29 Feb. 14128「Again」
29 Feb. 14128 =ティコ=
ティコ一番の繁華街にある地下鉄駅の階段の下、すぐのところに喫茶店「ハレヒレホ」がある。
残念だが、レディには駅の外で待っていてもらう。
「新しい私の姿を見せたかったんですが」
彼女はライトをパチクリとする。
「軽く話して、すぐに上がってくるさ」
「遅かったらクラクション鳴らしますからね」
「迷惑にならん程度にな」
俺は階段を降り、喫茶店の扉を開ける。
「いらっしゃい」
若いマスターがローターだけの俺の頭部を見て、充電用の席を案内してくれる。
店内は抑えめの照明で、流行りのアイドルの曲をジャズアレンジしたBGMが流れている。
コーヒーの香り。アンドロイドの身体では飲むことはできないが、この香りを嗅ぐと、どことなく落ち着く。
見回すと懐かしい後ろ姿が。
「やあ、少年」
呼びかけると、少年が振り返る。
「おひさしぶりです」
「少年は変わらないね」
「ジルゼさんも」
少年に対しては、気象学者だと訂正を入れる気が起きない。
対面する席に座る。
「月の旅は楽しんでいるかな?」
「もちろん」
屈託のない笑顔。
「コペルニクスには行ったかい? 八十年前に俺が働いていた街なんだ」
「いきました。びじゅつかんが、とてもよかった」
「そうだろう」
もう俺と関係は無いのに、なぜか自慢気に応えてしまう。
「バナナとは、どうして?」
少年の疑問は当然だ。
なぜ俺がバナナに会いに行ったのか、なぜ少年に連絡を取ったのか。
「もう一度、少年に会いたかったからさ」
「なんでですか?」
気象学者として、俺は地球の様々な所を回った。そして、各地で蝶の妖精を連れた少年に出会ったという人々から話を聞いたのだ。
俺は指折り数える。
「ブレーメン、ポリネシア、ウルル、アマゾン、故宮。他にも少年はいろいろなコロニーへ行っているだろう?」
「はい」
太陽の恩恵を受けることができなくなった地球は、プラスチックの砂と氷に閉ざされた死の星になった。
しかし、実際はそうではない。
各地の火山では断続的に噴火が続いている。火口からあふれ出たマグマが氷を溶かす。
大陸の移動に合わせて氷床も動き、何百キロに渡って氷同士がぶつかり、氷の山脈を作る。
地磁気の弱まった地球でも、ごく僅かな限られた場所ではオーロラが光っている。
太陽の光が届くことのない夜の星だが、こんなに情緒豊かな景色に溢れている。
「エベレストの頂上には登ったかい?」
「いいえ」
「南極点は行ったかい?」
「いいえ」
俺が、少年を探しにわざわざ月まで来たのは、この最高の世界を一緒に旅をしてみたいと思ったからだ。
「もう一度、地球に戻って旅してみないか」
「たのしそうです。だけど……あしでまといになりませんか?」
少年は義足となった右足を見せてくれた。
つまり、彼の身体は限界が近いということ。俺の旅の邪魔になると思ったのだろう。
大丈夫。いざとなったらレディがいる。彼女は千年前に探検家のバイクだったくらいだ。
「少年のペースで構わないよ」
「ほんとうに?」
「本当だ」
俺の答えに少年は笑う。俺も笑いたかったが、顔のないこの頭部ではどうしようもない。
「その前に、少年の連絡先を聞いておかないとな」
そこへ地球から連絡が入る。ニライカナイの花屋の店主からだ。
「ああ、地震のニュースは見たよ。そっちは大丈夫だったかい?」
そして、その答えを聞いて、俺の思考は停止した。
言葉を絞り出すように、何があったかを少年に伝える。
「ウナイ……が、死んだ……」
少年が立ち上がり、何かを口にした。
外からクラクションが聞こえてくる。
待つのを我慢できなくなったレディが催促している。
その音は俺にも聞こえていたが、何を意味するのかをすぐに処理することはできなかった。




