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旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第二章 深い心臓編

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19、商都オーミの代官とエチゴヤ

【2026/5月改訂】




 商都オーミ。

 交易の中心地らしく、大通りは人と荷車で埋まり、香辛料の匂いと鍛冶場の音が絶えず入り混じっていた。


 その喧騒の中を進んできた馬車は、やがて大きな建物の前で止まった。


 磨かれた石柱。重たそうな扉。屋根には船を模したエチゴヤ商会の紋章。

 見上げたローデリヒが、低く鼻を鳴らす。


「気取ってやがる」


 案内されて中へ入った瞬間、フィーネは空気の変化を感じた。


 静かだ。

 静かなのに、見られている。


 商会員たちは整然と並び、笑みを浮かべている。

 けれど、その目だけが妙に忙しかった。荷、人、装備、身なり――値踏みするように次々と動いている。


「ようこそ、お疲れさまでした」


 接客役らしい男が丁寧に一礼した。


「契約品の確認はすぐに行わせていただきます。ただ、担当がまだ戻っておりませんで……少々お待ちいただくことになるかと」


 その視線が、ふとフィーネの抱えたバッグに止まる。

 一瞬だけ、男の笑みが固まった。


「……失礼。その鞄は、どちらで?」


 フィーネは反射的に一歩退き、バッグを腕の内側へ引いた。


「旅の途中で預かったものよ。依頼とは関係ないわ」


「なるほど」


 男は笑みを崩さない。

 だが、その目だけが布地の織り目をなめるように追っていた。


「珍しい品に見えましたもので。差し支えなければ、少しだけ拝見を――」


「必要ない」


 ローデリヒが間に入る。

 男はそこで初めて、ローデリヒたちの装備を見た。手練れだと気づいたらしい。口元の角度がわずかに変わった。


「失礼しました。ただ、当商会には鑑定に長けた者もおります。もし価値の分からぬ品なら、適正な評価ができるかと」


 その時、別の商会員の目が、水筒へ向いた。


「……おい」


 低い声だった。


「それも、見せていただけませんか」


 フィーネの背筋が冷たくなる。

 あの目だ。魔獣を前にした時とは違う。もっと粘り気のある、奪うための目だった。


「あの子の物なの」

 フィーネはバッグを抱き直す。

「勝手に触らないで」


 その一言で、周囲の空気がわずかに張り詰めた。


 奥から、ゆっくりと太った男が歩いてくる。

 金の指輪をいくつも嵌めた手。腹の出た体。だが目だけは油の膜みたいにぎらついていた。


 商会長だった。


「失礼をいたしましたな、お嬢さん」


 声は柔らかい。

 柔らかいのに、妙に耳に残る。


「大切な品だというなら、無理にとは申しません。ただ、そうした品こそ、相応しい環境で保管されるべきものでもある」


「何が言いたいの?」


 フィーネが睨むと、男は穏やかな笑みのまま肩をすくめた。


「簡単な話です。その品は、個人が旅の途中で持ち歩くには惜しい、ということですよ」


 ゲルトの耳がぴくりと立つ。

 ディルクの目も細くなった。ローデリヒは一歩も引かない。


 商会長は構わず続ける。


「ここは商都。珍品奇品は、正しく価値を見極め、然るべき場所に収めてこそ生きる。そういう土地でしてな」


「つまり、渡せってこと?」


「おや、そこまで露骨なことは申しません。ただ――」


 商会長の目が笑わなくなった。


「価値ある品には、価値ある持ち手が必要だ、というだけの話です」


 短い沈黙が落ちた。


 ローデリヒが低い声で言う。


「依頼の確認だけ済ませろ。こっちは品評会に来たんじゃねえ」


「これは失礼」


 商会長はすぐに笑みに戻った。


「では本日はここまでに。契約品の確認が済み次第、改めて使いを出しましょう」


 丁寧すぎるほど丁寧に頭を下げる。

 だが、フィーネにはもう分かっていた。


 この男は諦めていない。

 諦める気など、最初からない。





 商会を出てからもしばらく、フィーネは何も言えなかった。

 バッグを抱えた腕だけが、じわじわと強ばっている。


「……エチゴヤの連中、目が腐っとったぞ」

 ディルクが吐き捨てる。


「同感だ」

 ローデリヒも振り返らずに言う。

「金じゃなくて、欲そのものを見てる目だった」


 ゲルトが低く唸った。


「獲物を前にした匂いがした」


 フィーネは歩きながら、腕の中の重みを確かめた。

 ドレミを守れなかった。

 そのうえ、あの子の残した物まで狙われている。


「……渡さない」


 誰に聞かせるでもなく、そう呟く。


 夕焼けが赤かった。

 妙に赤くて、嫌な色だった。


 

