽い声とともに、するりとアリアが席に座った。
いつの間にか背後から回り込んでいたらしい。動きに無駄がない。
男たちを見つめる表情は笑っているけど、目の奥はぜんっぜん笑っていない。
そこだけが刃物みたいに細く冷えている。
「アリア……」
思わず名前を呼ぶ。
朝立ち話した時の“頼りになりそうなお姉さん”の顔じゃない。完全に“上級冒険者の顔”だ。
アリアは男たちを顎でくいっと示しながら言った。
「ここ、食堂だよ? 騒ぎ起こすなら外でやんな。子ども相手に絡んでる暇あんなら、さっさと飯食えっての」
語尾は柔らかいのに、中身は完全に“冒険者の姐御”。
言葉がテーブルの上をすべって、男たちの胸元に突き刺さる。
男たちの肩がビクッと震えた。
「い、いや別に……ただ話してただけで……」
「そ、そうだよ。そんなつもりじゃねぇって」
言い訳を口にしながら、視線はあからさまに泳いでいる。
周りの客たちも、息を潜めて成り行きを見守っていた。
アリアはにやりと笑い、ゆっくりと立ち上がる。椅子の脚が床を擦る音が、妙に大きく響いた。
「へぇ? じゃあ問題ないよね。……で、用は済んだ?」
笑顔のまま圧をかけるその声は、刀身みたいに鋭い。
一歩踏み込むだけで空気の密度が変わった。
男たちは完全に戦意喪失して、椅子を蹴りそうな勢いでそそくさと席に戻っていった。
嵐、終了。
残るのは、わたしの心臓のドキドキだけ。
「ふぅ……」
わたしが息をつくと、アリアは肩をすくめて言った。
「ああいう絡んでくる酔っ払い、どこにでもいるしね。見つけたら止めるぐらい、まあ仕事みたいなもんだよ」
さらっと言うけど、その“仕事”には普通命の危険がついて回るんじゃないかな。
この人、やっぱりただの親切なお姉さんじゃない。
「アリア、かたじけない。助かるです」
わたしがお礼を言うと、不思議そうな顔を向けてきた。
「あんたドレミちゃんだっけ。喋れたんだね」
あ、そうか。会った時は無口キャラだったんだ。
今は流暢にこの世界の言語を操るバイリンガールなのだ。設定の整合性が危ない。
「うむ、しゃべられるです。朝はカンチョーしてたので、おとなしかったです」
自分では完璧な説明のつもりだ。
「あはは、そうだったんだ。でもあんまり食事中に出す話題じゃないよ」
アリア、なぜか笑いながらよくわからないことを言った。
なんだろ? 統も俯いて笑いを堪えている。ふたりとも、何か大事な文化的ニュアンスを共有してる顔だ。
「え? なにどした?」
首をかしげるわたしを横目に、統は半笑いでアリアに言った。
「すまない。姉はこの国の言葉に慣れていないんだ」
「なるほど……くくくっ」
ふたりの笑いのツボが謎のまま流されていく。
こういう時、異世界語能力の自動アップデート機能が恨めしい。
「そっちの用事は済んだのかい」
統がさりげなく話題を切り替えた。さっきまでの殺気を完全に引っ込めているのが、逆に怖い。
「ああ、済んだっていうか、厄介ごとを増やしたっていうか……あんたらが気にしてた件も含んでるんだけどね」
「気にしてた?」
「片腕の獣人のことさ」
「え! イヌミミさん! 無事か! 見つかったか!」
反射的に身を乗り出していた。椅子がきしむ。
頭の中に、森で出会ったあの横顔がくっきり蘇る。
「“イヌミミさん”? あぁ、そう呼んでたっけ」
アリアは少しだけ口元を緩めたが、すぐ真顔に戻った。
「それで?」
統の声がわずかに低くなる。
わたしの胸の鼓動と食堂のざわめきが混ざって、変なリズムを刻む。
「──見つけたわよ。たぶん、あんたらが探してる“人”」