 ***



 フィーネたちが去るのを見届けると、商会長は笑みを消した。


 重い扉が閉まる。

 室内に残った商会員たちも、もう愛想笑いを浮かべてはいなかった。


「どう見る」


 商会長の短い問いに、鑑定係が息を詰めたまま答える。


「布地は未知の素材。水筒は加工精度が異常です。周辺諸国どころか、王都の工房でも再現は困難かと」


「つまり?」


「……王宮が欲しがります。軍も。あれ一つで、いくつもの扉が開くかと」


 商会長は黙って指輪を撫でた。


 金で買える珍品ではない。

 市場価値という言葉で片づけられる段階を越えている。

 独占できれば、商売の道具では済まない。政治に手が届く。


「持ち主は?」


「少女の遺品だと」


「遺品、か」


 商会長は鼻で笑った。


「ならなおさら、あの娘が抱えている理由は感傷しかない。感傷は、価値の管理には向かん」


 鑑定係は何も言わない。

 言えない。


「拾い物と言っていたな。なら出所などいくらでも濁せる」


 商会長の目が細くなる。


「詐取でも、窃盗でも、横流しでもいい。名目は何でも構わん。大事なのは、こちらが先に正義の顔をすることだ」


「……代官に、ですか」


「当然だ」


 商会長は即答した。


「法は、使える者が使うものだ」


 部屋の空気が一段冷えた。


「相手は腕が立つ。正面から奪うな。罪人にして取り上げろ。品は押収品、我々は協力者――それが一番きれいだ」


 きれい、という言葉に、誰も笑わなかった。



 ***



 その夜。

 オーミ代官の屋敷では、まだ灯りが消えていなかった。


 代官室の扉が閉まり、エチゴヤの商会長が深々と頭を下げる。


「夜分に失礼いたします、代官殿」


「エチゴヤか。急ぎとは珍しいな」


「少々、厄介な荷が入りまして」


 商会長は懐から一枚の写し絵を取り出し、机上に置いた。

 描かれているのは水筒の輪郭だけだ。それでも異様な精度が伝わる程度には整っていた。


 代官の目が細くなる。


「……これは、本物か」


「現物はございません。ですが、見た限りではこの通り。継ぎ目はほとんどなく、螺旋も狂いがない。魔力の気配もありませんでした」


「魔道具ではないのか」


「だからこそ、です」


 商会長は静かに言った。


「誰の手にあるべき品か、考えるまでもないかと」


 代官は写し絵を見たまま、指で机を叩く。


「持っているのは?」


「旅商人まがいの小さな運搬業者です。価値も分からず抱え込んでおります」


「……危ういな」


 その言葉に、商会長はすぐ乗った。


「ええ。出所も不明。盗品、横領品、あるいは禁制品の可能性すらある」


「なるほど」


 代官は椅子に深くもたれた。


「では、捕縛の名目は立つ」


 商会長は一礼する。


「証拠品として押収できれば、それで十分です」


「十分、か」


 代官の口元がゆがむ。


「その証拠品のうち、一つは私に回せ。帳簿に載らぬ形でな」


「もちろんでございます」


「抵抗した場合は?」


 商会長は迷わなかった。


「やむを得ません」


 その一言で、必要な意味は足りた。


 代官は短く笑い、杯を取った。


「商人というのは、つくづく強欲だな」


「お褒めにあずかり光栄です」


 酒が注がれる。

 書類が引き寄せられる。

 代官は判を取り、何の感慨もなく紙に押した。


 それだけで十分だった。


 夜のうちに数人の役人が呼ばれ、別室で命を受ける。

 宿の位置。相手の人数。押収対象。

 声は低く、手際は妙に良かった。



 そのころフィーネたちは、まだ何も知らずに眠っていた。


 外ではもう、朝を待たずに靴音が動き始めていた。




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